マッスル水戸黄門 ~筋肉は猛っているか?~
初の短編です。 楽しんでくれましたら幸い。
この話は史実と一切の関係は有りません。
ここは地球とは事象の異なる異世界。
だが、そこには確かに日本列島が存在し、其処には我々の知る歴史と多少異なるが、江戸時代と呼ばれる時代を迎えていた。
素朴ながらも確かに人の逞しい息吹が存在し、多くの人々が今日と云う日を生き、明日と云う日に繋ぐ当たり前の生活を送っていた。
そんな素朴な世界でも、欲に溺れる者は居り、それを正す法の番人も存在している。
意思あるものが居る以上は如何してもこの様な政治的システムが生まれ、国を存続させる為の基盤として動いている。
されど飽くまで人が運営する以上、其処には権力に溺れる者もおり、中には民を苦しめる不届き者も現れるのである。
これはそんな世界に生きる、ある老人の物語である。
水戸藩の城下町から出て早数日、本来であれば既に江戸についている頃だと云うのに、旅をする数人の一行は未だに水戸藩の領地から出る事は無かった。
その理由は旅の中心人物の歩みが、怖ろしく遅い事に有る。
別に体力が無い訳では無い、寧ろ有り余ってるとさえ云えるだろう。
しかし、其れでも旅が進まないのはある理由が存在した。
「助さん……トンビがまた飛んでいくぞ……」
『ふんっ!! むぅうんっ!!』
「長閑なもんだな、格さん……」
『おぅ!! いっつ ぐれいと!!』
「本来なら江戸にいる筈だよな……俺達…」
「まぁな……何で未だに水戸藩から出られないんだろうな……」
「聞くなよ…原因なんて分かりきってるだろ?」
「あぁ……分かっている……」
佐々木助三郎と浅賀格之進は背後を振り向いた。
其処には一人の老人が、何やら奇妙な踊りを踊っていた。
いや、老人と云うには些か問題があるかもしれない。
確かに髯を生やした好々爺なのだが、それは飽く迄頭部のみであり、身長は明らかに二メートルを超えている。
しかも体付きがとても老人の物とは思えない。
逞しい胸板に太い腕、どこもかしこも鍛え抜かれた筋肉でムキムキあのである。
そんな老人がポーズを取りながら前進しているのだから旅が進む訳が無い。
赤ん坊のハイハイの方がよっぽど早く進む事だろう。
二人だけで無く、連れの三人もウンザリしていた。
「ご隠居ぉ~頼むから普通に歩いてくんねぇか? 江戸までだいぶ掛かりやすぜ?」
「ご隠居様ぁ~今日こそ宿に泊まれますよね? 野宿じゃありませんよね?」
「流石に私も……道草を食うのは遠慮したいのですが? 文字通りの意味ですが……」
兄貴分の弥七、くの一のお銀、そして八兵衛は正直頭を抱えていた。
彼等の溜まったストレスは、護衛をしている助さんや格さんの比では無いだろう。
しかも、本来進むべき街道である水戸街道から大分離れてしまっている。
ご隠居は方向音痴でもあったのだ。
此処まで言えばわかるだろう。
この一行は水戸光圀公とその家臣達である。
ただ、ご老公様は基本的にマイペースで、人の話を聞かない怖ろしく自分勝手な御方だった。
何よりも質が悪いのは、この老人は西洋諸国から伝わった肉体の美に嵌り、肉体改造を続けて恐ろしいまでにガチムチな老人へと変貌を遂げたのだ。
更に言えば、所構わず自分の肉体に酔いしれ、事ある事に筋肉を強調するのだからタチが悪い。
その結果が今の旅の遅れへと繋がるのである。
「ぬぅ……儂の筋肉の愛を捨てろと言うのか? 弥七よ……何と残酷な事を言うのじゃ…」
「其処まで言ってねぇからな!? ただ、普通に歩いてくれと頼んでんじゃねぇか!!」
「無理だ!!」
