ゲネプロパニック
「と言うわけで、今年の演劇祭出場クラス抽選会の結果……なんと! 我がクラスと相成った! 嘆け、喚け、コノヤロー!」
LHRの時間――ばったんと、出席簿を教卓に叩きつけながら担任の笹塚先生がそう告げると、教室から一斉にブーイングがあがった。
「さっちゃんクジ運ねぇー」
「ありえねぇ。その後すぐ学園祭だってのに」
「連続イベなんて無理でーす」
「そーだ! 課金誘導のSNSのゲームじゃねーんだぞ!」
「先生、熱中大陸見たでしょう? ゼロからやれるのは開発研究者だけです」
「うっさい! こっちだって文句を言いたいんだ! お黙り!」
眼光鋭い視線でギロリと教室を一睨みすれば、一瞬でクラスメイトたちは静かになった。
セミロングの黒髪を振り乱し、黒いオーラを背負った女性教諭の姿はなんと恐ろしいことか。あまつさえ目の下に隈をつけた顔だ、正直言って怖い。まともに睨まれたクラスメイトには心の中で合掌しておく。
なぜにクラスメイト達があそこまで騒ぐのか分からない自分としては、静観しているしか手段がないだけでもある。担任を睨みつけるという、地味な無言の抗議を始めた隣の席の幼馴染、浩一を見て苦笑すると、私は机の上に肘をついた。
演劇祭の細かい説明を始めた笹塚先生の声をBGMに、クラス委員長の清晴君が、慣れた様子で黒板にチョークで文字を書き出す。カツカツカツと小気味良い音が止まると、清晴君は手を降ろした。
『学園演劇祭・高等部部門』
黒板にはそんな文字が。しかも無駄に達筆だ。
「高等部部門?」
鷹峯学園の二年に編入してきた私は、まだ学園全体の行事と言ったものを把握してない。学園祭のようなものかと思ったのだが、クラスメイトの抗議から、本来の学園祭はこの演劇祭の後にあるらしい。
ついさっきのクラスメイトの抗議の一つにあったし。ならばこの演劇祭とは、学園独自の行事なのだろうか? よくあるマラソン大会のような。
「ああ。ほかに幼等部、小等部、中等部から一クラスずつ出場する。大学の方はサークルが独自でやるからまた別。えっと、入学案内書の年間行事のところに、演劇鑑賞会ってあっただろ? あれだよ」
「ああ! あれか。てっきり役者さん呼んで観るものかと思ってた」
「幼等部の時は分からなかったが、小等部に上がって気が付いた」
「誰しもが通る道なんだね……」
「ああ。俺は今まで当たらなかったが、ここまでか」
浩一と、二人揃って遠い目だ。素人集団がやるんだから、出来ることはタカが知れているし、それに観る方だって分かっているだろう。
よほど嫌がられるような、何かの要素があるらしい。
「去年はどこの学年がやったの?」
「高等部は去年も二年だった。いっこ上の姉貴がやった。姉貴もそれまで当たらなかったからな。俺は観る側だったが、本当に地獄だったらしい」
そこで一旦区切ると、浩一は何かを思い出すように遠い目をした。
「すぐに進路の話合いとかあるし、家ん中は殺気立ってた。高等部に用があって行けばクラス中が慌ただしかったし、終わったらまさにストレスフリー。文化祭で姉貴のクラスは全員弾けてた」
「どんだけ追い込まれるんだ、この演劇祭……」
渋面と共に返ってきた言葉に顔が引き攣る。殺気立つほどとは一体どんなものなのか。舞台などポスターやCMでしか見たことがない私としては、なんだか恐ろしい事にしかならない気がする。
「よし。先々は文化祭も進路もある。ちゃっちゃと片付けるぞ! 分かったか新兵共!」
「いえっさー!」
「はーい」
「先生、ここはただの学校であって訓練所ではありません」
「んじゃ、南雲。進行頼む」
委員長の清晴君に紙の束を渡すと、あろう事か笹塚先生は教壇から降りて自分の椅子へと腰を下ろしてしまった。
物凄い気合を入れた感じがしたんですけど、清晴君に丸投げですか、先生!? いくらクラス委員長だからって、丸投げはいかんでしょうが!
