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episode 19 : Judy

 先生は。




 なだらかな平原、近くを流れる小川、注ぐ日の光に照らされる木の葉……そして、たくさんの穴。

 廊下から窓の外を見て思わず溜め息が漏れてしまった。今回の調査地、というか調査対象は、なかなかに厄介だ。



 魔物は、危険。とにかく狂暴だから、戦闘の心得が無い人にとっての魔物への対処法は、遭わないこと、という感じだ。

 逃げるとか、戦うとか、ましてや捕まえるだなんて、普通の人にはできない。


 ではどうやって遭わないようにするのか、というところだけど……魔物は、目立つ。

 体毛の色や柄が奇抜なこともあるけど、体格がとても大きかったり、鳴き声が大きかったり、常に暴れていて木々を薙ぎ倒していたり……そんな感じで息を潜めるということを滅多にしないから、遠くから位置を推測しやすい。


 その情報を元に、早めに傭兵を雇って、魔物の近くに行かないように、魔物に見つからないようにして、魔物が討伐されるまでを生活する。

 それが一般的な対応。


 今回の調査対象が厄介なのは、その対応が通用しないから。

 ヤツらは地中で生活している。そして、思い出したかのように突然地上へと出てくる。




 この個体は以前から知られていた。

 その存在が確認されてから、たしか……4年ぐらい経つと思う。

 さっきも言った通り、魔物を見つけたら早めに傭兵を雇って狩ってもらうのが常識で、数年間も放置されている魔物はとても珍しい。


 なぜ放置……じゃなくて、観察なんだけど……されているかというと、人間を襲わないから。

 地上に出てくる、というのも、どうやら魔物自身が望んでいたことでは無いようで、しばらくジタバタしてから慌てて地中に戻る様子が何度も見られている。


 もちろん、ジタバタしているところに近づけばとても危険。

 この個体も他の例に漏れず、とても大きな身体をしている。ジタバタと言えば可愛いけれど、実際はかなりの轟音と土煙と振動を引き起こしている。その衝撃にショック死した家畜もいるらしい。


 いくら人間を襲わないと言っても、現に被害がある。

 それに、もし村のド真ん中にでも出てこられたら、村が壊滅してしまう。

 いつ襲ってくるかも分からない。

 こんな危険な魔物、早々に殺すべきだ。


 そういう意見もあって、過去には傭兵を雇ったこともあるらしい。


 だけど、相手は地中。

 さすがに地面を掘る訳にもいかず、地上に出てくるのを待つことになる。でも、いつ出てくるか分からない。時間だけがひたすら過ぎる。大金が傭兵に流れていく。

 ただの農村にとって、いつか地上に現れる魔物のためだけに、何もできない傭兵を雇い続けるのは難しかった。


 そんな時に、うちの研究室に話が来た。

 変わった魔物がいるんです、という世間話のようなものだったらしいけど、その魔物に興味を持った研究員が村へと押しかけ、出現日時とか場所とか、魔物に関する情報を集めて帰ってきた。


 そして情報を整理して、次に魔物が現れるであろう日時と場所を推測したところ……見事に当たったらしい。


 その研究員の推測によると、魔物が村の中に現れるのは数十年先だとか。魔物の行動が推測できる、そしてしばらくは安全である……その情報を告げた研究員は、村の人達に気に入られた。


 いつの間にか、その研究員は研究室に帰って来なくなった。



 そういうことがあって、この魔物はうちの研究室が観察することになっている。

 いったいどういう経緯があったのか、詳しくは聞いていないけど……村に住み着いているあの先輩は、今後もずっとこの村に住むのかな……それでいいのかな……。


 この話だけを聞くと、特別厄介なことは何もないように思える。

 今後もこの魔物に惚れ込んでいる先輩が生涯をかけて寄り添っていくだけ……になるはずだった。


 異変が起きたのは去年。

 現れるはずのない、例の魔物が現れた。


 いつも通りしばらくジタバタしてから地中に戻っていったものの、初めて研究員の推測を大きく外れることとなった。

 村の人達にとっては外れることぐらいあるだろう、という程度のものだったけど、研究員にとっては深刻だった。


 明らかな異常事態。

 彼女の身に何かが起きている。

 どうしよう。

 会えなかった。

 次はいつ会えるのだろう。

 早く助けてあげないと。


 いったい、先輩に、何があったのだろう……魔物を彼女と呼び、憔悴した様子の先輩にかける言葉が見つからなかった。




「先輩、資料まとめました」


 はっとして振り返れば、トッシュが立っていた。


「ありがと」


 綺麗にまとめてある資料に軽く目を通す。

 この後輩は学力で研究者になったような人間なので、どんな仕事も引き受けてくれるし、完璧に仕上げてくれる。年上なのをいいことに、書類仕事はついつい彼に丸投げしてしまう。