「即答かよっ!? 少しは考えてくれよ、俺等の事をよぉ~……」
「断る!!」
「其処も即答っ!? いい加減にしてくれよ爺さん……」
先の副将軍だろうが遠慮しないのが弥七である。
兎に角言いたい事は言うのが彼の性格であった。
「ハァ……これではまた野宿確定ですね…まぁ、分かっていた事ですが……」
眼鏡を上げてため息を吐く優男、彼は八兵衛。
弥七の弟分でありながら、眼鏡の似合うクールなナイスガイである。
手にした三味線を手入れをしながら溜息を吐く着流しの色男、妙に映えるこの一行唯一の美形であった。
「うぅ……野宿……男共が獣になる……あたし貞操の危機だわ……」
美人だが被害妄想激しいこの女性がお銀、甲賀のくの一であり腕は達者なのだが、残念な事に気が弱かった。
忍びとしては役立たずで、おまけに血を見るのが苦手である。
彼女は生まれて来る場所を間違えたとしか言いようがない。
「助さん、格さんも何か言ってくれよ……一応将軍様に呼ばれてんだろ?」
「言って聞くなら俺達が苦労する訳ねぇだろ……」
「格さんと同じく……仕官する場所を間違えたとしか言えん。俺達は運が無かった」
「ふん、あんな犬好きのマザコンに何故従わねばならん。まだ紀州の暴れん坊の方が骨が有るわい。
まだ小僧じゃが、中々の器よ」
「あんた、一応親戚だろっ!? ついでに打ち首にされんぞ!!」
「クソガキ一人に儂をどうこう出来るとでも?」
「「「「「 無理ですよねぇ~~……化け物だし…… 」」」」」
この爺さん……傍迷惑なくらいに暴れん坊であった。
肉体も、股間の紳士もいまだに健在、いつ死ぬかすら分からない程の健康優良爺であった。
兎に角、向かう所敵無しの国士無双の肉体を持つ、非情に扱いにくいどころか寧ろ危険な爺さんなのだ。
「うぅ~~宿ぉ~~蛇が出て来るような場所はもう嫌ぁ~~~!!」
「貴女は本当に忍びですか……とは言え、私も流石に野宿は辛くなってきましたね。兄者は大丈夫そうですが……」
「俺だって、出来る事なら布団で寝てぇよ…しかしこの爺がな……」
「何じゃ情けない、良い若いモンがこれしきの事で…鍛え方が足りぬのじゃ!!」
「「「「「 アンタと一緒にすんなっ!! 筋肉ジジィ!! 」」」」」
筋肉以外はどうでも良い、イカレタ爺さんの世話役は地獄であった。
何だかんだと遅れながらも道筋を進む一行。
周りは山か、若しくは田んぼの代わり映えしない風景。
幸か不幸か、彼等は何とか村に辿り着く事に成功したのだが、その村が些か問題があった。
「何じゃ? えらく寂れておるのぉ~」
「寂れてても良いさ……屋根のある場所で寝られるならな」
「同感、疲れていてしょうがない。主に精神的にだが……」
村に入れば、その寂れ具合は一層良く分かる。
民家は閉め切られ、人っ子一人いないのだからおかしなモノである。
普通なら夕食の支度の最中とも言うべき刻限なのだが、そんな様子は微塵も見られない。
「何か、おかしくね?」
「こんな村の報告は聞いてないぞ? 何か在ったのか? 賊がこの辺に潜伏しているとか」
「俺はそんな話聞いてねぇぞ? 裏の連中からも聞いた事はねぇ」
「ふむ……では、この辺を治めている領主殿が何か知っていて、其れでも報告しなかったのでは?」
「職務怠慢ですねぇ~これは調べるしかないですよ?」
「何でそんな面倒な事をせねば為らんのじゃ? 筋肉を鍛える方がよっぽど大事じゃ!!」
「「「「「 あんたの治めていた藩だろうがっ!! 偶には仕事しろよジジィ!! 」」」」」
「おぉうっ!?」
ご隠居様は筋肉以外は眼中に無い様であった。
大丈夫か水戸藩、こんなジジィが元藩主で大丈夫なのか!?