清晴君は一度ため息をつくと、紙の束に視線を落とした。
「……副委員長、手伝ってくれ」
「手伝ってもいいケド、時給いくら?」
視線も向けずに呼ばれた副委員長の折笠さんが、手を上げながら言った。質問内容がズレてる気がするんですが……。
副委員長の折笠さんは、極度の面倒くさがり屋なのに、いざと言う時は先生も真っ青な指導力を発揮すると言う、実に頼もしいお方らしい。
「俺からは無給だ。演劇会が好評だったら、笹塚先生が『自腹で学食をクラス全員分奢る』」
「乗った!」
「よっしゃ! 先生の奢りだ! みんな気合入れよう!」
「一番高いメニュー頼むぞ!」
「さっちゃん気前いい! 男前!」
「ちげえよ、姐御だろ!?」
「おいコラ待て南雲!」
さすがにこんな条件出されたら先生だって慌てるよね。三十二人分の学食っていくらになるのかな。全員が日替わり定食を頼んでくれる訳ないだろうし。
先生、ご愁傷様です。
「え? 何か仰いましたか? 笹塚先生」
にこりと、それはそれは素晴らしく素敵な笑顔を向けながら、清晴君は言った。なんだろう、その笑顔にそこはかとない黒さが見え隠れしている気がするのは。
「清晴イイ笑顔だねー。演劇祭引き当てられたの、やっぱ嫌だったのかなー」
「え? そっち!? 司会進行を押し付けられたほうじゃなくて!?」
真面目なクラス委員長ですら嫌がるシロモノなのか!?
やだ、どうしよう。本気で私も嫌になってきたんだけど。
「具合悪いからって帰ろうかな」
「帰った瞬間、そこで試合終了だよ。次に登校した時には、とんでもない役割になっているのが関の山だ」
「よーし。頑張っちゃうぞー」
全然頑張れないのはなぜだろう。
「……ちっ。円滑な行事の進行のためには致し方あ――」
「ほらー、あんたたち、尺は短いんだからキリキリ決めるわよ!」
先生が了承の姿勢を見せた瞬間、遮るように折笠さんが手を叩きながら言った。あれほど煩かったクラスが瞬時に静かになり、全員が姿勢正しく座り直した。
何この連帯感。一応私も皆に習って姿勢を直す。
「お前たち、現金だな……」
呆れたような呟きだ。けど特に怒る様子もなく、さっさと始めろと言うように笹塚先生は手を動かした。
「割り振りを決めるのやらいろいろあるけど、まずは何を演目にするか! やりたいのあったら言ってー」
やる気スイッチが入ったらしい折笠さんが、キビキビと動き出した。
チョーク片手に手を上げた生徒の意見を黒板に書いていく、委員長の清晴君が。何の違和感もなく、委員長と副委員長の立場が入れ替わっている気がするのは何故だろう。
「金太郎とかどうっすか? あれなら脇役は着ぐるみレンタルするだけで済むし」
「金太郎……なる程、主人公裸に近いが……」
「やっぱり却下で!」
なんてやり取りをしつつ、一通りの意見が出てくる。黒板に書かれたタイトルを見て、あの、王道なタイトルが出てないことに気が付いた。
「はい」
「あら、新見さん。どうぞ」
「えっと、まだ出てなかったんで、シンデレラ」
「いいわねー。死体愛好症な王子が出る白雪姫に次いで、自分の記憶力ゼロ王子なシンデレラ。外道タイトル来たわ」
「その言い方、物凄い嫌なんですが……」
しかも外道じゃないよ! 私が手を下ろすと同時に、浩一が手を上げた。
「はい。浩一」
「演目決まったら、その下に密室殺人事件ってつけて欲しいです」
「……え?」
クラス全員の時が、一瞬止まった。
「つまり、シンデレラだったら、シンデレラ密室殺人事件です。俺個人としては白雪姫密室連続殺人事件がいいです」
「連続になった!?」
何、その急な路線変更!? 視聴率低迷で、ディレクターが頭抱えたわけじゃないのに!?
純愛路線に恋敵キャラ出して、いきなりの愛憎ドロドロ劇に変更かよ! 昼ドラじゃないんだから!
