episode 16 : Selma Tiare = Aither
スリーわんデーです! 2016年最後の投稿かと思いきや、ついに300,000文字を突破、部数は3桁になっていました!
そんな記念すべき一話は……聖女様ー!
その日以降も教皇様はいらっしゃいました。日に日に不思議な感覚をしっかりと感じられるようになりました。
最初は漠然と苦痛が和らいだことしか分かりませんでしたが、療養が終わる頃には教皇様が強弱をつけて力を使っておられることも、どこまで教皇様の力が及んでいるのかも分かるようになってきました。その療養も、いつもなら1ヵ月程要していましたが、今回は2週間程で起き上がれるようになりました。
つまりこれこそが、苦痛を和らげ、取り除く、これこそが私に授けられた力なのだと、この時に明確に理解しました。
それからの私の日課は大きく変わりました。祈りや礼拝にはこれまで通り参加していましたが、炊事や清掃のような、共同生活上必要な分担作業を私が担うことが無くなりました。その代わり、教皇様から力の使い方を、ナディムから教典の内容を学ぶ時間が多く取られるようになりました。
教皇様から特に力の使い方を口頭で示されることはありません。私も指導を仰ぐようなことはしません。これまでずっと教皇様は実践して見せてくださいました。その通りにするだけでよいのです。教皇様の片手を両手で包み込むようにして胸の前に抱え、目を閉じ、集中します。あの力をイメージします。それを毎日繰り返しています。
結果は、芳しく、ありません……毎日、終了時刻ギリギリまでやらせていただいています。しかし、いくらやっても手応えはありませんし、教皇様も何も仰いません。
せっかく、応えられたと思ったのに、また、行き詰まってしまいました。
「失礼します」
いつもの時刻に、いつものようにドアをノックし、いつものように部屋に入ります。教皇様も、いつものように書斎机で本を読んでいらっしゃいます。私の姿を一瞥し、本を閉じてから、部屋の椅子を教皇様の右隣に引き寄せてくださいます。
自分で運びます、と何度か告げたのですが……それでも椅子の用意をしてくださることが、少し、嬉しいです。
「今日もよろしくおねがいします」
椅子の隣に立ってそう告げてから、腰かけます。差し出された右手に両手を重ね、胸の前に掲げて包み込みます。そして目を閉じ、両の手の平へ意識を集中させます。
教皇様がしてくださったように、あの温もりを。
あの優しさを。
あの安心感を……。
どれだけ強く思っても、やはり手応えがありません。このまま続けていて、何か変わるのでしょうか。私のやり方は、間違っているのではないでしょうか。
力が入りかけた両手を緩め、ふと、目を開けました。
目の前では、教皇様が、目を閉じて、背もたれに身体を預けています。お疲れ、ですよね。当然です。お忙しいに決まっています。だというのに、私のために貴重な時間を割いてくださっています。
眼下には、私が抱えている、右手。今まで何も考えていませんでしたが、この腕の角度、不自然ではないでしょうか。肘掛に肘が置かれ、そこから私の前まで伸ばされた、右腕。なんだか疲れそうです。私自身の事にばかり意識が向いていて、ちっとも教皇様の事を考えていませんでした。
少しでも、教皇様が、楽な体勢を。
椅子の肘掛に沿うように右腕を乗せ、改めて両手を、教皇様の手を挟みこむようにして重ねます。教皇様は目を閉じたまま、特に何も仰いません。
ちら、と書斎机を見れば、本はもちろんですが、難しそうな資料もたくさんあります。立てかけられた羽ペンは、重ねられた書類の端に見られる、あの、サインをするためにあるのでしょうか。
右手を見れば、私よりも大きいだけではありません。男性らしい、節くれ立った指。インクの汚れか、黒くなった手の平の側面。それよりも目を引くのは、ところどころ赤く腫れている指先……痛そうです。そっと、手の平を腫れた指先へと移動させます。
この痛みを、和らげられれば……。
「終わりだ」
教皇様の声で、意識が引き戻されます。今日も、手応えはありませんでした。目を開け、教皇様の手からそっと両手を離し、椅子から立ち上がります。
「ありがとうございました……」
椅子を元の場所に戻し、ドアへ向かいます。
「失礼しました」
部屋を出る前に振り返れば、教皇様は椅子に腰かけたまま、私を一瞥しました。いつも通りです。
今日も、いつも通りでした。
焦燥感に駆られながらも日課を行い続け、また1日が始まろうとしていた、ある日の朝。
訪れるはずの無いあの苦痛が、私を襲いました。
今まで数ヵ月毎に定期的に訪れていたというのに、なぜか今回はたったの1ヵ月で病に伏せることになりました。今まで数日早まることや遅れることはあっても、ここまで早まったことはありません。ナディムも驚いてはいましたが、すぐに対応してくださいました。
