95 揺れます
対峙する2つの銀色。
「ポール……?」
あの髪色と小柄な身体、ポール以外には有り得ない。分かっているのに、尋ねてしまう。その僕の問いに、視線の先にいる人物は何の反応も示さない。僕には脇目も振らず、銀色の巨鳥を睨みつけている。
笑顔で。
「ねえ、ポール……」
頭が痛い。ポールの身体を雷光が包み、勢いよく弾ける。一直線に巨鳥へと飛び出したのが見えた。頭が、脈打つように痛む。巨鳥へと視線を向ければ、ポールが殴り掛かって……巨鳥まであと僅か、というところで、空中で留まっている。頭が割れそうだ。何が起こっているんだ。考えようにも、頭痛が酷すぎて……その場にしゃがみ込み、必死に観察する。
1人と1羽の動きが止まっている。図らずも、ポールを近くで見ることができた。身体から迸る稲妻、あれは……あんなことができるなんて、知らなかったけど……まさか、自身の身体に流しているとか、それで無理矢理筋肉を動かしている、とか。有り得そう。そういう、身体に負担が大きい魔法は良くないよ……。
それよりも目を引くのは表情だ。笑顔。笑顔ではあるけど、いつものあの爽やかさは微塵も感じられない。あんな、飢えた獣のような、凶暴な笑みは……ポールじゃ、ない。
それに、これだけ見ているというのに、ちっともこちらを見向きもしない。さっき名前を呼んだ時もそうだ。徹底的に無視されている。無視、だなんて、ポールらしくない。普段のポールじゃない。
空中に留まっていたポールの身体が後方へ弾け飛び、巨鳥が翼を広げる。一陣の風が吹き抜け、目を細めた一瞬の間に巨鳥の姿が消える。上を見れば、既に遥か上空を悠々と、北方へと飛び去る鳥の影があった。
頭痛は治まっていた。
「あまり、覚えてなくて……」
弾かれた先で座り込んでいたポールは心ここに在らず、といった様子だった。何度も名前を呼び、身体を揺さぶり、そうしてようやく僕を見てくれたかと思えば、会話ができない。聞こえていないのか、考えられないのか、茫然自失としたままだった。
聞きたいことはいろいろあった。あの巨鳥との戦い、気にならない訳が無い。ポールは2度攻撃を仕掛け、どちらも届くことなく弾き飛ばされていた。特に2度目に関しては空中に留まっていた。何が起こっていたというのか。当事者であるポールから詳しく聞きたかった。
それよりももっと気になるのは、あの雷だ。ポールが実は雷魔法を使えた、というのはこの際どうでもいい。それよりも、どうして魔法を使えたのか。僕は使えなかったのに、どうしてポールは使えていたのか。
全て、あの巨鳥が原因なのか。全て、あの巨鳥の仕業なのか。最初のあの暴風、感じなかった気配、使えない魔法、届かない攻撃、頭が割れそうなほどの痛み。それだけのことをしておいて、すぐに飛び去った。意味が分からない。何がしたかったんだ。
聞きたかった。ポールの意見を聞かせてほしかった。だけど、質問した僕に対する返事は……覚えていない。それきり口を噤み、みんなが地上に出てきたのを見て笑みを浮かべたかと思うと、そのまま気を失った。
ポールが目を覚ますまでその場で待つか、それとも進むか、引き返すか。あの巨鳥は……あの、魔物は、僕らの心を容易に揺るがしていった。一時的に歩みを止めるのに十分な脅威を見せつけていった。太刀打ちできなかった。あんなのが北の山脈にいるのかと思うと、帰りたくなる。
「あれはイレギュラーだ」
魔力を持つ動物、魔法を使う動物、魔物。あの巨鳥は魔物と呼べるだけの風魔法を使っていた。
「あんな魔物……見たことも聞いたこともない」
気を失い、僕に身体を支えられているポールを無表情で見下ろしつつ、エドが淡々と語る。
北の山脈は数々の命知らずな先人達が挑戦し、仲間と引き換えに多くの情報を持ち帰ってきた。その情報には山脈の地理的情報はもちろん、遭遇した魔物、特に撤退の原因となったような厄介な魔物の情報もある。