「あー。いいかもしれないわね、ソレ。ただの有名作品を演じるだけじゃ物足りないし。ここらで私たちが新たな道筋を創ってもいいかもしれないわ!」
折笠さんが顎に手を当ててそんなことを言う。
「だったらこれにしませんか? 眠れる森の野獣」
クラスの男子が手を上げながら言った。確か彼は映画研究会にいた生徒だ。引出しから薄い板のような物を出す。現れたのは――ネズミの国のDVD。タイトルは眠れる森の美女。
野獣ってなんだよ。つか、なんで美女が野獣に? 今度は前に座っていた暁美が手を上げた。
「副委員長。眠れる森の野獣は荒縄やムチは使うんですか? っていうか使って! きつく縛られたい! 蔑んだ目で見下ろされたい!」
「暁美。お前はネズミの国とグリム童話に喧嘩を売る気か」
ハアハアと荒い息を吐きながら身悶える目の前の暁美にドン引く。いや、ホントに。冷静な清晴君の突っ込みに、クラス全員頷く。夢と魔法の童話に、んなもんを持ち込むな。いい話がぶち壊しになるだろが。
ま、金太郎よりはまだマシか。アレならほどほどの配役とか出来るし。第一に、衣装がマトモだ。
「まあ、クラスの人数を考えるとちょうど良さそうな演目ですね。白雪姫と違って、悪役のキャスティングは男子に回せますから」
最近は保護者会がうるさいですから配慮しないと。とため息をつきながら、清晴君が言った。あの、それ、担任のセリフじゃないですかね? 委員長さん。
「じゃ、コレで行きましょう。配役決めるわよ。やっぱりお姫様だけど、ここは転校してから頑張ってた新見さん。で、王子は私がやるわ!」
「何でいきなり私が姫!!」
「ふざけんじゃねーぞ、雛乃。何でお前が王子だ。宝塚希望をここで叶えるな」
鼻で笑いながら、西村君が言った。ちょっと心の中で応援中! そのまま私の姫発言も撤回させてー!!
「宝塚の何が悪いの! 西村! 私の身長があと十センチ高ければ試験受けに行ったわよ!」
「十……」
十って、折笠さんは結構身長高い方なのにまだ足りないと?
「折笠さん、男役目指したみたいなんだよ。あそこ男役女役って、身長で線引きしているらしいから」
隣から、浩一がそんなことを言う。なるほど。宝塚の男役ならもう少し身長があった方がいいわけか。
「姫が新見なのは構わねぇけど、てめーが王子は反対だ! だったら澄まし顔の南雲にやらせろ」
がくっ! 思わず机の上を滑る。あの、西村君。君は委員長に嫌がらせをしているだけですか?
「何を言っているのかな? 西村君」
「んだよ、なんか文句あるのか。俺は意見を言っただけだぜ委員長?」
なんか委員長と西村君が視線でバトル始めちゃったよ。
火花が散ってるように見えるのは、気のせいであってほしい。
「だから嫌なのよ、演劇祭なんて」
「先生。普通、先生は監督ですよね?」
お、我がクラスの常識人。山崎君。もしかして、今キャスティングの問題で、私が一番応援すべきは山崎君か!?
笹塚先生は酷く億劫そうに頷いた。
「ここは公平を期して、クジにすればいいじゃないですか。そうすれば、皆文句も出ませんよ」
「はぁ……。じゃあ、ここにクラスの値札があるからそれを使うか」
先生、それは値札じゃなくて名札です! リアルに止めて下さい、値札なんて。
そして先生は、即席のクジで配役を決めたのだった。
■□■□■
通し稽古当日。なんで通し稽古? なんて思えば、笹塚先生が、
「せっかく劇やるんだし、一回はリハーサルをしておくか。面倒だけど」
な、ゆる〜い感じで清晴君と相談して決めた。どうせ通し稽古だし、ま、いっか。なんて思っていれば、なんですかこれ?