現藩主も肩身が狭い筈だ!! 逆らうのが怖くて……
『いやぁ~~~!! 助けて、おとっつぁん!!』
『娘だけは、娘だけは勘弁してくだせぇ!!』
『年貢を払えねぇなら、娘に体で払ってもらうしかねぇだろ!!』
『安心しろよ、代官様もきっと可愛がってくれんぜぇ~ヒヘへ』
『娘は明日には嫁に行くだぁ~おねげぇですから御情けを!!』
何やら不穏な空気が立ち込めていた。
しかし、この空気が大好きな老人が此処に居る。
「助さん、格さん!!」
「「ハッ!!」」
「下がっていなさい!!」
「あれぇ~!? ここは俺達の出番じゃねぇの?」
「ご隠居、何する気ですかっ!?」
嬉々として騒ぎに飛び込んで行く筋肉老人。
「まてぇい、民に仇名す暴漢共!! 儂が相手をしてやろう♡」
着物を肌蹴させ、ケダモノの様な獰猛な笑みを浮かべる巨体の老人。
そんな化け物を見た彼等は決まってこう言うだろう。
『『『『ぎゃああああああああああああああっ!! 化け物ぉおおおおおおおおおおおおっ!!』』』』
「「「「「 ですよねぇ~~~~!! 」」」」」
旅のお供も即座に同意。
何処から見ても化け物である。
「ヌハァ~~~~~!!♡ か弱い娘をかどわかそうとは、何たる悪漢。わしが自ら成敗してくれる!!♡」
『『『『 何でそんなに嬉しそうなんだよっ!? 』』』』
「問答無用!!」
ご隠居の拳がゴロツキの一人を捕らえる。
「ぎゃぼっ!?」
大の大人が高々と宙を舞い、民家の壁をぶち抜き裏手の豚小屋に突っ込んだ。
「……へ!?」
「な、何だよあの威力……有り得ねぇ……」
「に、にげろぉおおおおおおおおおっ!! 鬼が出たぁあぁああああああああああああっ!!」
「誰が鬼じゃ!! 逃さん!!」
男の着物を掴み捕え、彼を高々とお持ち揚げると、逃げるゴロツキ達に投げ付ける。
投げられた男は、まるでブーメランの如く飛んで行き、逃げ出す男達を纏めて薙ぎ倒し樹木に激突する。
ご隠居は高々と宙を跳躍し、ゴロツキの一人に膝を勢いのままに落とした。
「ぎゅぼはっ!?」
血反吐を吐き出し、意識を失うのを確認せず次なる獲物に襲い掛かる。
確かに鬼は存在した。
獲物は決して逃さない。
ご隠居は瞬時に間合いを詰め、掌底で鳩尾を打ち抜くと回し蹴りで薙ぎ倒す。
一人、また一人と再起不能になるゴロツキ達。
悪夢のような光景がそこに広がっていた。
「死ねぇええええええっ!! 化け物っ!!」
刀で斬り付けて来る男に拳で迎え撃つ。
拳はアッサリと刀を砕き、男の顔面に突き刺さる。
有り得ない角度に首が曲がりながらも、男は数メートルは吹き飛ばされ倒れ込んだ。
最後の一人を地面に叩き倒すと、マウントポジションで幾度も拳を叩き込む。
怖ろしい事に拳が見えない程の速度で繰り出されているのだ。
其れでも死なない程度にしている当り、並みの達人では無い。
突然吹き荒れたバイオレンスの嵐は、ゴロツキを全て粉砕するまで続けられたのであった。
「大丈夫ですか? 主に精神的に……」
「何とかでぇ~じょぶだぁ~しかし……何もんだぁ? あの爺様……」
「あぁ~旅のちりめん問屋の隠居で、光右衛門と云う化け物です……見ての通り」
「人間ですかいな……あの御仁……」
「すみません……自信ないっす」
助さんもどう答えて良いのか困る。
どう見ても人の出来る所業では無い。
鬼と言われてもあながち間違いでは無いのだ。
「矢七、この者達から事情を聞きだすのじゃ」
「……無理じゃねぇの? みんな生きてるのが不思議なくらいだぜ? どうやって聞き出せと?」
「方法は任せる。どうやら、儂に殴られたい輩がおるらしい様じゃのぅ……ふふふ……」
「へ~~~い……方法は任せるんだよな?」
「うむ、好きにしても良いぞ?」
「あいよ、許可も降りたし……楽しませて貰いますか……へへへ…♡」
餓えた獣が目を覚ました。
最早、誰にも止める事は出来ない。
助さんと格さんは、これから犠牲になるであろう生贄に同情を禁じ得なかった。
・
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「さて、面倒事は抜きだ、あんた等には洗いざらい吐いて貰うぜ。どうせ年貢の賂を裏で着服してんだろ?
