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episode 20 : Tosh

 先輩が執筆した過去の論文と、蓄積されたデータを机に並べる。

 これらの資料を先生への報告用に纏め直すのが今の俺の仕事だ。


 言うまでもなく、先生にはこれだけの資料全てに目を通す時間など無い。

 それはつまり、先生を補佐しているジュディ先輩にも時間が無いことを意味している。


 こういった単純な作業は得意だ。彼女はいつも資料作成を請け負う俺に申し訳なさそうにしているが、これは当然の役割分担だろう。俺は彼女のように臨機応変な対応は得意ではない。常に人を相手にするような、表舞台に出るような役割は俺には向いていない。向き不向きを考えれば、俺が裏方に回るのは当然だろう。



 論文を読みながら、要点を頭の中で整理する。

 先生はすでに内容を把握しているだろうから、過不足なく纏める必要がある。


 過剰な説明はいらない。既に分かっていることだ。

 簡潔な結論が必要だ。その1文に全てを詰め込む。


 一度噛み砕いた内容を再度組み立てる作業は好きだ。文章をそのまま引用することもあれば、言い回しを変えることもある。図表に纏めることもある。箇条書きにすることもある。そこに俺の意思は反映されない。筆者と読者の橋渡しに、編者の影があってはならない。その重圧が、むしろ安心できる。



 組み立てられていく論理に、自然と今回の事案が当てはめられていく。

 必要のない思考が、資料を纏める手を鈍らせる。


 俺には調査に深入りするだけの権利も能力も無い。

 求められているのは、意思の疎通を妨害する障壁を取り除くこと。


 俺個人の意見を持つことは苦手だった。教授される環境では、求められる回答があった。解答することは知識不足のように感じていた。だというのに、今こうやって紙に書いているものは何なのか。なぜ計算しているのか。なぜ図示しているのか。なぜ解答を導いているのか。その答えは見つからないのに、突き動かされるように指が論理を組み立てていく。




「先輩」


 窓枠に手をかけ、外を眺める隙のない後ろ姿へと声をかける。


「資料、まとめました」

「ありがと」


 先程まで遠くを見ていたとは思えない速さで彼女は資料を受け取った。すぐに内容を確認し始めた彼女の頭部を見つめ、一拍置いてから声をかける。


「まとめている時に気づいたのですが……問題の魔物は4体ではないでしょうか」


 彼女が真っ直ぐと見上げてくる。差し出がましい真似をしている自覚はある。解答を持つことは、俺には求められていない。その目を見返すこともできず、続きを促すように黙ったままの彼女へと言い訳のように言葉を続ける。


「最初の個体、仮に1番とし、この1番の行動周期がこの論文の通りだとすると――――」


 脇に抱えていた論文から、予め折り目を付けていた頁を開いて見せる。まるで責任逃れだな、と冷ややかな声が内から聞こえる。あくまで先輩の論文を根拠にしていると、俺個人が一から考えたのではないと訴えるように彼女に示してから、俺が考えた解答を聞いてもらう。

 俺の解答を静かに受け入れる彼女は、何も言わない。首筋が冷える感覚に、指先が震える。


 俺は、何をしているのか。

 動き続ける口とは裏腹に、頭の中が真っ白になる。

 俺は、何をしている。


 これは、求められていない動きだ。彼女が許可していない動きだ。俺の、一方的な、我が儘だ。

 解答がようやく半ばを迎える。彼女は何も言わない。早く終わらせなければならない。後悔が頭を占める。話し慣れていない口は、のろのろとつまらない解答を紡ぎ続ける。彼女は俺が指し示す指先の図を、式を、言葉を、じっと見つめている。俺の解答を聞いている。