そっと体育館の舞台袖から、私は観客席を見た。いつもだったら、運動部が使っているのに今日は何でか人がたくさん、あの安いパイプイスに生徒たちがいる。
……一番前の端っこに、学園長と教頭先生が。
「何でこんなに人がいんの!? 無観客じゃなかったの!?」
「うっそマジ。ありえない」
中里さんと一緒に覗いていたけど、余りの人の多さにビビッてそのまま舞台裏へ。
「どうしよう! 中里さん!」
「いや、こっちもどうしようだよ! どーするのこれ。私、適当にやろうと思ってたのに」
そのまま頭を掻こうとしたらしい中里さんは、その手を止めた。そうだよね、今の中里さんは頭は掻けない。
だって、森の木その一の衣装だから。中里さんの顔は、木の幹から出ている状態。なんで森の木その一とか役あんの? とか、言ってはいけない。
一応先生が、裏方以外のクラスメイトにも何かしらの役につくようにって、割り振った結果だ。
「森の木なんて、ベニヤ板か厚紙を立てとけばいいだけじゃない」
「なに言ってんの中里。ベニヤ板だってタダじゃないんだ。財布にエコ!」
「記入ミスの領収書を出して、前に一度拒否されたから出したくないだけでは? 先生」
「悪徳魔法使いのお出ましだな……と言うか南雲、違和感ないな」
全身紫色のローブ? を着てる清晴君。悪い魔法使いになった彼は、何故か無駄に似合っている。体育館の備品である、モップの棒だけ持った状態で颯爽と歩いてきます。
「ほとんど役に立っていらっしゃらない監督、学園長がお呼びでした」
「はぁ。今度は何よ、この大事な時間に」
「早く行って片付けてきてください、笹塚先生。ここまで来て文句を言われたくはないでしょう?」
「致し方ない。生徒諸君! 私はお前たちがどれだけ頑張っていたか知っている。今までの練習の成果を出してこい! 当たって砕け散ってこい! 骨は拾ってやるからな!」
応援してるのか? 一応。当たって砕け散ったら、本番マズくね?
「おぉー!!」
とか、クラスの妙なテンションは、私を置いて上がっていった。
「ここまで来たらやるしかないよね……」
「そだね、頑張ろう中里さん」
「ええ、新見さんも」
ぱんっとハイッタチで互いの手を叩いて、気合を入れれば、そろそろ時間だぞー。役者はスタンバっとけー!! と、AD担当の生徒が叫ぶ。
ものすごく歩きにくそうに、中里さんは自分が出る位置に動いて行った。あ、今、舞台の背景の板にぶつかった。だ、大丈夫? 中里さん。
人がさっきよりも行ききしてくる。慌ただしくなってくる舞台裏。私は本物の役者じゃないけど、なんだか凄く緊張してる。ヤバイ。ちょっと緊張して震えてきてる。どうしよ!
えっと……、こう言う時は、手に、手に、手に、何書くんだっけぇぇ!! 落ち着け! 落ち着くんだ自分! ペイッと頭が叩かれた。
「落ち着きなさい、これはオママゴトと変わらないわ」
「冷静ですね、折笠さん」
「ふっ、何度練習したか覚えてないだけよ」
袖口の広がった服の腕を動かしながら、折笠さんは髪をはらった。その余裕の態度とも言うべきものは、やはり一度は宝塚を目指していたからだろうか。
たとえ学園祭と言えど、彼女には手を抜く理由にはならないのかも知れない。
「折笠さんは大丈夫そうですけど、私にとっては大・問・題です!」
そう、観客のありなしは凄い違いだ。何百もの目に見られている。しかも劇をやるのはずぶの素人。所謂脇役の人とか、背景の人とか(人必要なくね? とか思うけど)、とは全然違う。
折笠さんが私の肩に手を置いた。折笠さんもある意味重要な役だ。準主役に近い、味方の魔法使い。お姫様に魔法をかけて、王子を導く。
なのに全然緊張している様子もない。うらやましい。ちょっとその余裕を別けて欲しくて、むぎゅっと折笠さんに抱きつく。
「折笠さん。私にもその余裕を分けてください」
「余裕とか、上げたり貰ったりできないわよ。ま、今までの練習通りにすれば平気だから。観客を大根かカボチャだと思いなさい」
なんて言えば、アドバイスっぽいことを言ってくれる。大根かカボチャかぁ。うん、そう思えば何とかなりそうだ。
「あ、いたいた。折笠さん、山崎君捜してたよ。衣装の確認があるって」
「あら、本当。じゃ、行かなくちゃ。オカンは怒らせると怖いから」
オカン……。山崎君、なぜ貴方はあんなにもエプロンが似合うのでしょうか?
