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122 開けない

 扉が、開いた。




 咄嗟に後ずさる。ぶつからないようになのか、それとも驚いてなのかは分からない。数歩後ずさり、開く扉を、扉の向こうをじっと見つめる。ゆっくりだったのか、勢いがあったのかもよく分からない。扉の陰から現れた人物は、僕を見てびくりと身体の動きを止めた。


 女性だ。若い女性。真っ直ぐな、長い黒髪が後頭部で1つにまとめられている。見開かれた目の中心で、丸い黒い瞳が僕へと向けられている。お互いに固まったまま、見つめ合う。


 先に動いたのは目の前の女性だった。


「えっと、何か御用でしょうか」


 女性にしては少し低めの声。半身だけ扉に隠れていた身体を外に出し、扉を閉じる。僕よりも背が高い。茶色のワンピースに、白いエプロンがかかっている。覚えている。孤児院で僕らの世話をしてくれていた人達は、みんなこういう格好をしていた。


「あの……」


 女性が首を傾げる。その動きに合わせて、まとめられていた髪も傾き、揺れる。


「……すいません、僕、ここの孤児院でお世話になってたんですが」


 笑顔を浮かべて、女性に答える。困惑気味だった女性が、傾けていた首を戻し、少し驚いたように口を開けて僕を見る。


「その時の友人を探していて」


 女性が何度も瞬きをしている。


「その方に会えないかなあ、と」


 女性が少しずつ僕に歩み寄る。手の届くところまで近寄り、笑みを浮かべたまま見上げる僕をじっと見つめる。エプロンを握る手に力が入っていた。


「お、お名前は……」


「僕はクリスです。5年前、こちらを出ました」


 女性の目が見開かれる。


「クリス……」


「それで、探してるのはキャロルという女性です」


 女性の目が泳ぐ。エプロンから離れていた両手が、何度も何度も指を入れ替えながら、お腹に添えるようにして握られている。何かを言おうと口を動かしている女性をじっと見上げる。


「……え、えっと、その、あ、あたしが、キャロル……です……」


 やっぱり? だよねー。そうじゃないかと思ってた。




「びっくりしたあ。クリス、変わらないね」


 応接室、と言っても机と椅子が置かれている程度の質素な部屋へと通され、キャロルと向かい合って座る。笑顔のキャロルが目の前にいる。


「キャロルはだいぶ変わったね」


 髪の色と瞳の色でもしかして、とは思っていたけど、記憶の中の少女だった頃のキャロルと比べれば、とても女性らしくなっている。身長は伸びているし、言動だって落ち着いている。同年代の女性に比べれば落ち着いていないかもしれないけど。


 2つ年上ということは、レジーやセルマさんと同い年。セルマさんには申し訳ないけど、キャロルの方がしっかりしていて、年上に見える。顔つきだって、セルマさんとはだいぶ違う。何というか、キャロルの方が……細い。いや、セルマさんが太っているというわけじゃないけど……。


「だって5年も経ってんだよ! 逆になんでクリスは、そんなに……」


 キャロルが途中で言葉を止める。しまった、と言わんばかりに先ほどまでの笑顔が崩れ去り、手で口を覆う。


「……そんなに、何?」


 笑顔で首を傾げて、キャロルをじっと見つめる。キャロルの目が僕を見ていない。むしろ、どんどん別の方向へと向いていっている。どうしたのかなあ。正直に言えばいいのになあ。ねえ、キャロル。言ってみなよ。ねえ。


「……わ、若いの、かな、なんて……はは……」


 若い?


「…………ごめん」


 どうやらキャロルには僕が9歳に見えるらしい。




「来るんだったら手紙くれたらよかったのに! びっくりするじゃん!」


「あー、確かに……いや、でも、キャロルがいるって知らなかったから」


 それもそうかあ、とキャロルが小首を傾げて視線を上に逸らす。さっきから笑ったり焦ったり困ったり、また笑ったり、表情がころころと変わって面白い。王都にはあまりこういう女の子はいなかった気がする。


「それで、突然帰ってきて、どうしたの?」


 キャロルの丸い瞳が不思議そうに僕を見つめる。当然されるだろうと思っていた質問だ。苦い笑みを浮かべてキャロルの瞳を見返す。


「ちょっと暇になって、それで、久しぶりに戻ってきたくなっちゃったから……」


 僕の答えを聞いて、キャロルが2度瞬きをする。ふぅん、と小さく頷きながら呟いたかと思うと、ぱっと明るい笑みを浮かべて机に手をつき、僕の方へと身を乗り出す。


「なら、ゆっくりしていきなよ! あ、でもその代わり、いろいろ手伝ってよね!」


 部屋に案内するね、と僕の返事を待たずに椅子を立ち、応接室の出口へと向かう。そのキャロルの背を追って僕も立ち上がったところで、あ、と声を漏らしてキャロルが立ち止まる。何事かと様子を窺っていると、手を後ろで組んで、くるりと回って僕の方を向いた。


「クリス、おかえり!」


 回った勢いでまとめていた髪が肩にかかり、少し前のめりになっている身体の前へとさらりと落ちる。小首を傾げ、笑みを浮かべたキャロルと目が合う。


 おかえり……おかえり、なのか。おかえり。その言葉をゆっくり、噛み砕くように、何度も心の中で繰り返す。僕は……帰ってきたのか。確かに帰省だとは思っていた、けど……おかえり、という言葉に、驚いてしまう。


 ここは、僕が帰ってこれる場所、なのか……。


「……うん、ただいま、キャロル」


 えへへ、と照れ隠しのようにキャロルは笑った。そのまま僕の手を掴んで、部屋を出る。少し硬いけど、女性らしい細い指が、僕の手を覆っている。その手を見下ろしながら、ゆっくりと、握り返す。



 キャロルの手は、暖かかった。

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