わたしからのおねがい
はじまりの朝。
南東を向いている部屋の窓からは、朝日が強力に差し込んでいた。もしも、吸血鬼を退治する必要がある際には、この部屋に閉じ込めておけば事足りるのではないだろうか。まず、対峙する状況からしてありえないのだけれど。
就寝前に握っていた手は、離れていたらしい。目が覚めてすぐに僕こと、カレンからすれば見知らぬ男は、どこにいれば彼女を最も混乱させずに済むか。少し考えた結果、とりあえず布団を抜け出すことにした――が、背中をクイッと引っ張られる感覚に阻まれ断念。マズい、先に起きていたのか、と振り返るが、そうではない様子。
「――くー…」
穏やかに眠る少女。僕の右手を離れた左手は、今は寝巻きの裾を握っていた。あまり歳の違わない十四歳の少女が自分に寄り添って眠っている、というのは、少なからず心にクるモノがあった。男冥利に尽きる、というか。既に僕のことは頭から抜け落ちているのだとしても、今この瞬間だけは、間違いなく彼女の支えになれているのだから。
さて、どうあっても『目が覚めたら布団の中に知らない男がいる』という状況を取り除けない以上、第一印象をよりよいモノにしなければならない。怪しまれない、気の利いた言葉を考えようと顔を背けようとした刹那。
カレンの目がぱっちりと開いた。
え、嘘。ちょっと待ってくれまだなにも考えてない。さらに、彼女から見た今の状況はこうだ。
『目が覚めたら知らない男が私の顔を見て微笑んでいた』
どうしよう、とにかくなんでもいいから声をかけなくちゃ……! ここで、起死回生の一手を打ってみせる!!
「おはよう、お嬢さん。あんまり可愛すぎて、天使かと思っちゃった。キミ、名前は?」
あ、たぶんこれ失敗したやつだ。僕のたたかいはここでおしまいだあ…
「ぷっ、おかしなタマにぃ。わたしは、かれん、だよ?」
もしかして、首繋がった? 器の大きな子だなあ…よし、じゃあ、次は自己紹介か。
――――痛烈な、違和感がなさすぎることに対する、違和感。
今、この子は、何と言ったか?
「なあ、カレン。僕の名前が分かるのか…?」
「うん。なるつかたまき。タマにぃでしょ?」
「っ!!」
これは…どういうわけか知らないが、もしかしたら。
――記憶が、消えていない?
「…カレン、昨日の夜、どんな話をしたか、覚えているか?」
「きのうのよる…よるは、えっと…あっ」
日記のこと。記憶のこと。あるいは、今日を忘れたくない、と泣きながら吐露したことか。いずれにせよ、彼女は気がついたのだろう。ないはずのモノがあることに。
彼女は笑っていた。両の目に、いっぱいの涙を溜めて。
「おぼえてる…おぼえてるよ、ちゃんと、ぜんぶ」
「そっか、よかった。本当によかった…ちなみに、昨日のその前の日についてはどうだ?何か覚えていることはあるか?」
「うーん、…いいや、わたしがおっきくなってからは、きのうのことだけしか」
「わかった、ありがとう」
昨日以前の九年間についても記憶が甦ってはいないだろうか、と考えたのだが、やっぱりそこはスパッと抜け落ちているようだ。保持されるが取り出せない、ではなく、記憶がリセットされてしまうらしい。
「あの、タマにぃ。それでね…」急にモジモジしだしたカレンは言う
「どうした、トイレか?」
「いや、そうじゃなくって…。その、今日はね…」
ああ、なるほど。そういえば、渡海さんから昨日聞かされた話の中にあったっけ。
こういうのは、本人の口から催促させるものじゃない。続く彼女の口を指で制する。
「誕生日おめでとう、カレン」
「………うんっ」
彼女本人からは伝えられていなかったので驚いたのだろう。ポカンとした後に、一拍置いて、笑顔の花が咲いた。やはり、この子犬のような少女には笑顔がよく似合う。なでたくなる頭選手権があれば、前代未聞、満場一致でのグランプリは堅い。
ところで、今日が誕生日だということをつい昨晩まで知らなかった僕には、なんの準備もない。それ以前に今日、いきなり記憶が定着してくるとは思わなかったのだ。
記憶の残留と、十年ぶりの誕生日。記憶に関して、その消失を僕は直接経験していないとは言え、こんなめでたい日はそうそうない。盆と正月と誕生日とがいっぺんに来たようなものだろう。だから、今日という日に何もできないなんてそりゃないでしょう、と大きく出ることにした。
「申し訳ないことに、プレゼントの用意ができていないんだ。だから、キミの願いをなんでも、一つだけ叶えよう。今すぐじゃなくてもいい、決まったら、教えてほしい」
「わたしの、おねがい? なんでもいいの?」
「ああ、なんでもだ」
頭をなでる手を離し、そう提案をする。お願いが決まるまでいくらかの時間が、もしかしたら数日かかるかもな、と思っての発言だったが、カレンの返答は非常に早かった。
「わたしね、がっこうにいきたい。
「いまからおべんきょうするのは、たいへんかもしれないけど。
「きのうのわたしは、がっこうをたのしみにしてた。
「だから、きっと、あの日からきのうのきのうまでのわたしも、がっこうにいきたかったとおもうの。
「これが、わたしからのおねがい。かなえて、くれますか?」
疑問形ではあるが、その目に不安の色はない。今の僕が、よほど頼りがいのあるように写っていると見える。人にモノを教えたことはないが、昨晩考えていた『彼女と第三者との橋渡し』をするよりは、ずっとやることがわかりやすい。
「任せろ。僕がお前に、今まで行けなかった"学校"を教えてやる」
タイトルを、半分だけ回収しました。構想はあるので時間をください…