123 間に合わない
孤児院に帰ってきた。
「……疲れた」
夜、職員用だという部屋に戻ってすぐにベッドへと倒れこんだ。相部屋らしく、あまり広くない部屋に2段ベッドが2つ置かれているが、そのどれもが使われていない。男性と女性とで部屋は別になっているものの、泊まり込みで孤児の世話をする人は多くないようだ。
部屋を照らすために使っていた光魔法を消す。真っ暗になった部屋で目を閉じる。
「つっかれたぁ……」
溜め息のような、独り言のような、息を吐きだしながら呟いた言葉は、静かな部屋では思ったよりもはっきりと聞こえた。
いろいろ手伝ってよね……その言葉通り、いろいろ手伝わされた。どうやらここの孤児院は慢性的な人手不足のようで、突如現れた僕は先輩職員方との挨拶もそこそこに昼食の準備に巻き込まれた。
不足しているのは人手だけではなさそうだ。資金面においてもギリギリの運営なのだろう。成長期の子供たちに食べさせるには少々、いや、かなり物足りない食事が用意されていた。
堅そうなパンに、少しの野菜が沈んだスープ。それらをキッチンの前で待ち受ける子供たちへと渡し、食堂へと連れていく。ひっくり返さないうちにさっさと座らせ、食前の祈りを捧げて食べさせる。
食べ物で遊ぶな、しっかり噛め、こぼすな、残すな、席を立つな、食後の祈りまで待て……下は2歳から上は9歳まで、この小さな孤児院によくもまあこれだけ詰め込めたな、というぐらいに溢れかえった子供たちが遊ぶのを叱り、泣くのを宥め、愚図るのに付き合い、その間に昼食を胃に流し込む……そんなに急いで食べちゃダメ、と職員の方が間違えて僕を叱っていたのを見てキャロルが笑っていたのは見逃さなかった。
子供の多さに辟易していたのに、10歳から14歳は奉仕に出ていると聞いて、まだ子供が増えるのか……と余計に疲れてしまったのは秘密だ。
最初は戸惑っていた僕も、一応孤児院出身である。すぐにかつての感覚を取り戻して年下の子供たちの相手をした。しかし、見慣れない年上……というか、遺憾ではあるものの新たな子供が加わった、と認識した子供たちが騒ぐ一因となってしまい、四方八方からの質問攻めに遭うという苦難を強いられた。
僕は違う、新入りじゃない、大人側の人間だ、それを訴えたところで子供たちはすぐには納得してくれない。だって小さいよ、という無邪気な言葉に僕の心は傷を負った。外見のことを言わないでくれ、これでも14歳だ、それを訴えたときにふと気づいた。子供側と変わらない年齢だ。同じことを思った子供たちからの、僕らと変わらないじゃん、という無慈悲な言葉に僕の心は萎んだ。
たとえ僕の急所が容赦なく攻撃されても、子供たちの1日は終わらない。食事が終われば片付けがあるし、片付けが終われば遊ぶ。遊び疲れれば寝るし、起きればまた遊ぶ。
遊びだって三者三様だ。外に出たい者もいれば、中にいたい者もいる。複数人がよい者もいれば、1人がよい者もいる。そして大人たちはそんな子供たちに振り回される。しかし、振り回され続けるわけにはいかない。常に全員の安否を確かめ、周囲に気を配らなければならない。
こんなの、常人にできないだろ!
できれば事前に確かめたかったけど仕方がなかった。時間がなかった。気づいた時には目の前で事が起ころうとしていた。だから僕は魔法を使った。こけそうだった子供を、ぶつかりそうだった子供を、落ちそうだった子供を、さり気なく、怪我を最小限にするために、次から次へと使った。
だって、間に合わないんだ!
あいつらは怪我をするために生きてるのかってぐらいに次から次へと危ないことをするんだ!
仕方ないんだ!
そんなことをずっと続けていたんだ。疲れた。かなり疲れた。いろいろ手伝って、って、まさか初日からこんな本格的に手伝うことになるとは思わなかった。ていうか説明すらなかった。咄嗟に全て手伝ったけど、本当はここまでしなくても良かったのではないだろうか。
こき使いやがって、とじわじわ湧き上がっていた怒りをどこに向ければいいのか分からなくなった。もし本当にしなくても良かったのだとしたら、いったい、僕は……。
真っ暗な部屋で1人呆然としていると、ノックの音が聞こえた。
「クリス、ちょっといい?」
「どうぞ」
扉が開く前に慌てて光魔法で部屋を明るくする。蝋燭を持って入ってきたキャロルが驚いた顔で天井に浮かぶ淡い光の球を見上げる。そういえば、魔法を見せるのは初めてだった。いや、既に何回も目の前で使ってたけど、分かりやすい形で見せるのはこれが初めてだ。
「これ……」
キャロルが光の球と僕を交互に見ている。生成りのワンピースに淡い緑色のカーディガンを羽織り、長い黒髪を結ばずに背中へ流している。光を反射する瞳が眩しそうに細められているのを見て、少しだけ明かりを暗くする。
「眩しかった? ごめん」
「あ、大丈夫! ありがとね、びっくりしただけだから」
開けっ放しだった扉を後ろ手に閉め、蝋燭の火を何度か手で扇いで消している。その表情は少しの曇りもない笑顔。遠慮がちに視線を下げたり口元を手で覆うようなことをせず、真っ直ぐに向けられるその笑顔に、僕もつられて笑みを浮かべる。
天井の明かりを見上げて、これが、魔法、と呟いたキャロルに声をかけようとしたところで、柔らかい笑顔で僕に視線を移したキャロルが先に口を開く。
「今日はお疲れ様。すごく助かった。ありがとね」
労いの言葉に、純粋に嬉しくなる。気恥ずかしくなって視線を逸らしている間に、キャロルは扉の前からベッドに腰掛ける僕の目の前まで移動し、窓際に置かれたチェストに火を消した蝋燭を置いていた。そのまま僕の向かい側に置いてあるベッドに腰掛け、柔らかい笑顔のままで僕を見た。
「ね、クリス」
その声は、先程よりも落ち着いた声音だった。女性にしては低い声が耳に心地よい。
「何か、聞きたいこと、ある?」
キャロルからの突然の質問に、しばらくの間、優しく細められた黒い瞳を見返すことしかできなかった。