10 楽しみます
今話もよろしくお願いします。
王都での生活が板についてきた。
季節は夏になり、暑い日が続いているけど、暑くなると熱くなるのが人の性みたいで、もうすぐ大きなお祭りがあるらしく、大通りを歩いていると少しずつ街並みが変わっていたり、何か宣伝していたりと、準備をしている様子がそこかしこで見られる。
「師匠はお祭りに行くんですか」
春はとにかく王都の地図を叩き込むために朝から晩まで王都探索に費やしていたけど、夏になった今ではだいたい把握できたし、暑いし、昼過ぎには研究室に戻って、ジュディさんと一緒に助手みたいなことをしたり、筋トレしたり木刀を振ったりしているから、ベレフ師匠と話す機会も多い。
「ああ、祭りには研究所も参加するからね、私もどこかで手伝ってるんじゃないかなあ」
「えっ、もしかして一緒に回れないんですか」
最近のベレフ師匠は、かつてのだらけた生活は何だったのかってぐらいにバリバリに研究員してて、研究室に住んでる研究員は師匠ぐらいだってことに気づいたのは最近のことで、たまには以前みたいに適当な会話がしたいなあ、って思ってただけにちょっぴり寂しい。
「いや、そんなことないよ!絶対に抜けるから!一緒に回ろう!クリス君!」
ベレフ師匠にしては珍しい、かなり強い言い方で少しびっくりして、もしかして無理矢理言わせちゃったかなあ、って思ってジュディさんとトッシュさんの顔をちらっと伺ってみたけど、ジュディさんはにっこり笑い返してくれるだけだし、トッシュさんは軽く頷くだけだし、よかったのかな、よかったんだよね、よかったってことにするよ?
「はい!えへへ、ちゃんと計画立てなきゃ」
無理矢理だろうと何だろうとやっぱり嬉しいなあ、って思ったのが、こっそり呟いたつもりなのにずいぶんと明るい声になっちゃった僕の声からもバレバレで、すっごく恥ずかしかったから、顔を見られる前に街中で受け取ったお祭りのパンフレットとかチラシとかを見るために、速足で仮眠室に逃げ込んだ。
王都で迷子にされた。
どこで何がどんなことをしているのか、東西南北各広場のステージでどんな催しをしているのか、おすすめの露店はどこにあるのか、僕なりに一生懸命調べて、ベレフ師匠がいつ僕らと一緒に回れるか、っていうのも考えて、研究所の催しがある北を中心に行きたいところをまとめていた。
お祭りは3日間開催されて、ベレフ師匠と一緒に回れるのは最終日らしいから、1日目と2日目は好きな所に行けるのかあ、でも師匠に会いに、いや冷やかしに行くのもいいかもなあ、とかいろいろ考えて、1日目は師匠と回るところを下見して、2日目に気になるところを片っ端から回ってやろう、ってわくわくしていた。
予定通り1日目は下見に費やして、3日目のスケジュールをちょこちょこ弄って、2日目はトッシュさんに申し訳なかったけど、ずっと走り回るような勢いで北とか南とか西とか行って、3日目はベレフ師匠と一緒に予定通り、すごく順調に、というか僕が1日目の下見は何だったのかってぐらいにめちゃくちゃ楽しんでいた。
「クリス君、お勧めの場所があるんだけど、来てくれるかな」
もうすぐお祭りが終わろうという頃、北広場のステージでの催しも無視してベレフ師匠といろいろ話していたとき、それまで僕に引っ張られるままだった師匠の提案に、そういえばずっと振り回し続けてたなあ、これは失敗だったかなあ、なんて思いながら、断る理由も無いので頷き返せば、笑顔の師匠が僕の手を引いて歩き出した。
北広場の人混みを抜けるまであともう少し、といったところで急に周りがわっと湧いて、あっ、と思った時にはすでにベレフ師匠の手が離れていて、僕は人の波に飲まれていた。
途中まではどうにか体勢を維持していたけど、いったい何があったのか、というぐらいに周りはかなり興奮した大人ばかりで、小柄な僕がもみくちゃにされて平気なわけがなく、蹴とばされるようにして人の波から放り出されたときに、次に待っているであろう衝撃に備えて体を強張らせたところで、誰かに受け止められた。
「おいおい、男なんだからあんなおばちゃんたちに負けんなよな」
どこかで聞き覚えがある声だと思って慌てて顔を上げると、春に出会った救世主2人組が、あの時よりもずいぶんラフな格好で立っていて、僕を受け止めてくれた黒い子は髑髏の仮面を頭の横にずらして、白い子は凹凸の無い白地にペイントが施された仮面で顔をすっぽり覆っていた。
