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90 備えます

 撫でられた。アルのくせに。




 セルマさんとの交渉で意識したのは揺さぶりをかけること。その程度だ。彼女は僕を教会へ取り込むか、最低でも僕と一対一で対話できる関係を維持しようとしていた。それは先月の取り乱し方や強い意志の込められた瞳から明らかだ。



 彼女は男女の情事を装って僕を教会へと取り込もうとしていた。しかし、時期尚早だったと言うべきか、手段を誤ったと言うべきか、相手が悪かったと言うべきか。僕は色事に現を抜かさない、さらに泣き落としも通用しない相手だった。


 僕の反応は彼女にとって想定外だった。結果、焦った。そして、感情で絆すのではなく、理屈で説得することを試みた。それが先月の出来事、ということだろう。


 果たしてそれは聖女に下された命令だったのか、それとも聖職者として当然の解釈だったのか。どちらにせよ、彼女は失敗した。彼女の発言は僕に大きな不信感を抱かせ、1ヵ月以上距離を置かれるほどの大きな失態を演じることとなった。


 また、彼女は職務に対して非常に誠実だ。そんな彼女の聖女としての矜持が、己の失態を許せるはずがない。必ず、名誉を挽回するために再び僕の前に姿を現し、何らかの交渉を行うことになるだろう。


 彼女は一度失敗した。二度目は冷静な、狡猾な立ち居振る舞いをするであろうことは容易に想像がつく。それに対して正々堂々と真正面から立ち向かっては万が一、ということも有り得る。こちらも作戦を、武器を用意しなければならない。



 そう思っていた矢先の再接触だった。僕としては非常に条件が悪かった。はっきり言って、準備不足だった。不利だった。終わったかと思った。怖かった……アルの阿保……。


 幸か不幸か、彼女の交渉能力の低さに救われた。彼女にとって最悪の結果、僕との絶縁の可能性をチラつかせれば、すぐに冷静さを失った。


 そうなれば話の主導権はこちらが握ったようなものだ。後は彼女から好条件を引き摺り出すのみ。


 結果は上々だ。僕は教会に身を移さない。教会に単身で乗り込まない。今後交渉の場を要する場合はこちらが場所を指定する。緊急時には協力してもらう。ついでに、情報提供も。とは言っても、ただの口約束。これらがどれだけ有効かは定かではない。ただ、彼女より有利に立てていることは間違い無いだろう。


 これだけの話をするのに、僕は仮想敵を設定して交渉に当たった。仮想敵。僕に、そして交渉の都合上、聖女にも害を為し得る存在。僕と聖女の関係性を知る人物。僕の同期で、友人で、協力者で、相談相手で、最も危険な人物。


 アルダス。


 彼を僕の仮想敵とする。彼が存在する以上、僕は危険である。そして同時に、聖女までその毒牙にかかる可能性すらある。なぜなら彼は僕と彼女の関係を知っている。彼女が僕にとって有効な人質たり得ることを知っている。僕と彼女がその日教会で会っていたことさえも知っている。


 その彼から彼女を救うには、あの日、絶縁するのが最も有効だった。そうすれば、彼女の人質としての価値は落ちる。彼女を攫うという大きな危険を冒したところで得られる効果が小さいのならば、彼女が狙われる確率は大幅に低下する。


 それを踏まえて伝えたのだ。僕は、これ以上、貴女と会うべきでは、ない、と。



 ……こういったことは初めてだったけど、どうにか上手く事が運べた。これで僕が教会に拘束される危険性は下げられた、はず。ついでに情報を上手く聞き出せれば、今後、動きやすくなりそうだ……。


 ……ごめんね、アル。君である必要は無かった。他にも想定し得る存在はいた。だというのに、君を選んでしまった。


 仮想敵とは言えど、僕は……。




 セルマさんとの一件が済めばその後は平穏なものだった。急用が入ることも無ければ、誰かに絡まれることも無い。レジーと一緒に外に出ても、大きな怪我をするようなことも無ければ、事件に巻き込まれることも無い。


 お金は少しずつ貯まるし、北の山脈への準備は着々と進むし、夏休みが終わりに近いのもあって里帰りしていた寮生が帰ってくるし、日に日に寮内の雰囲気は明るくなっていく。僕らも北の山脈の探索に向けて程良い緊張感があって気持ちが少し昂っているのか、準備を含めて毎日が充実している。


 もちろん、気になることはたくさんある。小さなことから大きなことまで、いろいろある。でも、少しだけ忘れられた。目の前のことにだけ意識を割けられた。このまま学校が始まって、全部、自然消滅してしまえばいいのに。


 そんな願い、叶うはずもないけどね。


 表面上は何の問題も無く、北の山脈へと出発する日を迎えた。



「もう一度確認するぞ」


 朝。旅装に身を包み、各々事前に用意していた荷物を手に寮の玄関ホールへと集合した。6人で机を囲い、レジーが広げた地図へ視線を落とす。1枚は王都周辺、もう1枚は北の山脈が描かれている。


 大陸北部に位置する王都のさらに北部で東西に連なっているのが北の山脈だ。その東端と西端は海に面した断崖絶壁で、山脈以北へ一切の侵入を許さない。その先に広がるであろう、未開の地。大陸北の海岸線から微かに見える、北に伸びる半島の姿。誰もがその地を夢見て我先にと帆を張るも、半島と大陸の間に広がる北方海域で儚く散っていった。


 山脈も海域も、その魔物の多さは海の藻屑となった者達の末路が魔物故ではないのか。死の苦しみが、生への執着が彼等を醜い姿へと変えているのではないのか。そんな法螺話がまことしやかに囁かれるほど、今回の目的地である北の山脈には魔物が多く生息している。危険であることは言うまでもない。


「東の外壁門から出て北上。目的地は東順路入口から2つ目の洞穴」


 地図をなぞる指先が一点で止まる。北の山脈へは王都を挟んで東と西から入ることができ、それぞれ東順路、西順路と呼ばれている。今回はエドとポールの目的から山脈東部、つまり東順路を探索することになっている。


「ここを拠点にする」


 とん、と指先で地図を叩く音が静かに響く。山中には先人達によりいくつか洞穴が掘られている。探索の拠点として冒険者達が利用しているが、必ずしも安全とは言えない。過去には惨劇が起きたために塞がれた洞穴もあると聞く。それでも、山中で無防備に野営をするのに比べれば遥かに安全だ。


「探索は2日目のみ。その翌日には必ず帰る」


 レジーが地図から顔を上げ、僕らを順に見る。その目には有無を言わせぬ気迫が込められている。


「いいな」


 無言で、みんなが一斉に頷く。たとえ目的の物が得られなくとも、必ず、全員で、無事に、帰る。この1週間、何度も聞いた言葉を心の中で繰り返す。危険を冒さない。深入りしない。単独行動しない。無理をしない。誰も殺させない。


 絶対に、生きて帰る。

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