119 変わらない
よく分からないけどもう街に到着した。
懐かしいなあ。2年半ぶりになるのか。街並みはあまり変わらない。少し道や壁がボロボロになって、あとはお店の人の外見が少し変わっている、それぐらいだ。いつも僕がお世話になっていたお店の人は元気にしているだろうか。それに、院長先生や、キャロルも。
今すぐみんなに会いに行きたいところだけど、もう夕方だ。だいぶ暗くなってきているし、いろいろあって疲れた。何より身体の節々が痛む。今日のところは宿を取ってゆっくり休んで体調を整え、明日行こう。ふふ、帰省なのに、宿をとるだなんて、なんだか可笑しいなあ。
「ワフッ」
うーん……ついてきてるんだよなあ、この犬。どうしよう。
「……で、お客さん」
手頃な宿を見つけ、宿の店主からいろいろと説明を聞き雑談を交わし、それでは支払い、というところで止められた。視線の先は、僕の後ろ。そこにいるのは、もちろん。
「その犬、どうするんだい?」
「えーっと……」
困った。白い犬は僕の後ろで座って待っている。僕が振り返れば尻尾を振るし、口を開けたその顔は笑って見えるような、かなり人懐っこい、それはそれは可愛らしい犬だ。
「なんか、懐かれちゃって、僕も困ってるんですけど……」
「でもねえ、犬を部屋に入れるのはちょっと、ねえ?」
ですよね。どれだけ人懐っこかろうが、可愛かろうが、犬を部屋に入れることはできない。大人しく座ってはいるけれど、僕が命令したんじゃないし。むしろ言う事聞いてくれないし。どうしようもない。でもどうにかしないといけない。どうしよう。
「外、出てくれる?」
白い犬は僕を見上げて尻尾を振っている。
「……こっち、おいで」
しかたなく犬を呼んで出入り口へと向かってみれば、ちゃんと来てくれた。そのまま宿の外に出て犬と向き合う。
「中に入っちゃ駄目だよ」
「ワン!」
「しーっ! 静かにね!」
「ワンッ!」
だ、誰か……この犬をしつけて……嬉しそうに尻尾を振り回しながら白い犬がこっちを見ている。なんて楽しそうなんだ。今この犬を刺激したら、吠えまくって走りまくりそうな、そんな嫌な予感がする。気のせいであってほしい。
「すわれ」
「ワフッ」
あああ……尻尾が、尻尾がすっごい振り回されて……うわああ……。
「ワンッ! ワンワンッ!!」
「ダメだってば……!」
「ヴッ」
ご、ごめん。いきなりで驚いたよね。でも、うるさいのがいけないんだよ。分かって。お願い。振り回されていた尻尾がゆるゆると落ちていく。僕の手に握られて口を強制的に閉められた犬は嫌そうだ。顔を背けて僕の手から逃れようとしている。少し力を入れて白い犬を抑え込む。
元気だから暴れまわるかと思ったけど、そうでもなかった。静かな攻防が少しだけ続き、白い犬が諦めたかのように大人しくなる。嫌だよね、こんな、口と鼻を封じ込めるようなことして……手を離して犬を撫でる。いい子だね、よしよし、よくできました。尻尾がゆっくりと振られる。
「ここで待ってられる?」
「……」
当然だけど返事は無い。犬の少し潤んだ瞳が僕を見上げている。うう、さっきの、辛かったんだね、ごめん。頭を撫でて罪悪感を和らげながら、犬の瞳を見つめる。
「宿には入らないようにね」
じゃ、またね。なんとなく悲しそうな顔をした白い犬に背を向けて宿に入る。ちょっとだけ心が痛む。勝手についてきたとはいえ、1人だった僕の側にずっといてくれたのに……いや、でも、本来は僕1人の旅だし……待ってもらわなくても、どこかに行かれても、僕は、困らない、から……。
か細い鳴き声が聞こえる気がする。気のせいかな。風の音かな。僕の様子を見ていた店主の元に戻って代金を支払い、鍵を受け取る。出入り口を見ないようにして部屋へと向う。
ちらりと受付に置かれていた暦表の日付を確認すれば、僕が王都を出た日から2日しか経っていない。この宿に着いてから何度あの暦表を確認したことか。何度見ても、日付は変わらない。