折笠さんはクスクス笑いながら浩一を見る。
「うん。分かってはいたんだけど、やっぱりその格好は凄いね」
折笠さんの言葉に、私は浩一を見た。
ピンク色の袖に、白いひらひらしたフリルがこれでもかっと言うほどついている。
「言わないでください、折笠さん」
顔に手を当てて、思いっきり凹んだ様子で浩一は言った。
杖の代わりの短い木の棒で、折笠さんは浩一の頭を軽く小突いた。そんな親しげな行動が、ちょっぴり羨ましくなる。
私は浩一と幼馴染とはいえ、引っ越しして一時離れていた。学園生活でクラスの大半が顔見知り同士なのは、少しだけ疎外感を感じてしまう。
半眼になって折笠さんを睨む浩一。茶化すように笑っている折笠さんは、浩一には嫌味な目にしか見えてないんだろうな。
「ま、適度に頑張りなさいなお姫様」
クスクスとさも面白そうに浩一を見る折笠さん。
そう、浩一は主役のお姫様。クジ引きで、お姫様の役に自分の名前が出た瞬間の浩一の顔。衣装合わせのときの、魂がぬけたかの如く低いテンション。多分、もう見ることは出来ないと確信した。
それから折笠さんは私の頭を撫でた。
「素人がやってるんだから、失敗するのは大前提。だから新見さんもほどほどにやりなさい。ね? 王子様」
……そう、私も主役の一人。しかも何故か王子様。なんでだよ……。公平っていってもさ、男と女の役ぐらい分けてよ。改めて指摘されて、がっくりうな垂れる。
クスクスと笑いながら、折笠さんは去って行った。
「七緒は、なんで折笠さんに抱きついてたの?」
「あー。だって折笠さん、超余裕だったんだもん。あの余裕を分けてもらってたんだ」
舞台裏。緞帳のすぐ近くだから、忙しない音がちょっと遠くに聞こえる。
多分、私達がここでこっそり観客席を見ているのは、他の人には見えないハズ。
「緊張するね、浩一」
「それは俺も同じ。しかもこの格好だよ、公開処刑もんだよ」
浩一の言葉が可笑しくって小さく笑うけど、やっぱり震えが微かに残る。緊張を何とか抑えようとしたら、浩一が私を抱きしめた。
伝わってくる体温とその感触に、少しだけ落ち着いてくる。
「大丈夫だよ。俺と一緒に頑張ったんだから。七緒はちゃんと出来てた、安心して。俺が保証する」
その言葉に私は頷いた。
浩一。凄くいい台詞なんだけど……縦巻きカールのカツラがそれを半減させるよ。
「さっさと終わらせて、一刻も早くこの衣装を脱ぐ!」
「右ならぬ、浩一に同じ!」
開演のブザーが鳴って、観客席側の照明が落ちた。
ゆっくりと上がっていく幕。舞台の上には、王様役の生徒に、王妃役の生徒。それと、三人の魔法使い役。一人は折笠さんだ。
反対側の袖に、スタンバイ中の悪の魔法使い、清晴君がいた。因みに籠に入った赤ちゃん役は、クッションにへのへのもへじの顔が描いてあります。
『それはある国に生まれた王女さまの、お祝いパーティーの席で起きました』
クラスの中でもバリトンボイスに定評のある安西君の、ものっそい低いナレーションで、我がクラスの通し稽古が始まった。
うわぁ、ついに始まっちゃったよ。私の出番はまだ先だけど……。皆緊張してるな。王妃役の子、右手と右足同時に動いてる。
「あ、七緒ちゃん。似合ってるじゃん、カッコ可愛いだよ!」
「志保ちゃん!」
志保ちゃんは私のちょっと前の出番。城下の人達の噂話の場面に出る町人Aだ。
「葉月君も可愛いわよ」
「嫌味にしか聞こえません……」
浩一、ごめんね。
私も衣装合わせで初めてお姫様の格好した浩一を見た時、不覚にも可愛いとか思っちゃったんだよ。そんなこと口が裂けても言えないけど。
「あ、やっと見つけた! 葉月君! もうじき出番だから衣装チェック! スカートの裾、後ろ少し詰めさせてー」
針山持った山崎君が、小走りで私達のところに来た。その三角巾が恐ろしいほど似合っております。
衣装合わせから台本のコピー、舞台背景の色塗りの手伝い。台詞が危ない人のミニカンペまで用意している周到さ。
地味に何でもやってます。さすがオカン! いろいろチクチクやって、ちょっと離れて浩一の後姿を見て、満足そうに山崎君は頷いた。
「よし、これでオッケ」
「浩一姫ー! スタンバイ頼む!」
「姫言うな!!」
ずっごい嫌そうに浩一は怒鳴って、ドカドカと姫らしからぬ歩き方をしながら舞台袖に向かって行った。
『そして、それから十六年の歳月が流れていきました。お姫様は、それはそれは美しく成長しました』
浩一が舞台に上がって行った瞬間、観客席から歓声が上がった。
「可愛いー!」
「あ、やべ、お姫様男かよ。ちょっと可愛いとか思っちゃったじゃん」
「つか、なんでお姫様が男?」
「笹塚先生。なぜ姫が男子生徒なんですか?」
「うちのクラスは公平に、全役割をクジで決めたからです」
「そうですか。これは来年から口やかましい保護者会の言い訳に使えますね」
「……南雲と同じこと言いやがったよ、この学園長」
「おや? 何か仰いましたか? 笹塚先生。私の孫がどう、とか?」
「いえ、空耳ですよ」
『そして、お姫様をはじめ、お城の人たち全員が眠りについたのでした』
あああ! もう私の出番だよ。落ち着け! 落ち着け! そうだ、観客席は大根とカボチャの畑さ! 今年は大豊作なんだよ!! お陰で野菜の値段が暴落! 農家の人が悲鳴を上げたんだ!!