「――――と、考えたのですが……やはり、3番と4番の証明に関しては、かなり、手荒で……何らかの障害物による進路変更の方が、現実的、ですかね」


 尻すぼみになる。胸が詰まる。俺を見上げた彼女と目が合う。その目に浮かぶ色は何だろう。呆れか。蔑みか。嘆きか。怒りか。どくん、と頭が脈打つ。


「うーん……たしかに手荒かもしれないけど、でも、だからって棄てれる案ではないかな。面白いと思う」


 面白い。否定でも肯定でもない言葉に、どきり、と心臓が脈打つ。


「先生に言ってみる。ありがとね」

「いえ、お役に立てると良いのですが」

「大丈夫! 絶対に何か新しい発見があるから!」


 笑顔。呆れでも怒りでもない表情に、胸のつかえが取れる。


 くるりと身体の向きを変え、先生の部屋へと向かう後ろ姿を目で追った。




 俺が意見するようになったのはいつからだろう。

 先輩の部屋で資料を片付けながら考える。


 先生は、普段から口数が多い方ではない。

 彼女は、普段からよく愚痴を話す方だ。


 しかし、ふと思いついたように、2人とも俺に声をかける。

 どう思う、という言葉と共に。


 その言葉は、返答を期待する言葉だ。

 返答すると、会話が成立していく。


 もちろん、今まで返答を求められたことが無いわけではない。会話をしたことが無いわけではない。返事をすることや、回答することはいくらでもあった。

 しかし、それらに心臓の脈打つ感覚は伴わなかった。先生と彼女は、俺の心臓を妙に刺激してくる。


 その感覚に寿命が縮む思いをするというのに、俺は何度も繰り返している。

 なぜ繰り返しているのか……答えはよく分からない。




「行こうか」


 その一言で、扉をノックして顔を覗かせた先生と、その後ろに控える彼女を追うように先輩と部屋を出た。

 魔物と接触するのだろう。詳しくは告げられていないが、複数人で外に出るということはそういうことだ。道中で先輩が先生にその旨を訪ねれば、肩越しに振り返った先生から肯定の返事もあった。それ以外、特に会話も無い。

 ゆっくりと歩みを進める先生の後ろを黙々とついて行くと、ある地点で立ち止まった。


「もうすぐだから、少し待ってて」


 言われた通りにその場で待つ。先輩が彼女の肩を叩いて動きを止める。先生が数歩前へと歩き出す。視界の端で丸い瞳が俺達の顔を順々に見回していた。


 嫌な予感がした。


 彼女の小さな悲鳴が聞こえた。その時には彼女の腕を掴んで引き寄せていた。

 地面が揺れる。

 咄嗟に風魔法で地面の揺れから逃れていると、視界の端で先輩の腕が伸ばされたまま宙で止まっているのが見えた。彼女の傍にいたのは先輩なので、本来こうやって彼女を支えていたのは先輩のはずだ。出しゃばった真似をしてしまったことに少し反省する。