 ほんと、申し訳ない。でも、私は頭よりも身体を動かす方が向いているから、仕方ない。


「まとめている時に気づいたのですが」


 頭上から降ってくる声に顔を上げてみれば、彼の目は私の手元にある資料に向けられていた。


「問題の魔物は4体、ではないでしょうか」


 魔物が、4体……たしかに、出現頻度が段違いに高くなっていることや村の人達の目撃情報から、新たな個体が住み着いている可能性があることは聞いていた。

 でも、4体って、それはさすがに……多くないか。


「最初の個体、仮に1番とし、この1番の行動周期がこの論文の通りだとすると……」


 脇に抱えていた論文を見せてくれる。例の先輩の論文だ。でも、その、いきなり、ここで、そんな……。


「本来の出現地点に対し、実際はここに、53日早く現れた、ということは……このような経路を辿ったと考えられます」


 気づいたことを書いたのであろう別の紙を見せてくれる。紙は数式や図で一面びっちりと埋め尽くされている。見覚えのある記号に、頭の隅へと追いやった記憶が刺激される。これは……見覚えしかない。


「ということはここで進路を変える出来事があり、また、次にこの地点で目撃情報が得られたということは…………」


 後輩が淡々と説明してくれる。2番が存在する可能性の高さ。さらには未発見の3番、4番が存在する可能性とその出現予測。聞き覚えのある単語に記憶がさらに刺激される。これも……聞き覚えしかない。

 見覚えのある数式が何かを解き明かし、図がそれを示している。

 それらをかつて覚えたことがある、ということを覚えている……。


「…………と、考えたのですが……やはり、3番と4番の証明に関してはかなり手荒で……何らかの障害物による進路変更の方が現実的ですかね」


 後輩がこちらを見ている。何か、何かそれらしいことを言わなければならない。


「うーん……たしかに手荒かもしれないけど、でも、だからって棄てれる案ではない、かな。面白いと思う」


 面白い、という言葉は学者肌の人間を喜ばす魔法の言葉。案の定、後輩の瞳が僅かに光る。


「先生に言ってみる。ありがとね」

「いえ、お役に立てると良いのですが」

「大丈夫! 絶対に何か新しい発見があるから!」


 新しい、という言葉も学者肌の人間を喜ばす。きゅっと結ばれていた口が緩んだのを見て、胸をなで下ろす。

 よ、よかった……今回も、乗り越えれた……! 優秀な後輩の相手ってツラい……!



 扉をノックし、ドアノブを捻る。


「先生、資料ができたので持ってきました」

「……ありがとう、ジュディ」


 開いた扉の先、資料の向こう側から声が聞こえる。

 何をどうしたらこんなことになるのだろう。宙をたゆたい、机や床に積み上げられていた本や論文達が左右に分かれ、部屋の中に道ができる。

 姿を現した主任へと歩み寄り、資料を手渡す。


「どうぞ」

「うん」


 資料を受け取り、すぐに内容に目を通し始めた先生を見つめる。


「……どうかした?」


 顔を上げずに問われた言葉に、先程の会話を思い出しながら告げた。


「魔物、4体いますか」

「へえ」


 驚いた顔がこちらに向く。

 まさかの反応に少しどぎまぎしてしまった。


「や、そんなにいないですよね」

「うん? どうして?」


 妙に食いつきが良い。クリス君がいないのに、表情が明るい……気がする。どうしよう。困った。理由を問われても。何を言えば……。

 もう! 集中している時なら適当に流されると思ってたのに! 何に反応したんだろう……えーっと……。


「かなり、手荒な証明だと……トッシュから聞いたんですけど」

「んー……そっか……それって、もしかして……」


 先生が机の上にあった適当な紙を手に取り、裏返して筆を走らせる。図が描かれていく。その周りに次々と日時が、場所が、線が、数式が加わり……さっき見たばかりのモノが出来上がる。

 目の前で実践されても、やっぱり、よく分からない。

 というか、一瞬でコレが出来上がることが、理解できない。どういう頭の構造をしているんだろう。


「……こう、かな」

「…………はい、そうです」

「なるほど」


 先生が口元に笑みを浮かべて図を見つめている。

 ……ほんと、分からない。でも、私は、頭よりも身体を動かす方が、向いている、から……。


「それじゃ、外に行こうか」

「え?」

「魔物が地上近くまで上がってきてる」


 私の動揺を他所に、いつの間にか周囲に浮かんでいた資料達は床に積み上げられ、先生は涼しい顔で席を立っている。

 どうして魔物の動きが分かるのだろう。

 先生の頭の中がさっぱり分からない。




「もうすぐだから、少し待ってて」


 先生に連れられ、トッシュと先輩とともに村を出てしばらく歩いたところで告げられる。

 今から魔物達を地上に引き摺り出すらしい。信じていない訳では無いけれど、今まで見てきた資料にこの場所は書かれていなかった……気がする。本当にココに出てくるのだろうか。どうやって推測したのだろうか。出てきたとして、引き摺り出せるのだろうか。


 一点を見つめる先生に尋ねようとしたところで、先輩に肩を叩かれる。

 振り返れば、口の前に人差し指を立てていた。

 ……話しかけるな、ということ?


 困惑している間に先生が歩き出す。

 先輩はそれを黙って見ているし、トッシュもそれに倣って動かない。本当に……本当に、大丈夫なのだろうか。

 どうして、この2人は冷静に……ッ!?