「おーい! 新見王子ー、スタンバイしろー」
「はーい!」
舞台背景が変わっていった。板には薄暗いお城の絵。その手前には茨その一〜その五の人達が。
だからなんで茨その一〜とか役あんの?
『それから百年の歳月が経ちました。あの茨で覆われた城に、一人の王子がやって来ました』
AD担当の人が頷いた。それは私に舞台に出ろという合図。
一度大きく深呼吸をして、私は舞台に出て行った。
「お、おお。茨に覆われた城、とは……ここのことか」
観客に向いながら私は大きく声を出す。うわぁ、怖いよー。
「よく来ました、王子よ」
「あ、あなたは!」
しゃららら〜っていう効果音に、照明に当たりながら折笠さんが出てくる。やっぱり余裕ありますね、折笠さん。
「私がこの城に魔法をかけました。そして今、その魔法を解くときが来たのです。さぁ、茨よ。道を開け!」
だぁぁぁ。折笠さんなりきってるよ! めちゃくちゃ役にはまってるよ!
「えぇー。そんなぁ、解くなんて嫌よ! もっと、もっとキツク縛りなさいよ! いえ、縛ってください!!」
暁美ぃ! ここは舞台です、しかも演技中です! そこで自分の性癖出すのは止めてぇぇ!!
「ちょっと、茨その一でしょ! マジメにやってよ!!」
「茨じゃないわ! 拷問器具よ!!」
「危ない単語出すんじゃないわよ!」
とか、舞台で小声の喧嘩中。そんなやり取りとか気にしないで、背景担当の生徒は構わず茨のセットを動かしていく。
「え! ちょっと待ってよ!」
セットの暁美にこっそり手を振った。不満気な表情で暁美は舞台袖に引っ込んでいった。
折笠さんが私の腕を掴んだ。あの木の棒で体育館の天井を指す。
「あそこに悪の魔法使いが呼び出したドラゴンがいます。魔法をかけたその剣でドラゴンを倒し、姫を目覚めさせるのです」
ジャジャーン!!
グルワァァァァ!!
それっぽい効果音と、録音しておいたクラスメイトたちの雄叫びが、ドラゴンの鳴き声として大音量で流された。そして現れたのは……。
赤い布を被っただけのドラゴン役二名。明らかに中に人がいる様子がわかる。
……中の人、上履き、見えてますよ。
「え、えーと?」
「プラモ作りが趣味の生徒が張り切りすぎたせいで、間に合わなかったの。急遽赤い布だけ被せたわ」
グルワァ!!
「はっはっはっ! 待っていたぞ、王子! ここで会ったが百年目、いざ、尋常に勝負!」
……それは時代劇のセリフであって、ファンタジーには使いづらい。
とりあえず、気を取り直して剣を抜く。
「さぁ来い! ドラゴン!」
剣道部の人に見てもらってやっと覚えた構え方。ちょっと決まったっポイよ! ちゃきっと格好よく構えたら、ドラゴン役からセリフが。
あれ? ここってドラゴンにセリフあったっけ?