また、早まっただけではありません。いつも苦痛のあまり初日は意識が朦朧としてしまうのですが、今回はそのようなことはありませんでした。確かに悪寒と倦怠感と嘔吐感、どの症状も無くなってはいませんでしたが、それでも半ば意識を失うようにして眠りにつくほどの重い症状ではありませんでした。
しかし、意識を失いはするものの、それだけ痛苦に苛まれる体感時間が短い今までと、意識を失うことはなくとも、それだけ体感時間が長い今回と、どちらが楽なのでしょう。どちらも苦しいことに変わりはないのですが、やはりと言うべきか、どうしても涙が溢れてしまいます。
なぜ私はこのような病に苛まれているのでしょう。
なぜ、教皇様は、来てくださらなかったのでしょう。
それ以降、病の周期は少しだけ変わりました。約1ヵ月毎に、約1週間。それまでと比べると間隔も期間も短くなり、苦痛も和らぎました。そして教皇様は来てくださらなくなりました。
日課はいつもと変わりません。毎日の祈りと、礼拝と、学校と、それから教皇様に力を使うための時間をいただき、ナディムから教典の内容を学びます。
この頃には1人の聖職者として恥ずかしくない程度の立ち居振る舞いはできるようになっていました。しかし聖女としては、授けられた力を満足に使えるようになるという面では、全く成長が見られませんでした。
気づけば季節は一巡し、私は11歳になっていました。
初等部を卒業したため、一時的に日課から外されていた諸々の役割分担の一部を私も担うようになりました。しかしそれ以上に、教皇様のお側にいる時間が多くなりました。
といっても、教皇様は主に書類仕事をされています。日課が一通り終わり、ナディムとの勉強が始まるまでの日中の時間帯を教皇様のお側で過ごすのですが、その時間のほとんどは部屋で書類仕事をして過ごされています。
稀に宿舎や教会、時には王都を巡回されますが、私がついて行けるのは宿舎と教会の敷地内までです。
書類には機密事項が含まれたものがあるために私にできることは多くありません。一部、簡単な報告書等の書類整理を任されることはありますが、私にできることはその程度のものです。
後は教皇様が定期的に休憩を取られるのですが、その時間を私にくださるため、以前よりも長く集中させていただけるようになりました。
そして、その瞬間は呆気なく訪れました。
いつも通り、その日も赤く腫れた指先へと意識を集中させていました。不意に、教皇様の手がぴくりと動いたのです。
「いかがされましたか?」
初めてのことでしたので咄嗟に尋ねたのです。それまで一度も微動だにすることがなかったというのも驚きですが、それでも普段瞼を下ろしていらっしゃる教皇様が瞼を上げて私を、いえ、私が両手を重ねている右手を見ていらしたのです。その異変に過剰に反応してしまいました。
教皇様が私の手の中から右手を抜き取り、その指先を静かに観察されています。突然のことに驚いて呆然とその様子を眺めていたのですが、次第に期待のような不安のような、妙な胸のざわつきに無意識のうちに両手を握り締めて教皇様の言葉を待っていました。
「セルマ・ティアレ=アイテル」
「は、い」
周りの聖職者の方々は私を聖女と呼びます。その、呼ばれ慣れていない私の名を耳にし、一層緊張が高まります。教皇様の赤色の瞳が指先から私へと向けられました。
「使えたようだな」
教皇様の右手が目の前に差し出されます。よく見れば、指先の、あの、赤い腫れが、なくなって、いました。
「あ……!」
思わず教皇様の右手を手に取り、その指先を確認するように指を這わせてしまいました。確かに、色はもちろんですが、熱も、不自然な凹凸も、ありません。
私が、やったのです。私は、できたのです。痛みを、和らげることが、取り除くことが、力を使うことが、聖女としての役目を果たすことが、できたのです。
「その力は与えられた力だ」
顔を上げ、教皇様に視線を向けます。無機質な赤い瞳と目が合います。
「深く愛されたが故の力だ」
淡々と告げられる言葉に耳を傾けます。
「感謝と称賛の心を忘れず今後も精進しなさい」
その言葉に、強く頷きます。
「はい、ありがとうございます、教皇様」
私は聖女なのだと、強く実感した瞬間でした。そして聖女としての役目を全うするべく、聖女としての務めを果たすべく、より励もうと漠然とした意欲が溢れてきました。
そんな私に、教皇様の右手が、そっと、触れたのです。
「よくやった……セルマ」
頭に感じる重みに、喜びを隠すことができませんでした。
しばらくは力が使える時と使えない時がありましたが、日を重ねるにつれて段々と安定していきました。
そうなると私の日課はまた変わりました。教皇様のお側にいた時間は使徒職へ、宿舎に隣接するように建てられた孤児院での務めへと変わりました。少々寂しくはありましたが、それを口に出す訳にはいきません。