「きゃっ」


 突然、地面が揺れる。らしくない悲鳴を上げてしまった。トッシュに身体を支えられている。恥ずかしい。

 でも、それよりも、先生が、1人、離れて……!


 揺れで私は動けないのに、先生は何事も無いかのように立っている。

 その足元が、割れる。


「せんせっ……!」


 言葉よりも先に、身体が動く。

 トッシュの手を振り解き、先生まであと一歩、というところで揺れが止まる。

 そして目の前に……真っ黒の、巨大な塊。


「えっ」

「ジュディ、危ないよ」


 何の感情も浮かんでいない顔に、心配されているとは思えない程に冷たい声。

 その場で脚が竦んでしまった。

 トッシュに両肩を支えられながら後ずさる。


 巨大な塊……地中から出てきたソレは、外見からうちの研究室が観察していた個体だとすぐに分かった。

 それが……宙に、浮いている……。


「もっちゃん……!」


 先輩の口から聞いてはいけないものを聞いてしまった気がする。


「次は新参者を引き出す」


 先生の鋭い声が聞こえた途端、急に息苦しくなる。

 何が……!


「先輩、離れましょう。魔力が、強すぎる」


 トッシュの呻くような声に頷く。私はとても喋れそうにない。

 これは……この息苦しさは、先生の魔力が原因……?


 先程よりも大きな揺れに襲われる。立っていられず、しゃがみ込む。

 先輩は宙に浮いたままの魔物へと這い寄っていた。

 こんな状況で動けるだなんて……その理由はともかく、あの根性は見習いたい……!


 息苦しさだけでなく、頭も痛くなってきた……。

 いったい、何をしているのか……相変わらず先生は真っ直ぐと立っている。


 地面が揺れるだけでなく、盛り上がり、崩れ、持ち上がっていく。

 その様子を先生は無表情で見つめている。


 そして大きな穴から……白色の、何本も横筋の入った……太く、長い、伸縮しながら、うねうねと動く……魔物……おえっ……気持ち悪……胴体の端には、円形の口が、大量の牙を、波打たせて……ううっ……。


 体表から触手のようなものが何本も出てきて、鞭のように振るわれている……気持ち悪い……それを先生が全て切り落としている……グロい……周囲に撒き散らされている体液が雑草を溶かしている……ヤバい……こっちに散ってきた体液をトッシュが魔法で防いでくれた……ありがとう……。


 棒立ちだった先生が右手を前に翳す。

 その手を、ゆっくりと、握りしめていく。


 魔物の動きがより一層激しくなる。耳を劈く悲鳴が響き渡る。切られた触手の断面から、体液が次々と溢れてくる。魔物の身体が球形に圧縮されていく。潰れる音が聞こえる。悲鳴が響く。体液が散る。草が溶ける。トッシュが守ってくれる。異臭が鼻を突く。視界が滲む。


 もう……無理。




「………………って感じかなあ」

「ふむ……」

「トッシュ君、これ、参考になるの?」

「今度、試してみます」


 目を覚ますと、3人の声が聞こえた。どうやら気を失ってしまっていたようで、ソファに寝かされていた。

 は、恥ずかしい……。


「ジュディ、体調はどう?」

「だ、大丈夫です……」


 私が目覚めたことに気づいた先生が真っ先に声をかけてくれる。

 上体を起こしながら答え、声のする方を向けば、先生と先輩とトッシュがこちらを見ていた。

 恥ずかしい……!


「ごめんね、事前に説明してなかったから」

「いえ、私こそ、まさか気を失うとは……すいません……」


 先生の方を見ていられず、俯いた私の声は小さかった。

 ……頭も、身体も、使えない、って……。


「それじゃ、今日はここまでにして、もう休もう。また明日ね」


 トッシュと先輩が返事をして席から立ち、部屋を出ていく。

 よく見れば、先生の部屋だった。

 慌てて立ち上がろうとしたところで、先生がすぐ側にまで来てしゃがんでいた。


「ありがとう、ジュディ」

「え……?」


 何に対するお礼か分からず、先生の笑顔をじっと見つめた。


「助けてくれようとして」

「……いえ、そんな……むしろ、すいません、ご迷惑を――」

「全然。嬉しかったよ」


 言葉を遮られる。

 恥ずかしくなって、また俯いてしまう。

 酔っているわけでもないのに、そんな、感情を真っ直ぐにぶつけられるのは、ちょっと……。


「明日からもよろしくね」

「はい……」


 ふと、思う。

 先生は、怒らない。叱らない。


 我が儘は言うけど、理不尽なことは言わない。

 少年愛好家ショタコンだけど、仕事はちゃんとこなしてる。

 単純バカだけど、難しいことがたくさんできる。

 研究も、魔法も……会話も。


 分かってる。

 先生のことを悪く言おうとしてしまうけど、でも。

 本当はずっと分かってた。


 初めて会った時から。

 研究室に配属されてから。

 今日、ここに来てから。


 ずっと見てきたから、知ってる。

 ずっと話してきたから、知ってる。


 先生は……すごい方だ。

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