112 足りない
あの街に、僕が育った孤児院へ行く。
1人で旅をするならば、護衛を雇ったり、馬車を借りたり、行商に同行させてもらったり、そういう風にして身の安全と移動のための足を確保するものだ。その代わりに犠牲になるのは、時間とお金。安全のために複数人で移動させてもらう以上、当然支払うべき対価だ。その負担を拒むようならば、端から旅などするものではない。
しかし、これには前提がある。1人で旅ができないならば、つまり、1人で安全と足を確保できないならば、もっと言えば、1人で旅をする実力が無いならば、という前提だ。実力のある者ならば、1人で旅ができる。
その証拠とばかりに1人で大陸を巡る冒険者は実在しており、まるで生ける伝説かのように様々な逸話が語られている。曰く、魔物に襲撃された村を1人で救い、曰く、病に伏した子供を治し、曰く、氾濫した川を1人で堰き止め、曰く、山火事を1人で消火した……その者は魔法を使い、剣を振るい、空を翔け、各地の厄災を鎮め、また旅に出る……。
そんな徳を積みすぎている人の話はともかく、僕は1人で孤児院へ、あの街へ行くことにした。自分にそれだけの実力がある、という傲りからでは無い。金欠だからだ。あとのんびり移動していたら今月が終わるからだ。来月も授業を受けない、なんてことはしたくない。それに先日、北の山脈から1人で帰ってきた実績もある。やればできる。やらねばならぬ。できなければ……死ぬだけだ。
というのは半分冗談で、途中に点在する村々を経由すれば1人でも余裕で行けそうだったからだ。早朝出発、全力飛行で道を間違えさえしなければ、明るいうちに村に着いて……うう、優しく受け入れてもらえるといいなあ……そこは僕の交渉次第だけど、とにかく、いける。荷物も最低限に抑えた。あらゆる外敵を無視して突き進めば大丈夫。
大丈夫、だよ?
「にゃあああああ」
クロ……どうして、今回はそんなに……。
「んにゃあああああ」
僕を離してくれないの……。
「んにいいいいい」
北の山脈に行く時は驚くほど大人しくして見送ってくれたというのに、どうして今日は離れてくれないのだろう。まるで出会ったばかりの頃のようだ。あの時は諦めて王都の外にも学校にも連れていってしまったけど、さすがに今回は連れていけない。危険な目に遭うつもりは無いけど、もしものことがあるかもしれないし、それに猫を連れての一人旅って、そんな、どこのお伽噺だよ。ありえない。
あと、猫は気まぐれだ。突然居なくなられたりして、捜すのに時間を取られる、というような事態は避けたい。王都なら居なくなってもまた会えるだろうと思えるけど、辺境の村や街で居なくなられて、それでもしも見つけられなかったとしたら……再会できる気がしない。それは寂しすぎる。半分放し飼いとはいえ、クロは……家族みたいなものだ。そんな別れ方はしたくない。
「ちゃんと、帰ってくるから……」
剥がしても剥がしてもくっついてくる。まさか、クロに足止めされてしまうとは……せっかくの早起きが無駄になってしまう。
「ごめんね」
寮の外に出る。朝日はまだ低い。脚にくっついているクロを引き剥がしながら、風魔法で宙に浮かぶ。クロが跳んでも届かないであろう高さに達したら、クロを地面へと放る。無事に着地してくれた。それを確認したらすぐに高度を上げてその場を離れる。
さっさと王都を出ないと、ここでもたついていたら、またクロに追いつかれてくっつかれる。それだけならともかく、知り合いに見られでもしたらかなり面倒臭い。余計に時間を奪われる。そんなのゴメンだ。僕はさっさと王都を出るぞ。それでまずは西方へ、最初の目的地にしている農村へと行くんだ。
屋根を足場に西の外壁門へと跳んで向かう。周囲が明るくなってきている。急ごう。
外壁門前に着地する。それと同時に、外壁にもたれかかっていた茶髪の少年が歩き出す。真っ直ぐとこちらに向かってくるその姿に、僕も真っ直ぐに視線を返す。見慣れない顔つきをした、見慣れた顔。まさか、最後の最後で彼に見送ってもらえるとはね……土魔法で透明の壁を複数創造り、周囲に展開する。壁に魔力を注ぎ込んで強度を上げながら、距離を詰めてくる少年を睨みつける。
風魔法と火魔法の準備をしておく。地面へ充分に魔力を浸透させておく。指先に雷魔法を発動させておく。テッドは目の前にいる。来るなら来い、出方次第でどうとでもしてやる。手が届かない程度の間合いを開けて立ち止まったテッドの周囲で魔力が練られる気配がする。やる気か?
「1人で行くんだ」
聞き慣れない、低く暗い、落ち着いた声。ズボンのポケットに両手を突っ込み、少し伏せられた顔には、見慣れない、感情の薄い半眼。普段の快活さはどこにも見られず、むしろ鬱屈とした薄気味悪ささえ感じられる。僕に向けられた、独り言のような問いかけに答えず、テッドを睨みつける。僅かな動きも見逃さないように、集中する。
「1人で……行けるんだね」
テッドを覆う魔法の気配がより一層濃厚になっていく。
「それだけの力があるって、自信があるんだ。誰にも頼らなくて大丈夫だって、思ってるんだ。そうだよね、元々そうだった。俺は出来ることで努力して認めてもらわないといけなかったけど、クリスは最初から認められていた。だって、クリスは誰よりも魔法が使えた」
テッドの口だけが動き続ける。テッドとの間にさらに透明の壁を創る。幾重もの壁が僕を囲う。
「俺は努力して強くなったけど、クリスは誰よりも強かった。俺のように努力しなくても、すぐに隣に並べるぐらい強かった。すぐに頼られるぐらい強かった。それだけの実力があったし、それだけの信頼があった。俺は勉強できないけど、クリスは誰よりも勉強できる。俺は授業も試験も駄目だけど、クリスは誰よりも真面目にやってる」
テッドの口は動きを止めない。
「元々優等生で、今までもずっと優等生で、何でもできて、みんなもそれを知ってて、認めてて、頼って、クリスもそれに全部応えるんだ。それができるんだ。いいね。才能があって、それを認めてもらえてて、いいね。俺、馬鹿だから、できないんだ。ずっと馬鹿だったから、誰も期待しないし、認めないし、頼らないんだ。今までずっとそうだった」
独白が続く。壁を築く。魔力が渦巻く。
「でも、俺、中等部入ってからは頑張ったんだ。初めてちゃんと頑張ったんだ。頑張って、強くなって、それを見せて、ずっと、ずっと、少しずつ続けてたら、やっと、期待してもらえて、認めてもらえて、頼ってもらえて、初めてで、嬉しかったんだ。俺、やっと、見てもらえたんだ」
テッドが顔を上げる。虚ろな半眼が正面から僕を映す。ポケットから取り出された両手から、朝日を反射する金属の輝きが目に刺さる。
「やっと、手に入れたんだ。なのに、俺から……レジを、取らないでよ」
テッドが1歩踏み出す。僕は1歩後退る。壁も一緒に移動させる。
「クリスには、いらないだろ。もう十分持ってるだろ。なのに、取るなよ。俺の、たった1人だけの、俺を見てくれる人なんだ」
テッドの目の色が変わる。虚ろだった目に激情が混ざる。
「それでも取るって言うなら……」
空気を切り裂く音が耳を掠めた。
3月は更新をお休みします。
今後については次の活動報告にてお知らせします。