「あ、通っちゃってください」
「え!?」
「偽物とはいえ、この状態で剣で打たれるのは痛いんで」
「むしろ僕にはご褒美で――ぐあっ!」
「黙れ!」
妙に事務的、否、現実的かつ一部願望だだもれだ。言うなり、ドラゴン役の二人がぱたっと倒れた。
ちょっと手をピクピク動かしながら、さも、私が倒しました的な演出までしてくれる。
「おぉ! 王子何もしないで倒したぞ!」
「すげぇ! ドラゴンを睨み倒したのか!」
「眠りの森の美女ってこんなんだったっけ?」
「てか、あれただ布被っただけじゃん」
最後の観客のセリフ。すみません。本番までには間に合わせますんで。ここは見逃してください。
「さあ、お行きな――」
「ふっ、そこまでです王子。この私が貴方を倒します!」
清晴君が出てきた。さすがです。折笠さんに劣らず、きっちり決まってます。
えぇっと、台本通りでいいのかな? これ、やっちゃって平気なの? 笹塚先生ー。
どかどか歩いて行って、私は清晴君の腹にアッパーカットをお見舞いした。もちろんフリだ。さすがに清晴君を現実世界で敵に回す気はない。だって怖いもん。
「ぐはぁ!」
さも私が攻撃しました的に、清晴君が床に倒れた。
「あ、あの王子魔法使い殴ったよ」
「うわぁ、手加減なしかー」
「あの王子、王様になったら大丈夫か? 暴君になったりしねぇよな?」
台本に書いてあるんだから良いんだよ!
いちいち突っ込むな、大根とカボチャども!!
『悪い魔法使いが倒されたことで、空が晴れていくではありませんか』
晴天が描かれた布背景が下りてくる。
「さぁ、行くのです。王子。姫を目覚めさなさい」
一度舞台の照明が落とされて、慌ただしくセットが運ばれる。次に照明がついたとき、私の目の前にはベッドで眠っている浩一。
一番恥ずかしい場面来ちゃったよ!
『お姫様は、王子のキスで目覚めるのです』
ナレーションに合わせて、私はベッドに近づく。し、心臓ドキドキしてるよ。したフリでいいんだけど、やっぱり緊張してくるよー。逃げたいよー!!
ベットの手摺に手をかけて、ゆっくり顔を近付けていく。浩一平気な顔して目を閉じてる。なんで平気なのー?
息がかかるくらい顔を近付けたら、手摺からバキっと音が鳴って急に体のバランスが崩れた。顔の落下先はもちろん浩一の顔で、しっとりと柔らかい感触がした。……嘘っ!? 確認しなくても分かる、唇は重なってる。
「え? 今、マジでキスしたんじゃね?」
「うそー!?」
「んな訳ねぇだろ。ただそういう風に演出してんだよ」
「そーか、演出か」
演出じゃないよ! リアルにキスしてるんですけど! アクシデントでキスしちゃったよ!
「い、いやああああっ!!」
「ちょっ、落ち着け七緒!」
私が咄嗟にベッドから離れたら、ぎしりと音が聞こえて、キャスターが動き出す。
「あ?」
「あ!」
ドスンとベッドが舞台から落っこった。観客、舞台、ともに無言。ぎゃあ。やっちゃったよ!
「七緒! 何やってるんだ!」
舞台下からベッドとともに落ちた浩一が、カツラを押えながら上がってきた。何かもう、舞台関係なくなってきた。
「う、うるさい! あああ、あれは、事故、そう事故よ!」
「落とすことないじゃないか!」
『ちょっ、ちょっと、二人とも落ち着いて!』
珍しく慌てた安西君の声が耳に入るけど、右の耳から左の耳に抜けていく。
「こうして無事にお姫様は目を覚ましたのでした。そして早速夫婦喧嘩をする程、仲が良かったのです」
急に聞こえた笹塚先生の声。端を見れば、マイクを片手に立っていた。
「それから数日後、なんとか喧嘩を終えた二人は無事に結婚したのでした。この時の泥沼の夫婦喧嘩は、警察を呼ぶ程に。これはこの国の歴史では初めてのこと。国の人たちはこの夫婦喧嘩を語り継ぎ、歴史書に書き記されたのでした。めでたし、めでたし」
無理やり感たっぷりの先生のナレーション。それにあわせて照明が落ちて、舞台に幕が下りていった。観客席からは、申し訳程度の拍手。
完全に幕が下りた瞬間、私は頭を抱えた。
やっちゃったぁぁぁ! 途中まで上手く行ってたのにぃぃ!! 何、あの時何があったのぉぉぉ!?