 しかし、彼女から視線を逸らしたその一瞬の間に、俺の腕の中から彼女はいなくなっていた。


 はっとして彼女を探せば、先生のすぐ後ろに控えていた。顔を横に向けた先生の視線が俺に向いた。その意図を推測し、揺れが止まった地面の上を走って彼女の元へ急ぐ。

 肩に手を添えれば、彼女はふらふらと後退り始めた。

 目の前では……観察対象の魔物が宙に浮かんで暴れていた。


「次は新参者を引き出す」


 その声を合図にしたかのように、空気が重くなる。


「先輩、離れましょう。魔力が、強すぎる」


 抵抗できない。

 先生の魔力で身体の自由が利かなくなる前に、再び揺れ出した地面に足を奪われる前に、彼女の身体に手を回して引きずるようにして後退る。


 ある程度離れたところで圧迫感が弱まった。風魔法で自分の身体を再び支える。

 ふと、腕に当たる感触に動揺する。彼女の細い身体から腕を少し離し、先生の方を見る。


 ちょうど、新参者の魔物を弱らせているところだった。

 飛んできた体液に風魔法をぶつける。背後で草が溶ける音が聞こえた。


 彼女が俺の腕にしがみつく。せっかく離したのに、と場違いな感情に苛まれる間にも、魔物の身体が潰れていく。飛び散る体液が当たらないように風魔法を次々と放つ。


 かくん、と彼女の膝が折れる。つられて地面に膝をつけば、顔面蒼白の彼女が目を閉じて俺に凭れかかっていた。


 目の前では、体積を4分の1程度にした魔物が火を上げ、体液諸共焼き尽くされていた。




 気を失った彼女を抱えて先生の部屋へと戻る。

 道中、先輩が彼女の顔を覗き込んでいた。


「……女性の寝顔をじろじろと見るものではありませんよ」

「いや、静かにしてるとジュディちゃんも年相応の女の子だなーって」

「アベル、それはセクハラかな?」


 先生に諫められ、先輩が慌てて彼女から顔を離す。


「ちっがう! だってさ、だってさあ? 紅一点の子だよ? 会える機会少ないでしょ? 気になるじゃん!」

「上に報告しておく。処分勧告を待つといい」

「ああああ! すいませんってば! 主任! ごめんなさい! このとーり!」

「反省の色が見えない」


 先生の淡々とした様子からして、冗談ではなさそうだ。


「ていうかさ! それならトッシュ君はどうなんの! めっちゃ触ってるけど!」

「つまりジュディをあの場に置いていけと? それはパワハラかな?」

「ああーもう!」


 先生が、ふ、と鼻で笑う


「冗談だ。これは私の不手際の結果だ。すまない」

「へ? はあ、そっすか」


 先生が部屋の扉を開けてくださったので、軽くお辞儀をして中に入る。

 彼女をソファに寝かせる。


「さて、アベル。観察対象はどうだった」

「今回はあまり成長してなかったですね。傷もありました」

「やはりあの魔物に攻撃されていたか」

「共生は無理なんすねえ」


 席について議論を始めた2人の近くにあった椅子に腰かけ、手近にあった紙とペンを借りてその内容を書き留めていく。

 それと同時に、今回駆除した魔物の外見を別の紙に描く。時刻や駆除法等も、把握している限りで付け加えていく。

 それを見ていた先生と先輩が身体的、生理的特徴を補足していく。


「……にしても、昆虫型か」

「動物型の可能性もある」

「どっちにしても、もっちゃんが負けるなんてなあ」

「捕食関係の逆転も有り得そうだね」


 先生が俺に視線を向ける。


「どうかした?」


 議論を書き取る手の動きが僅かに鈍ったのを見逃さなかったらしい。

 しかし、これは議論とは関係ない疑問だ。尋ねるべきか悩む俺に先生は微笑んで首を傾げた。それを、気にするな、という意思表示であると受け取り、先生に質問する。


「どうして魔物の数と位置が分かったのでしょうか」

「はは、それ聞いちゃうか」


 先輩は笑い、先生は困ったように笑いながら背もたれに身体を預ける。


「魔物の魔力を感知した」

「魔力を感知、ですか」


 白衣から手帳を取り出す。私的な疑問まで紙を借りて書き留めるわけにはいかない。


「今日の先生の魔力ほどであれば、俺でも分かりますが……」

「うん、あれはかなり頑張ったからね」


 涼しい顔で、頑張った、と言う先生に先輩が苦笑する。


「人間は魔力の操作に長けてるからね、意図的に放出している魔力を感じるのは簡単だ」

「人間は、ということは……魔物は?」

「魔物はね……常に魔力を滲ませている傾向があって」


 先生が俺の目を真っ直ぐに見つめる。


「まあ、人間も同じなんだけど。でも、魔物の方が……魔力に意志が無い」


 先生の褐色の瞳が淡い緑色に輝いたように見えた。


「慣れれば、周囲の魔力で何がいるかは分かるようになる」

「これ、主任だけだから。本気にしない方がいいよ」

「何かコツはあるんでしょうか」


 先輩が小さく溜め息を吐いていたが、先生へと質問を重ねる。


「うーん……まずは、自分の魔力を手に取るように把握できるように」


 先生が宙に手をかざし、何かをじっと見つめる


「そして、他人が魔力を操作しているのを把握できるように」


 先生の手のひらの上を、おそらく渦巻いているであろう魔力を見る。

 俺には何も分からない。


「感覚的なものだから説明が難しいんだけど、そうやって魔力を捉えられる範囲と精度を徐々に上げていく……って感じかなあ」


 先生が人差し指を立て、俺の方に向ける。

 ふわり、と何かが顔に当たったような気がした。


「トッシュ君、これ、参考になるの?」


 頬杖をついた先輩が力ない笑みを浮かべている。

 先輩も同様のことを試したことがあるのかもしれない。


「今度、試してみます」

「……ジュディ、体調はどう?」


 先生の声に、はっとして振り返る。


「だ、大丈夫です……」


 彼女の頬は赤味を取り戻していた。

 起き上がりながら返答している様子を自然と目で追う。


「ごめんね、事前に説明してなかったから」

「いえ、私こそ、まさか気を失うとは……すいません……」


 俯いた彼女が小さな声で応える。

 顔色はだいぶ戻ったようだが、まだ少し気分が悪いのかもしれない。


「それじゃ、今日はここまでにして、もう休もう。また明日ね」


 俺が議論内容と魔物の概要を書いていた紙をそっと手に取りながら、先生が宣言する。

 慌てて両紙の内容を確認すれば、先輩がいつの間にか補足したのか、記憶よりも充実した議事録が完成していた。


「分かりました」


 真っ先に席を立った先生に促されるように席を立ち、先に部屋を出た先輩の後を追う。

 廊下へ出る前にそっと彼女の様子を窺えば、ソファに座ったままで立ち上がる気配が無かった。

 その傍へと歩み寄る先生の姿を確認し、部屋を出る。



 彼女のことは心配だが、だからと言って俺に何かできることがあるのかは分からない。だとすれば、向き不向きを考え、この場を先生に任せて俺が部屋を出るのは当然だろう。

 そうは思うものの、自身の足取りが重い。部屋に留まりたい。彼女の傍に行きたい。先生の役割を俺が担いたい。頭の中にある理屈を覆そうと湧き上がる数々の思いの理由が見つからないまま、手伝いをするべく先輩の部屋へと入った。

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