103 落ちます
あの馬鹿! 珍獣! 戻ってこい!
岩壁を越えた、と思うと、更に切り立つ岩壁と崖に囲まれた、僅かに開けた場所に出た。テッドと魔物が対峙している。警戒しつつ、テッドの後ろに降り……って、うっわ、ここ、足場悪すぎ。ガタガタ。足首捻りそう。天然の戦場ってろくでもないな。
僕らが上ってきたのは右側の崖からで、その下には置いてきた2人が見える。左奥の崖は……谷に、なっているんだろうけど……反対側の崖までが随分と遠いな……? うん、見ないようにしよう。こんな危ないところで戦うつもりか。馬鹿だ。本当に馬鹿だ。
「テッド! 戻って! 戦わなくていいから!」
怒鳴りつけるように叫ぶ。返事は……無い。無視かよ! ふざけるな!
「ねえ!」
テッドに手を伸ばそうとして、逆に伸びてきた手に身体を押し飛ばされる。いったあ! なんなんだよ! もう! 顔を上げれば、目の前に、さっきまで離れたところにいた魔物が、そしてその角を掴むテッドの背中が見えた。
「危ないから下がって!」
そうじゃなくて、撤退しろっつってんだよ! 戦ってんじゃねえ! 話聞けよ! テッドの手から逃れようと首を振り、跳ね回る魔物。それを押さえつけようと踏ん張るテッド。クソッ、やるしかないのか!?
テッドが魔物の動きに合わせ、背中から地面に叩きつけようと背負い上げる。それに合わせて土柱を造るも、魔物が宙で暴れてテッドの手から離れ、土柱を足場にして大きく後方に跳ぶ。開いた距離をすぐに詰めるべく走り出したテッドの前方に魔力が集められる。魔法か……!
直後、魔物に向けられた、大爆発。範囲が広すぎて効率が悪いと思っていたけど……今みたいな足場の限られた場所では避けられない、有効な攻撃に――――
「避けて!」
は?
「もう!」
一瞬で僕の元へ跳んできたテッドに担がれる。ブレる視界に、響く轟音。音の発生源を見れば、さっきまで僕が立っていた地面が割れ、その中央に魔物がいる。ただでさえ悪い足場が崩壊している。ますます戦いづらくなった。あと、僕、足手まといになってしまった。ごめんなさい。
魔物から離れたところで雑に地面に降ろされ、尻もちをつく。あの、丁寧に扱ってください、痛いです……それと、名誉挽回させてね! テッドが動き出す前に……地面から周囲の岩石へ、隅々にまで魔力を流し込み、土魔法の準備をする。
僕の魔法に気づいたテッドが立ち止まる。魔物はまだ動いていない。おお、ちょうどいい的じゃないか! ほら、当たりやがれ! 周囲の岩石を細かくして、大量の礫を飛ばす。効け! そしてどっか行け! こっち来るな!
魔物が跳ねる。それを追うように飛ばす礫の方向を変える。身体を掠めたのか、体毛が赤く染まっている。痛そうですね! だったら逃げてくれませんかね! なんなら魔法を追加いたしましょうか! 雷を纏った礫とか最高だと思いますよ!
願いが通じたのか、魔物が僕らに背を向けて岩壁を駆け上っていく。助かった? もう来ない? 逃げてくれた? 信じるよ? 戻ってくるなよ? いや、やっぱり信じない。しつこく礫を飛ばし続ける。その姿が小さくなっても礫を、岩を飛ばす。いくつもの岩が放物線を描いて魔物の近くに落ちる。それらを避けつつ、さらに魔物が遠く離れていく。それでもずっと、飛ばし続けた。
岩壁、むしろ山と言うべきか、その向こうへと魔物の姿が消えたのを確認して、その場に座り込む。良かった、追い払えた。僕もテッドも無事だし、早く、エドを連れて、戻ろう……歩み寄ってきたテッドに手を差し伸べられる。その手を取れば、勢いよく身体が引き上げられ……突き飛ばされた。
「う、わっ」
身体が仰向けに、太陽が、青空が、目の前に広がる。
来たる衝撃に備えて……強張らせた身体が、どこにも着かない。浮遊感が止まない。
テッドがどんどん離れていく。小さくなっていく。
おかしい。おかしいぞ。どういうことだ。地面が……無い。
反転した視界で、足が空を向いている。
岩壁の……崖の上から、テッドに見下ろされている。
太陽を背にしていて、逆光で、表情が、よく見えない。
あれ、これは、つまり、僕、今、落ちているのか……?
え、えっと、崖……こっちは、右側だっけ。
いや、違う、最初に降りた場所とは逆の位置にいた、から……。
こっちは、来た方じゃ、なくて、みんなが、いない方、の、深そうな、谷……。
僕は……このまま、谷底に、落ちるのか……?
落ちている。どんどん落ちている。周りの風景が一瞬で過ぎ去っていく。
落ちていく。まだまだ落ちていく。逆さの視界が徐々に暗くなっていく。
嘘だ。
暗い。日光が届かない。まだ昼間なのに。
寒い。身体が動かない。まだ夏なのに。
嫌だ。
怖い。死にたくない。まだ……!
まだ、やりたいことが、やり残したことが、あるのに……!
なんで、どうして。
どうして、僕、落と、さ、れ――――