「……やっと終わった。これで来年から学園長が演劇大会諦めてくれればいいのに」
なんて、浩一が言う。暗くてよく分からないけど、カツラを取ってる音がする。バサバサと乱雑な衣擦れの音。ぐっと、腕が引かれた。
「行こう、七緒。カーテンコールまで付き合う必要なし」
「え、ちょっと待ってよ!」
舞台の照明が付く前に、私たちは体育館を出た。
外に出ると明るくて、眩しかった。体育館の隣にある、体育用具倉庫の脇に私たちは腰を下ろす。
「あーあー、最後の最後でやっちゃったよ」
いくら練習とはいえ、ああやって観客がいた。通し稽古でも、私がダメにしちゃった。立てた膝に額をつける。布の感触。手先の器用なクラスメイトが作った衣装。そっと、背中が撫でられた。
「ほら、泣くなよ。七緒」
「な、泣いてなんか、ないもん!」
「はいはい。その顔で言っても説得力ないから」
浩一が手で私の顔を擦った。あの衣装を脱いだ浩一は、体育着姿。鼻を啜りながら見る、いつもの浩一だ。
「あ、あれさ、ベッドさ。なかなか貸してもらえなかったらしくて、結構古かったみたいだよ。だからそのー、七緒が言ったように事故だよ、事故」
浩一はバツが悪そうな顔でそう言う。
「た、ただ。俺は、その、別に事故とかそんなん関係なくて、その……その――お、お前とキ、キスをするのは嫌じゃないっ!」
言うなり浩一が反対側に顔を向ける。浩一の耳がほんのり赤くなっているのは、気のせいじゃない。突然の告白染みたセリフに、私も顔が赤くなる。一気に頬が熱くなった気がする。
「わ、私も、浩一とキスをするのは、嫌じゃない。だって、浩一のこと、す、好きだから!」
浩一の体育着を掴んで、私は言った。絶対、今言わなかったら、次は言えない気がしたから。
最後に会ったのは小学校五年の時だ。小さい頃の約束でも、私は覚えてた。だって、好きだったから。
いつも一緒にいて、面白い物を見たら一緒に笑って、一緒に出かけて、近所の男の子に意地悪された時は浩一が助けにきてくれて。助けてくれた時の、あの背中は、本当にカッコよかった。
隣にいるのが当たり前で、それが嬉しくて。転校して離れていても、それは変わらなかった。
だからこうして、もう一度会えたのが本当に嬉しかった。
「お、俺もお前が好きだ! ふ、普通こう言うことは男が先に言うもんだろうが! カッコ悪いじゃんか!」
「だ、だって――!」
「おい、そこの青春真っ盛りな主役二人」
「ぎゃぁっ!」
「さ、笹塚先生!」
せっ、先生! 驚かさないでよ!
「異性不純交遊するなら、一応学園の外に出てからヤれよ」
それは聖職者のセリフではありません。
「なぁ、南雲ー。せっかくだから台本に濡れ場入れない?」
「お断りします。笹塚先生」
「はっ!?」
気が付けば笹塚先生の後ろには、着替えた清晴君の姿が。そして体育館の入り口からはクラスメイトたちが、にんまりと目をカマボコ型にしてこちらを見ていた。
こ、公開羞恥プレイ――っ!! 明日からどんな顔してクラスに行けばいいの!
「学園長には好評だったから、本番は気合入れるんだよ二人とも」
「……まあ、いろいろと頑張ってください。二人とも」
目の前の光景に、ニヤニヤとした顔で言う笹塚先生と、涼しい顔で私たちを見る清晴君。いろいろってどう言う意味ですか? 清晴君。ねえ? ねえ!?
「皆さん、手を止めないで撤収作業をしてください。帰りが遅くなりますよ」
清晴君はパンパンと手を叩きながら先生の背中を押して、体育館へと戻っていく。
途中でふと何か思い出したのか、清晴君は私たちの方を見た。
「青い春と書いて青春、昔の人は上手いことを言いましたね。二人とも、どうぞ、ごゆっくり」
と、淡々と告げる清晴君が恐ろしい。その悠然とした後姿はまさに悪役の風格が漂っていた。
「俺、明日学校行きたくない……」
文字通り"orz"な状態になった浩一が呟く。
「ねぇ浩一、本番前に逃走しよっか」
「奇遇だな、七緒。俺も同じこと思った」
そして学園演劇祭当日。
結局本番前の逃走は、先手を打っていたクラスメイトたちにあえなく阻止されたのだった。
.