「あっありがとう!」
「いいってことよ、それよりちょっとこっち来いよ」
何度も助けてもらってるのに、ありがとうの一言で満足されても困る、もっとちゃんとお礼をしようと思っていたのに、なんて思ってる間に、僕に有無を言わせずに黒い子が抱えてきて、ふっと視界が急に高くなったと思ったら、いつの間にかどこかの建物の屋根の上にいた。
「高いところって平気か?あんまり動くなよ」
せめて事前に言えよ!こんな足場の悪いところに問答無用で連れてきて勝手に降ろして、動くな、って随分好き放題してくれるな!そういえばベレフ師匠と逸れてそのままだし、でも動けないし、下を見たらきっと膝がどうしようもなく震えだすだろうし、とにかく全力で動かないようにしようと座り込んだら、横からくつくつとくぐもった笑い声が聞こえた。
「そんなに身構えなくても落ちたりしないよ、俺がいるから」
僕が膝を抱えている隣に胡坐をかいて白い子が座り、僕を挟んだ反対側に黒い子が腰に手を当てて仁王立ちになっていて、いったい何なんだこの状況は、僕にこんな不可解な現象は理解できないのに、本当に無理だ、ああ、神よ、なぜ私にこのような試練を与えるのですか―――
突然ドン、と音がしたかと思うと、空に大輪の花が咲いた。
遅れてドォン、パチパチパチパチ、と火の爆ぜる音が届き、足下の広場からはわっと歓声が上がっていた。
何コレ、こんなのパンフレットに書いてなかったよ。
それまでいろいろ考えて、がっちがちに緊張して、今にも死にそうな気分だったはずが、予想外の光景に目を奪われ、次々と尾を引いて夜空へと飛び出してくる花々が全て夜空に散るまでの数分間、ずっと呆然と夜空を見上げていた。
「初めて見ただろ?すげーだろ、花火っていうんだよコレ」
今のが、花火がお祭りが終わる合図なのだろう、足下からは次第にざわめきが遠ざかっていた。
「初めてこの祭りに参加する人を驚かすために、パンフレットにも広告にも、どこにも花火のことは書かないんだって。すごい工夫と団結力だよね」
左右から種明かしと言わんばかりに簡潔な説明がされる。
「……ありがとう、すごい、キレイだった。特等席だね」
いったい僕はこの2人に何をすれば今までの恩を返せるんだろうなあ、とぼんやりと考える横から、へへっ、と照れたような声と、ふっ、と笑う声が聞こえてきたときに、この機会を逃すべきでない、と咄嗟に口が動いていた。
「ねえ、2人の名前はなんていうの?また会える?」
2人が同時に僕の方を向いたのが視界の端に映ったけど、僕はまだ花火の余韻に浸っているかのように夜空を見上げ続けていた。そうしないと緊張で心臓が爆発しそうなのがバレてしまう気がした。
「ブラン」
白地の仮面を外してこちらを見ながら白い子が答えてくれる。
「ノワールだ、また会おうな、クリス」
黒い子が隣にしゃがみこんで、初めて会った時みたいに頭に軽くぽんぽんと手を乗せて、髪を撫でつけながら答えてくれた、と同時にまた抱えられ、ふっと体が浮き上がったかと思ったら、いつの間にか大通りに降ろされていて、慌てて後ろを振り返ったときには既に2人の姿は無かった。
「ブラン、ノワール……僕、名前言ったっけ……」
もちろん答えは返ってこなかったけど、既に帰路につく人の流れもだいぶ途切れて、僕の周りはだいぶ静かになっていたし、どこかから2人の声が聞こえるんじゃないかなあ、なんてぼんやりと考えて、ふとベレフ師匠のことを思い出して、慌てて周りを見渡せば、ちょうど師匠もこっちに気づいたところだった。
速足でベレフ師匠の元へ向かえば、王都に来てからいつも綺麗に纏めていた髪を乱して、汗をびっしょりとかいた師匠が目の前で膝をついて、僕をぎゅっと抱きしめて大きな吐息を漏らした。
「クリス、よかった、怪我はない?どこに行ったかと思った、よかった、本当に無事でよかった、あまり私を心配させないで、クリス」
まさかこんなにベレフ師匠を心配させてしまうだなんて、実は特等席で花火を見ていました、なんて言える雰囲気じゃないし、罪悪感がすごい勢いで湧き上がってくるけど、とにかく無事であることを伝えるために何度も頷いて、ぎゅっと師匠のシャツを握りしめるしかなかった。
「師匠、心配かけてごめんなさい、ずっと空を見てただけです、どこにも怪我はないです」
僕は初めてベレフ師匠に嘘をついた。
ありがとうございました。
花火を見に行きたいです。