ここは、どこなんだ?
ぽかぽかとした日差しが心地よい。目が覚めて最初に感じたのはそれだった。
そよ風が吹く。花の匂いを乗せた優しい風に、なるほどこれがアロマテラピーか、なんてことを考えながら、もう一眠りすべく、僕はまぶたを閉じた。
「……あれ?」
痛烈な違和感。
別に、花園で眠ってしまっていることについては気にならなかった。もとい、気にならないほどに、春の陽気にあてられてしまっていた。
では。
ここへはどうやって来たんだっけ?
僕の記憶に間違いがなければ、迷い込んだ竹林で横になって――そのままだったはず。見えていなかっただけで、仮に寝落ちしたあの場所が花畑であったとしても、今いるここに竹の植生は見られない。まして僕に夢遊病の気はない。やっぱりここは、寝てしまう前にいた場所とは違っている。
だったら、探していた集落が実在した、とでもいうのだろうか。そんなまさか。たった一度、ほんの気の迷いで探しに出かけた僕が見つけてしまう程度の秘境ならば、しかるべき人がもっと早くにたどり着いているだろう。
…………。
考えてもどうにもならない。そう結論づけた僕は、再び昼寝の構えを取った。
実際、なんとなく気がついてはいるのだ。
ここは僕が暮らした田舎ではない。何故って? 空気が違う。田舎に住む人々は鼻が利く。少なくとも、自分の町と比べてどうか、なんていうのは誰だってわかる。……たぶん、わかる。
そして、もしも、本当に秘境に入り込んでしまったのなら、普通に考えれば出る方法だってあるはずだ。
今は、この気持ちのいい空間で眠りこけたい。本音を言うとこれ。
順調に体から力が抜けていき、さあ意識を手放す五秒前。
「んぐふおぉっ……!!?」
右脇腹にドスン、と衝撃が走った。無警戒だったからめちゃくちゃ痛い。あ、涙。
とても昼寝どころではなくなったので、痛みの抜けきらない体をのっそりと起こす。
近くを見渡した僕が目にしたものはというと。
―――お花畑?
うつ伏せに倒れている女の子がいた。なるほど、走っていたら僕につまずいて転んでしまったように見える。
かなり速く走っていたのだろう、スカートは無様にめくりあがり―――いや、よそう。ちなみに、花柄のカワイイやつだった。
秘境の花園でさらに秘境のお花畑が…なんてしょうもないことを考えていると、少女もこちらに気がついたらしい。
「あ、あのっ」
転がっているときは分からなかったけれど、ウェーブがかった髪が肩口ほどまで伸びており、菜の花をあしらった鮮やかなワンピースがよく似合っている。子犬のような印象を抱かせる子だった。おそらく、二つ三つ下とか、そこらへんだと思う。
「はい、なんでしょう?」
幸い、言葉は通じるみたいだ。うまくやれば元の場所に帰れるだろう、努めて丁寧な受け答えを心がけた。
「おにーさんの、おなまえ、おしえてくださいっ」
名前か。特に嘘を言うこともなかろう、と正直に答える。
「僕の名前は珠樹です。あなたのお名前は?」
「じゃあ、『タマにぃ』だね。わたしはね、かれんっていうの」
タマにぃて。
「それでね」カレンは続ける。
「わたしの、おともだちになってほしいの。わたしはまだ、5さいだけど、ほんとは、14さいだって、いわれるんだけど…ヘンな子だけどっ」
十四歳。なるほど、外見は確かにそう言われると納得がいく。五歳というのは…カレンの話だけではよくわからないけれど、心はまだ五歳のままだ、ということだろうか?それにしても、明確に五歳だと断じるのはどういうことなんだ?
僕が黙って考え始めたことで不安になったのだろうか。双眸に涙を溜めて、カレンが言う。
「やっぱり…ヘン、だよね。ごめんなさい、さっきのおねがい、やめ――」
カレン(十四歳)は、しかし中身がカレン(五歳)なのだ。はっきりしたことはわからないが、とにかく、見た目中学生の女の子を泣かせておくのは、あまりにもいたたまれなかった。咄嗟に、その頭に手を伸ばしてしまっていたのは少しアウト臭いが、事実、子どもをあやす行動の選択肢としてはこれしか思いつかなかった。
「なろう!友達!全部僕がなんとかしてやる!」
しまった、と気づいたときにはもう遅い。女子中学生の涙で、僕も相当パニックになってしまっていたらしい。言わなくていいことまで言ってしまった。
いや、カレンの中身は五歳だぞ…『友達になる』、という返事だけでいっぱいいっぱいに―――「ほんとう!?わたしも、ふつうのひとみたいに"みんなと"なかよくできるの!?」―――なってない!?
「もちろんだ!おにいちゃんに任せなさーい!あっははははは!!」
「やったー!ありがとう!ありがとう!!おにいちゃんだーいすき!!」
これ、帰れるかなあ…? 帰れないよなあ…。とても、そんなこと言い出せたもんじゃない。
ほぼほぼ間違いなく、カレンは僕の町に帰る方法を知らない。あくまでも予想でしかないけれど、どっちみち彼女に帰る方法なんて聞けやしない。
せめて、今いる場所だけは把握しておきたかった。もしかしたらここは、元いた場所と同じ日本なのかも知れないのだから。
「なあ、カレン」いつの間にか丁寧語ではなくなっていた。僕の演技は女の子の涙でボロカスに崩れ去ることがわかった瞬間だった。
「ここは、どこなんだ?」
「? おおつちしま、でしょ?」
島?九州にいたはずだぞ、僕は。するとここはやっぱり、いわゆる日本国ではないのだろう。
「そうか…また後で教えてくれ。とりあえずは、そうだな」
「うん、あそぼう――タマにぃ」
そう言って微笑むカレンは歳不相応で、まるで十四歳の、歳相応の少女のようだった。