13 引っ越します
今話もよろしくお願いします。
王都での生活が変わる日が迫っている。
王都の学校には寮が併設されていて、入りたければ結構お安い値段で入れるみたいで、特に僕は特待生みたいな扱いもあって、実質無料で入寮できるよ、って言われたから、迷わず寮生活を選んだんだけど、寮でも研究所でもあまり通学距離は変わらないんだし、入らなくてもいいんじゃないかなあ、ってベレフ師匠は少し不満気だった。
新入生代表の挨拶は、ある程度の内容を考えれば後は学校側が添削してくれるらしいけど、やっぱり少しぐらい作法とか形式とかは勉強した方がいいよなあ、って思って買った参考書を何十周も読み込んで、満足のいく作品に仕上げて学校に送った。
数日後、僕が考えた挨拶文が全然添削されずにほぼそのまま戻ってきて、少し騙された気分になったけど、それを聞いたベレフ師匠は、当然だ、私の愛弟子の文章に直すところがあるわけがない、って何故か僕の評価が上がりまくってて、とてもやめてほしい。
部屋にはある程度の家具が備え付けられているらしいから、あとは本とか服とか装備とか、必要だったり持って行きたいものを持って行けば、入学式の1週間前から入れる、っていうから、少しずつ荷物をまとめて、といっても僕の私物なんてほとんどなくて、まとめるというよりも買い足していくような形で、すぐに荷造りも済んでしまった。
あと2日でこの部屋ともお別れかあ、なんて数か月お世話になった、僕の部屋になっていた仮眠室をぼんやりと見回したけど、正直言って僕の荷物って少しの服と護身用のカプセルと露店で買った雑貨、木刀と剣と革の防具、あとは新しいイス1脚ぐらいで、荷造りしたところでほとんど部屋の様子は変わってない。
ベレフ師匠は、何か好きな本でも持って行くかい、って聞いてくれたけど、読みたければここに戻ってくればいいだけだし、ジュディさんは、体さえあれば筋肉を鍛えれる、って言って、特に持たせたいものはないみたいだし、トッシュさんは特に何も……そういえば僕のお小遣いってどうなるんだろう、なんて、トッシュさんを護衛じゃなくて財布みたいな扱いをしてしまった。トッシュさん、ごめんなさい。
「お小遣い、か。そういえばいつもトッシュに渡していたね」
研究室で、本棚から本をふわふわと引き寄せていたベレフ師匠に早速尋ねてみたら、お金の出処が師匠のお財布だったことを知ってしまい、僕の無駄遣いがバレてるのかなあ、なんて思うと少し居心地が悪いし、僕のお金じゃないからって気まぐれにいろんなものを買ってたから、金額交渉は僕の分が悪そうだなあ、とか考えてた。
「今まで通りに、私が積み立てたお金を毎週直接渡そうか……そしたらクリス君と毎週会う口実にもなるし……」
引き寄せた本に視線を落としながら呟いた言葉を聞いて、どうやらベレフ師匠は前々から僕のためにお金を貯めてくれていたことも分かった。あとお金を餌に僕を釣ろうとしているんだろうなあ、普段師匠が見せないような悪い笑顔を浮かべていて、めんどくさいなあ、自力で稼ごうかなあ、なんて思った。
「入寮とか入学で予想外の出費が重なるかもしれませんし、たしかに毎週受け取るのがよさそうですね、最初の月だけは」
限定的な肯定で、毎週会わなくてよくないですか、っていう僕の本音はちゃんと伝わったみたいで、手元の本に視線を落としているベレフ師匠の表情に変化は無くとも、引き寄せた本と入れ替わりで本棚に向かっていた本の動きが、ぴたりと止まって、表紙がぺらりとめくれていた。
「申告制でもいいかもしれませんね、あまりたくさんお金を持っていても危ないだけですから」
そうすれば、僕がお金を受け取りたい時にしか来ない、ってことだけど、もし自力で稼ぐ手段が見つかれば、受け取りに行かない、ってことだ。ベレフ師匠の表情は相変わらず取り繕われているのに、宙に浮いた本のページが、ぺららららーとめくれていく。
「今月から寮に入りますが、入学式は来月なので、来月の最後の週の休日に決めましょう」
「……うん、そうだね」
終始手元に引き寄せた本から視線は上げていなかったけど、宙に浮いた本はベレフ師匠の心情をよく現しているみたいで、しばらく開きっぱなしだったページがゆっくりと閉じられて、ふらふらと本棚へ引き寄せられていった。
引っ越しの日を迎えた。
ついてきたがっていたベレフ師匠にはおとなしく研究室に引きこもってもらって、トッシュさんと寮へと向かったけど、ちょっと大きなカバンに半分ぐらいしか入っていない僕の荷物に、とても引っ越しらしさは感じられず、これでも服は買い足したはずなんだけどなあ、なんてぼんやり考えながら歩いていた。
すぐに寮に着いて、寮長さんだか管理人さんだかに、秋入学で入寮することと僕の名前を告げれば、すぐに対応してもらえて、簡単な寮の規則の説明と、部屋の鍵を受け取れば、すぐに中に入れた。ちなみに対応してくれた人は、くすんだ灰色の髪と髭の似合う、かっこいいおじさま管理人だった。
部屋には年季を感じるベッドと、勉強用であろう地味で小さな机とイス、申し訳程度のキッチンとクローゼットがついていて、お風呂とトイレとちゃんとしたキッチンは共用らしい。部屋は3人も入れば苦しいぐらいの狭さだったけど、寝て起きるだけなら十分な広さだ。
トッシュさんと寮の出入り口へ向かい、お礼を告げてトッシュさんが帰るのを見送っていたら、トッシュさんが途中でちらりと目線だけ振り返ったから、手を振ってみたら手を振り返してくれて、そういえば王都での完全な単独行動って初めてだなあ、なんて思うと不安なんだか楽しみなんだか、急にそわそわしてきて、見送るトッシュさんの後ろ姿がだんだんと滲んできたあたり、どうやら僕は寂しいみたい。
そんな僕の横顔をじいっと見ていたおじさま管理人が、ふっ、と笑いながら、ダンディなバリトンボイスで話しかけてくれた。
「クリス君、女子寮に移る?」
もし僕がカプセルを持っていたら間違いなく投げつけていたけど、幸か不幸かカプセルはまだカバンに入れたままだったから、呆然と見つめ返すぐらいしかできなかったし、何よりも訳が分からなくて泣けた。
ありがとうございました。
近くても、ホームシックは、やってくる。