やはり、僕は記憶を失っていた間に大移動をしてしまったようだ。
そう結論付ける度に溜め息が零れそうになる。いったい、何が起こればそんなことになるんだ……自然と落ちる視線を上げ、眉間に寄る皺を伸ばし、部屋へと真っ直ぐに向かう。とにかく、休もう。痛みに震えそうになる身体を動かし、部屋に置かれたベッドの1つへと直行する。
余計なことに気を取られて、目的を達成できないんじゃ、いけないから……。
……ああ、また夢か。
視界に広がる光景ですぐに察した。部屋の四隅にベッドが4つ、向かい合って並べられたこの部屋。僕が今回借りた部屋だ。素泊まり専用の、相部屋。立地、客層、衛生面、妥協できるところは妥協しまくって、できる限り宿泊費を抑えた結果だ。既に先客がいたから、窓際のベッドが膨らんでいるのはその人が寝ているということだろう。
僕は入り口側で、その人と対角に位置するところのベッドに入った。あまり寝心地の良いベッドとは言えず、なかなか寝付けないかも、なんて思ったりもしたけど、どうやらすぐに寝入ってしまったようだ。寝るまでの記憶がほとんど無い。それだけ疲れていたのかな。確かに全身が妙に痛かったけどね。ベッドの中でぐっすり寝ている僕の姿が見える。
そう。僕は僕を見ている。今度は幽体離脱で悪夢を見せられるのかな? 天井から僕を……僕の側にいる人物を見下ろす。ベッドの脇にしゃがみ込み、僕の手を両手で握り、口元に寄せている、見覚えのある白髪。先日の悪夢で大活躍だった、あの白髪。あの姿があったからこそ、これが夢だとすぐに察した。今晩もまた、悪役を演じさせられるのか。
……半ば諦めながら、ブランを眺める。僕は……アイツから、何らかの魔力的な干渉を受けている。今後、悪夢だとか、被害妄想だとか、そんなことが続くのだろう。どうしてこうなったのか……いや、記憶によれば、この街でアイツに出会ってしまったから、みたいだけど……とにかく、この事実を受け入れざるを得ない。僕は、精神的苦痛を受け続ける。ひどい話だ。
だから、今晩も、そういうことなんだろう。ブランは僕の手を握ったまま動かない。でも、きっと、この後、また……また、ひどい目に遭うんだ。これは夢だから関係無い、と割り切りたいところだけど、そんなことができたら苦労しない。
よりによって、僕の親友が、僕を、殺すんだ。もちろん、僕は実際には殺されていない。ブランもノワールも僕を殺していない。でも、そういう夢を見たという事実が、重くのしかかってくる。何らかの深層心理がこの夢を見せているんじゃないか、魔力的な干渉なんて無いんじゃないか、全部僕の本心なんじゃないか……そんな思いが、どうしても浮かんでくる。
僕は……嫌なヤツ、なのかな……。
ブランは動かない。僕の手を口元に寄せたまま、じっとしている。何をしているんだろう? 変化の無い光景を眺め続けていても、ろくでもないことばかり考えてしまう。ブランが動かないなら、せめて、僕が……僕の視点が、動くことはできないだろうか。
床へ降りたい。床へ降りられないだろうか。夢だけど、久しぶりのブランだ。まだ狂気を見せていない、いつも通りのブランだ。近くで見たっていいだろう。少しだけでも懐かしい思いに浸らせてくれよ。
じわりじわりと視点が下がっていく。僕とブランへの距離が詰まっていく。ベッドで寝る僕は熟睡だ。ちっとも起きそうにない。悪夢にうなされていないだけ良かった、かな? ベッド脇のブランは……あれ? うん? えっと、これは……もしかして、か、噛んでる? ブランが、僕の指を、噛んでいる……?
強くは噛んでいないみたいで、僕の指から血は出ていない。いや、でも、え、どうして、噛んでるの? 何これ? すごく予想外で……えっと……。
なんで噛んでるの?