孤児院での務めは多岐にわたります。宿舎での朝の祈りや清掃等を一通り終えてから孤児院へと伺うのですが、その頃というのは孤児院でもちょうど朝食や片づけが一通り終えたところで、みんなが遊び出す時間でもあります。
男の子はもちろん外へ行きますし、女の子は中で絵本やおままごとをすることもあれば、男の子たちと一緒に外へ、近くにある公園へと行くこともあります。私はみんなが逸れないように、危険な目に遭わないように一緒について回ります。
もちろん、私以外にも修道女や修道士の方々がついていますが、それでも完璧に怪我を防ぐことなどできません。むしろ、怪我の無い日はありません。そしてそれは私が聖女として力を使う時でもありました。
お昼になれば孤児院でみんなと食事を共にし、片付けをすれば絵本等を読み聞かせ、お昼寝の時間にみんなを寝付かせてからその日の雑務を済ませます。
しばらくして目が覚めたみんなに遊びへと連れ回され、暗くなる前に孤児院へと帰り夕食を頂き、湯浴みのお手伝いをして、みんなが寝付くまで寄り添います。それから宿舎へと戻り夜の祈りを捧げてから就寝となります。
毎日そのように過ごしていました。かつて孤児院で孤児として過ごしており、1日の過ごし方は十分に理解していましたが、孤児として過ごすのと聖職者として過ごすのとでは大きく異なりました。
それまでずっと宿舎内で過ごし、定期的に病に伏せていた身にはみんなに付いて行くのが体力的に辛い時もありましたし、問題ばかりが起きて同じような日が二度とない日々は大変でした。
しかし、それ以上にとても充実していました。毎日がとても楽しかったです。
同時に、聖女に求められる役割というものを漠然と理解することにも繋がりました。ただ怪我を治せるだけでは聖女ではありません。1人の聖職者として教え導くことができなければなりません。
1人前の聖職者となったとき、聖女としてそこから何ができるのか。寵愛を受けた身でするべきことは何か。それを達成する手段としての力であり、力を使うことは目的ではありません。
みんなから向けられる純粋な瞳に、純粋な言葉に、私が聖女であることを、聖女が私であることをより深く実感させられました。
そのような生活が数年続きました。
相変わらず病は定期的に訪れていましたし、孤児院へと通う日々も変わりなく続いていました。教皇様と毎日お会いすることはできなくなっていましたが、偶然孤児院からの帰りが遅くなった時に教皇様が教会で1人夜の祈りを捧げておられることを知ってからは、ご一緒させていただくようになりました。
満足していました。孤児院のみんなに教えを説き、愛を伝え、救いの手を差し伸べ、孤児院から巣立っていく姿を見送ることは、寂しくもありましたが達成感もありました。巣立った子達が再び私達に会いに来てくれることを嬉しく思いました。ずっとこのような生活が続くと思っていました。
きっかけは、15歳の時でした。朝目覚めると、病の時のような不調を感じるのですが、動けないほどではなく、また、病の時には感じることのない腹痛がありました。
部屋を訪れたナディムにそのことを告げれば、何かに思い至ったかのように部屋を出て行き、しばらくしてから年上の修道女の方が来られました。
そうして告げられたのは、私が遅い初潮を迎えた、ということでした。
その方は私が大人になったのだと仰られました。めでたいことであると、お祝いの言葉をかけていただきました。初めて感じる、鈍い下腹部の痛みが、大人になった証のようでした。不思議な感覚でした。
初潮が終われば、数年ぶりに教皇様から呼び出され、部屋へと伺うことになりました。
「セルマ」
かつてのように書斎机で本を読んでおられた教皇様は、部屋に私が入ってきたことを確認すると、かつてのように備え付けの椅子を教皇様の右隣りへと引き寄せてくださいました。
一言断りを入れてから腰かけた私に赤色の瞳を向け、私の名前を口にしてから用件を告げられました。
「来年から聖女として、より広く役目を全うしてもらう」
現状に満足していた私としては、予想外の言葉でした。予想外ではありましたが、すぐに理解しました。聖女の役目は現状では十分に果たせていなかったのです。
満足していた自分自身を恥じるとともに、神の、主の意向に沿った働きができることへ感謝しました。
「御心のままに」
左手を胸に当て、返答します。
数秒、私達の間を沈黙が降りました。
それからベルが鳴らされ、ナディムが部屋へと訪れました。椅子を所定の位置に戻し、挨拶をしてから退室します。
来年から、どのような務めが課されるのでしょうか。
聖女として、役目を全うしなければなりません。
我が主の御心を、広くこの地に齎すために。
よいお年を!