121 合わない
少しだけ、観光気分。
服の色に、建物の色。屋台の色に、髪の色。街の景色は全体的に素朴で、悪く言えば地味で、そして歩く度に揺れる装備から発せられるあの独特の金属音がどこからも聞こえない。文化や経済、生活様式の違いを、魔法の影響が少ないことを、嫌でも感じる。
物を染める技術が王都で発達してるのは、それだけ文化や技術が、それらを支える交易が発展しているから。冒険者が王都に多いのは、それだけ仕事が多いから。そして何より、魔法使いが多いから。
逆に言えば、この街にはそれだけ魔法使いがいない、ということ。
何故なら、魔法は、文化や技術や交易の発展に、人々の活動量に大きく貢献するからだ。
もちろん、魔法が無くたって生きていくこと自体には何の問題も無い。魔法技術というのは科学技術を土台にしている。科学技術あっての魔法技術ということは、科学技術でできる範囲のことしか魔法技術では達成できないということだ。
では科学と魔法の違いが何かと言えば、あらゆる現象を生じさせる元となるエネルギーが違う。科学で物理エネルギーや熱エネルギーが用いられる一方で、魔法では魔力がエネルギーの代わりとして用いられる。しかも、魔力と諸エネルギーの変換率は非常に大きな値になると考えられている。
つまり、物理エネルギーで物質を変形、移動させる場合と、魔力で同様のことを行う場合では、魔力の方が圧倒的に少ない労力で達成できる、ということだ。
まあ、魔法が使えたらいろいろ楽だ、という認識で間違いはない。魔法が使えなくたって同じことはできる。理論的には、という言葉が必要ではあるけど。魔法理論の試験で出てきた計算問題の非現実的な答えを思い出しながら、改めて周囲をよく観察する。
魔法の存在が、人々の姿や街並みを大きく変えている。
道を行き交う人々の黒っぽい髪と、筋肉質な身体と、使い込まれた麻の服。この光景が僕にとっての普通だったというのに、たった数年王都にいただけで少し物珍しく感じてしまう。いや、懐かしいのかな。かつて見慣れていた、見慣れない光景。矛盾した感覚に、たったそれだけで面白く感じてしまう。
例えば、さっき屋台で買ってみたこの軽食は、これまた素朴だ。王都なら魔法を用いた運搬手段で王国各地、さらには外国から様々な食糧を集め、さらには魔法を用いた加工を経ているだけに、たとえ屋台のものであったとしても食文化と呼べるだけの華やかさが全ての料理に表れていた。
それに対して街の軽食は、限られた農地と豊かな森と、少しの交易で得ていると思われる食糧事情がよくよく表れている。穀物の粉を水で溶いて焼いた生地は、王都のもののように白くない。軽く味付けして炒めて生地に挟んだ具は、自然豊かな食材ばかり。
つまり、食用に栽培されたものの割合が少なく、精製技術が未熟である結果、様々なモノが混ざっている。嵩増しかもしれないけど、魔法ではなく手作業で、生活するのに十分なだけの栽培、交易、加工となると、自然とこうなるものだ。
狩猟採集生活とまでは言わないけど、街の周りに広がる森や近隣の村街を、人々の手足が届く範囲でしっかりと活用して暮らしている。良い悪いは置いておいて、何気なく見ていた街の姿が、こんなにも面白いものだったなんて……気づけば緩んでいる表情を何度も引き締める。
繊維が強かったり、触感が独特だったり、苦みがあったり、なかなか癖のある軽食を食べ歩きながら孤児院へと歩みを進める。
王都ほどではないけれど、村に比べればこの街はそれなりに大きい。面積はもちろんだけど、住んでいる人の数とその諸活動だって小さな王都と呼んでいいだけの多様さがある。その結果が孤児院である、と言ってもいいのだろう。
いつの日か受けた、現代社会に関する授業内容が、次々と頭の中に浮かんでくる。
別に問題提起をしたいわけじゃないけど、孤児院出身の僕としては無駄に知識をつけた分、複雑な思いがある。僕は僕のことを不幸だと思ったことは無かったし、孤児院のみんなが不幸だとも思いたくない。
でも、もしキャロルに会ってしまったら、僕は彼女のことを不幸だと思うのだろうか。かわいそうだと思ってしまうのだろうか。
孤児が、親がいない子供が存在することを、社会問題だと、不幸だと語っていた教師の顔が浮かぶ。
漠然と、勉強しすぎるのは良くないな、と感じた一瞬だ。本や論文に書かれていることを、実際に目にしたわけでもないのに真実だと思い込んでしまう。孤児が不幸だということに対して何の疑問も抱いていなさそうな、自信に溢れたあの顔を見た時、気持ちが冷めるのを感じた。
とは言っても、僕にだって孤児は不幸ではない、だなんて断定はできない。幸福は人によって違う。僕にとっての幸福や、あの教師にとっての幸福を押し付けて、それで幸せだとか不幸だとかを語るのは失礼だ。
でも、それでも、不幸を幸福だと勘違いしているのならば、それは正さないといけないのだろう。一般的な価値観から大きく外れているなら、それを教えなければいけないのだろう。そういった判断ができることが勉強の良さで、だから僕は勉強をするのが苦ではない。知識は世界を広げてくれる。楽しませてくれる。助けてくれる。
……そして、僕は、僕の知らなかった、僕がよく知る街のことを、こんなにもたくさん考えている。
正直、不安だ。僕は、王都で過ごして大きく変わってしまった気がする。こんな僕が、孤児院のみんなに、キャロルに、受け入れてもらえるのだろうか。うまく話ができるのだろうか。
変わったね、と言われたら何と言えばいいのだろうか。変わらないね、と言われたら何と言えばいいのだろうか。どちらが僕は嬉しいのだろうか。そもそも、そう言ってくれる人と会えるのだろうか。
僕は……何がしたいのだろう。何をしてほしいのだろう。
初めはゆっくりだった足取りが、気づけば速まっていた。街の景色はいつの間にか変わっていて、人通りが少なくなっている。商品やお金をやり取りしていた活気ある街の喧騒は、家族や友人との穏やかな会話へと変わっている。それが小さな通りへと入った証拠だということを僕は知っている。強張っていた身体から意識して力を抜き、再び足取りを緩める。
時間はあるから、大丈夫だから、焦らずにゆっくり行こう。落ち着いて。大丈夫だから。
立ち並ぶ住居の合間から、孤児院独特の、尖った屋根が見えてきた。
いくつかの住居の前を通り過ぎると、小さな、荒れた空き地と、その奥に記憶と変わらない孤児院が姿を現した。
空き地を囲うボロボロの塀に沿って歩けば、正面に見える孤児院から子供の声が聞こえてきた。
入口が見えるところまで来て、石壁が、木の扉が欠けているのが見えた。
昼前の、少しだけ暑いこの時間に、ついに、たどり着いた。扉を前に、一呼吸置く。
……大丈夫。とりあえず、扉を開けてみよう。
使い古された扉をノックしようと手を伸ばす。その扉が、動く。
僕の手が触れる前に。