114 止まらない
ついに一人旅が始まった。
街道だから、それなりに通行量がある。何人か追い越したりすれ違ったりしたけど、その度に笑顔で気をつけてな、良い旅を、と声をかけてくれる。王都の中にいては絶対にこんな交流は無い。名前も知らない、再会するかも分からない相手。偶然すれ違った記念に挨拶を交わすだけの、そのたった一瞬の人情に心が惹かれる。
1人だからなのか、子供だからなのか、飛んでいるからなのか、驚いたように僕を見る人が多い。どうせ揶揄われると思って身構えていたけど、すれ違う一瞬をそんなことに使う人はいなかった。僕を一人前の冒険者として見てくれているのか、それとも赤の他人の命知らずな蛮行を止める気が無いのか、どちらにしても、旅をする人々が持つ共通の価値観のようなものは心地よかった。
僕もちゃんと挨拶を返したい、そう思ってついつい移動速度を落としてしまったがために、魔物にしっかり狙われてしまった。
うっかりしていた。人を探すのに気を取られ過ぎて、索敵をすっかり忘れていた。いやはやお恥ずかしい。でも、逃げられないなら仕方がない。気を取り直して、倒さないといけない。
四足歩行の、蹄を持った魔物。長く迫り出した2本の牙に、飛び出た鼻。灰色と桃色の体毛に覆われた身体は歪に膨れ上がっており、僕を追って走った跡には大量の血痕が残されている。見ていて痛々しい。
あと怖い。血を撒き散らしながら一心不乱に追いかけてくる。怖い。ブクブクの胴体が地面を蹴りあげる度に大きく揺れ、脚の動きと連動していない。怖い。見ていると不安になってくる。
落ち着いてくれ。頼む。
追いつかれない程度の速度を維持しつつ、弾幕を張る。木魔法で道端の草花から種や花弁、葉を拝借して撃ち込み、切りつけ、突き立てる。
軽くて威力はなくとも、既存の物質を少々強化する程度で発動できる木魔法は速さに優れる。特に草や木の豊富な外では、速さや量で押し切る時にとても使いやすい。火や水、雷、光や熱といったほとんどの魔法は速さも威力も量も熟練度が物を言うというのにあまり練習していないし、風は殺傷性に優れないし、土は変形させる時間が惜しい。重いし。その点、木魔法は速くて軽くて簡単で、今の状況にぴったりの魔法だ。
柔らかい粘膜を、目や鼻、口を優先的に狙う。幸いなことに、魔物は真っ直ぐ僕へと突っ込んできている。的は少々ブレるが、動き回られるより、狙いやすい……よしっ! 右目に種が命中した!
一瞬身体を縮ませたかと思うと、仰け反るようにして口を大きく開け、唾液を飛ばしながら悲鳴を上げる。激痛を振り払うように顔を振り回しつつも、一向に走るのをやめない。
頼む、やめてくれ。
弾幕の一部を顔から前脚へ、関節へと狙いを移す。葉を硬く、鋭く、細く、長く、繊維を変成させる。
ブッ刺され……!
何本もの葉が脚に突き刺さり、赤い剣山が出来上がっていく。前脚が終われば後ろ脚へ、動きを止めるべく集中的に関節を狙う。
たとえ狙いが外れても、身体のどこかを掠めていく。次第に赤く染まる体毛が、激しく揺れる胴体の動きに合わせて派手に血飛沫を舞わせる。大地に赤い線が引かれていく。
止まってくれ。頼むから。
目を、四肢の関節を狙い撃って潰したおかげで、魔物の動きが鈍ってきた。どうやらこの魔物、攻撃を避けるという概念は持ち合わせていないらしい。これだけ潰しても動くのだから納得の戦法だけど、相手が悪かったね。ていうか怖い。
胴体の揺れに耐えきれずふらつく魔物へと狙いを定め、土魔法で造った槍を脳天から突き立てる。喉が引き裂かれているかのような、濁った甲高い断末魔とともに魔物の動きが止まり、倒れる。
勢い良く地面に叩きつけられた身体から、その質量から生じる衝撃音とは別の、潰れるような嫌な音が鳴る。膨れ上がっていた身体が少し縮み、肛門から夥しい量の血液が吹き溢れている。
う、うわあ……。
辺りに充満している鉄の臭いに鼻を摘みながら、血溜まりに沈む魔物の死骸をいくつかに分割して燃やす。短時間で灰にしてやる、全力火葬だ……あ、うわ、めっちゃ熱い。温度を上げればすぐにその場を離れて、遠くから火達磨になっている死骸を眺める。魔力は絶えず供給して、飛び火しないように調節して……。
毛皮とか牙とか骨とかは武器や防具の素材になるんだろうけど、王都でなければ加工をお願いする人も買い取ってくれる人も知らないし、そもそも身軽さ優先の旅だから素材を持ち運ぶ余裕が無い。だから容赦無く攻撃して全身傷だらけにして殺して、バラバラにして燃やしているんだけど……うう、お金……。
脂のせいで火が強まる。温度が上がるのはいいけど、燃え広がるのはやめてよ。火の勢いを殺しつつ、その中心にある魔物だった物を見てみれば……既に黒い。素材達は全て炭に変わってしまった。ああ、お金……。
はあ……焦げ臭い中に混じっていた、芳ばしい香り……美味しそうだった。猪っぽかったもんなあ……豚肉みたいな感じかなあ……? ちなみに、魔物の肉を食べると猛烈な吐き気だとか、高熱やら頭痛やら、倦怠感やら下痢やら、幻覚やら痙攣やら……とにかく、かなり苦しいらしく、その程度は魔物によって異なるとか。
短くても数日、長ければ数ヶ月も苦しむことになるうえに、肝心の肉も不味いらしい。今まで食べてきた人達は何を考えて食べてしまったのだろう。知らなかったのか、よほどの空腹だったのか、知的好奇心からか……そんな人体実験紛いのこと、倫理的に問題があるぞ。食べたり食べさせたりするような研究者はいない……よね? ベレフ師匠なら、何て言うだろう……。
余計なことを考えている間に死骸は灰となり、どこかへ飛んでいった。残った骨も細かく砕く。よし、後処理完了、再出発だ。それにしても全力火葬のせいで暑い……ブッ飛ばそう。
うわ、太陽の位置がだいぶ高い。もうすぐ正午じゃないか。魔物との戦闘もあったし、予定より大幅に遅れている。といっても、夕方までには目的地に着くだろうけど……。
……魔法が好きに使えても、別に、楽しくないよ……そんな、馬鹿げた威力の攻撃魔法を何発も打ち込む訳無いじゃん。馬鹿か。相手の動きを見て、考えて、避けて、逃げて、攻撃して、そうやって戦わないといけないんだ。多少の無茶ができても、その反動がどこかで必ずある。それが1人旅の危険なところで……。
……違う。戦いたかったんじゃない。それは、違う……。