その情報とは、例えば遭遇場所だとか、外見、挙動、使用魔法等、魔物への対策を立てる際に参考になるようなことばかりだ。山脈へ挑戦する前にはその情報を確認するのが当然で、もちろん僕らも全員が確認している。
特にエドは、全て暗記しているのではないかというほどに読み込んできていた。そのエドが見たことも聞いたこともないという、銀色の巨鳥。卓越した風魔法に、奇怪な現象、行動の数々。何より特徴的なのは、その外見、かもしれない。
「だからって、今回の探索を、アレを理由に中止、なんて……認めない」
魔物の外見は、醜い。どこか特定の部位が異常に発達した、左右非対称の身体。理性が失われた、血走った目、垂れ流される涎。無差別に齎される暴力、魔法。そして、原色で塗りつぶされたような、毒々しい体色。
それに対して銀色の巨鳥は……魔物生態学が積み重ねた調査研究に当てはまらない個体といえる。それはつまり、シロとクロと同じような個体だということ。誰も知らなくて当然だ。珍しいなんてものじゃない。かなり希少だ。夢か幻と言われた方が納得できる。
短い人生の中でそんな魔物と3体も巡り合うなんて……僕、全ての運を使い果たしちゃったかも。
「また遭ったらどうするつもりだ」
なぜあの巨鳥が僕らの前に姿を現したのか。なぜ僕らを殺さずに去ったのか。何を考えているか全く分からない。分からないけど、待っていればいずれは山に入ってくる僕らを、わざわざ山から出てきて顔を見にきた。それは何を意味しているのだろうか。
「アイツの前では魔法が使えない。使えたとしても、対抗できない」
魔物ならば獲物を求めて彷徨い続ける。食欲か、戦闘欲か、そういった湧き出る欲求をひたすら満たすためだけに移動し続ける。山脈のような行動範囲が制限されるような場所でなければ、魔物はどこにでも現れ得る。
北の山脈で過去の発見報告が参考になるのは、実際に同じ個体が複数回目撃されている、という事実があるからだ。さらに、複雑な地形に移動を阻まれるために多くの魔物が平原へ出られない、という推測もあるからだ。仮に平原から山脈へ入る魔物がいるとしたら、その魔物は山脈に留まり続ける。そのために北の山脈は魔物の生息数が異常に多いのではないか。それが一般的に考えられていることだ。
ちなみに、その推測を証明するために山脈内に迷路を設置、魔物の迷路攻略成功率を計測する、なんて一見馬鹿げた実験まで行われた。まあ、凶暴な魔物によってすぐに破壊されたらしいけど、成功率はかなり低かったらしい。その実験報告も、野生動物での対照実験を行え、適切な比較対象があるならな、とボロクソに叩かれて以来、続報は無い。研究者って、大変だ。
「……できなかったんじゃなくて、しなかったんだろ」
それはともかく、あの銀色の巨鳥はどのような行動を取るのだろうか。シロとクロと同じ、理性を、知性を持った魔物。彼等は欲求に付き従うようなことはしない。彼等は普通の動物と同等以上の扱いができることを僕の記憶が嫌というほど教えてくれる。そして動物が外敵を見にくる、というのはどういうことか。あの巨鳥がしたかったことは何なのか。
あれだけの魔法を見せられて、圧倒的な差を見せられて……それなのにこんなことを言えば、みんなどういう反応をするだろう。それでも、ポールの攻撃に対して巨鳥が示したあの過剰な反応を思えば、納得できる気がする。
「やるんだよ……やれよ、次は」
きっと、あの銀色の巨鳥とは遭遇しない。
「依頼主の言う事、聞けよ。何のためにここにいるんだ、護衛だろ」
僕らという外敵から逃げるために、僕らを見にきた。
「こっちは金払ってんだ。その分働いてもらわないと困るんだよ」
なんて、楽観的すぎるだろうか……って、ちょっと待って。
「エド……その言い分、面白くないね」
何だこの険悪な雰囲気! 僕が考え事をしている間に何がどうなってこうなった!?