ここの代官がよぉ~素直に吐いた方が身のためだぜぇ~」
集められた比較的無事な男達を小屋に軟禁し、弥七は舌舐めずりをしていた。
「へっ、教えられねぇな。どんな拷問を受けても、俺達は何も応えねぇぜ?」
「いつまで、そんな強がりが言えるか楽しみだな……」
「俺達の裏にはアノ御方がいるんだ、町人には手出しできねぇよ」
「そこら辺を詳しく聞かせて貰おうじゃねぇの」
弥七の手は男の尻を撫で回している。
「お…おい? 何で尻を撫でているんだよ……」
「良いケツしてんじゃねぇか……どんな声で泣くのか楽しみだな…へへへ……ふへへへへへ」
「ま、まさか……あんた、衆道……」
「さぁ~てな、へへへ……楽しませて貰うぜぇ~♡」
「「「「 マジかよっ!? 誰か助けてくれぇ――――――――――――っ!! 」」」」
弥七は……バイ・セクシャルだった……
男も女もALL・OK!! 楽しめればそれでいいのだ。
ゴロツキ達の顔が青ざめる。
アァ――――――――――――――――――――――――っ!!……アァ…ァ……♂
その夜、悲痛な悲しみに似た男達の叫びが響いた……
彼等は、いろんな意味で取り返しの付かない過ちを犯してしまったのであった。
あるいは犯されただが……
代官所に派遣された馬淵業衛門は、その役職を笠に着て年貢を着服していた。
当初は小遣い欲しさの僅かな金子であったが、それがエスカレートして行くのにさほど時間はかからなかった。
中には忠言を申し出る者もいたが、強欲なまでに地位に溺れたこの男は、臣下の者達を処罰しては好き勝手に振る舞い始めたのである。
やがて一部の町人や、ゴロツキ紛いの者に十手を預け、本来なら在ってはならない私兵団を築くに至った。
こんな真似がばれれば打ち首だけでは済まされず、最悪御家御取り潰しにすらなり兼ねない。
だが、欲に溺れた物は自分の能力に過信し、最悪の事態に陥る事すら気づかないでいるのである。
そして、現在代官の屋敷に関わり合いが有る者達が俄に集っていた。
「なに? 手の者が戻って来ぬだと?」
「へぇ、あっしらも年貢の徴収と云う大義名分が有りやすからねぇ、それを建前に代官様が気に入ったとか言う娘を連れて来る手はずだったんですが…・…」
「その者が戻って来ぬと……」
「まさか……藩主様の手の者に……」
「その可能性は否定できん……そうなると、その者を捕らえ情報を聞きだした後に始末せねばな…」
「辰巳屋、お主達商人の方では何か聞いておらぬか?」
辰巳屋の主人、源五郎は少し思案した後、気になっていた話を切り出した。
「気になる話が一つ……お代官様が以前訪れた村に、やけに身の丈が高い老人一行が訪れたとか…」
「背の高い老人とな?」
「まさかとは思いますが……噂に聞く水戸のご老公ではないかという噂が……」
「ぶっ!?」
馬淵業衛門は茶を吹きだした。
水戸のご老公は、兎に角暴れるのが好きな災厄の様な老人である。
そこに悪党がいると聞けば、嬉々として乗り込み単身で殲滅する最悪の化け物なのである。
仮にその老人がご老公だとすれば、間違いなく問答無用で殲滅させられるだろう。
そして、一切の情け容赦も無く徹底的に破壊されるのだ。
彼の背中に冷たい汗が流れる。
何せご老公は武術の腕前は日の本で1・2を争う無双の怪物であり、勝てる人間など皆無に等しいのだ。
そんな化け物に狙われているとしたら、命が幾つ有っても足りない。
逃げねば殺される。
「に、逃げねば……直ぐにでも逃げねば………殺される……」
『何処へ逃げようと云うんじゃ? お前さんらは須らく儂に喰われる宿命よ、覚悟は出来ておろう?』
「何奴!?」
引き戸を開けると、そこには半裸のガチムチ老人が喜悦の混じった笑みを浮かべ、庭先に立っていた。
「……ご……ご老公様!?」
「さて、その方、代官の役職に在りながら其処な辰巳屋と松組の全造と組み、年貢を着服するばかりか袖の下を受けとり遊郭の建築を画策しておった様じゃな?
更に偶々気に入った村娘を力尽くで手籠めにしようとは言語道断、儂が直々に葬ってやろう。
覚悟は良いな? まぁ、お主に選択肢等ハナから無いのじゃがな……ククク……」
どっちが悪党だか判らない様な悪辣な笑みを浮かべ、手に力を入れ腕を鳴らす。
代官にはその姿が鬼にしか見えなかった。
「あぁ~あ……結局こうなるのか…」
「どうする格さん? 俺等も手伝う?」
「ご隠居一人で充分だろ、麻雀でもやってようぜ」
助さんと格さんは、何故か雀卓を用意していた。
こうなると一方的な展開になるので、結局自分達の出番が来ないのである。
後は代官が最悪な選択をしない事を祈るばかりである。
「者共、出合え、出合えぇ!!」
最悪の選択をしてしまった。
こうなると、ご老公を喜ばせるだけなのだ。
何処からともなく現れる家臣達、ご老公を見ると何故か刀に手を掛けてしまう。
気持ちは分かる……何処から見ても化け物だから……
「屋敷に侵入した不届き者を斬り捨てぇいっ!!」
「ヌフッ♡!!」
ご老公はこの展開を待っていた。
血沸き肉踊る修羅場こそ、自分が鍛え抜いた筋肉が最も輝くと信じているからだ。
ある意味、最悪な確信犯である。
「ヌハハハハハハハ!! 掛かって来るがいい小童共、儂の筋肉を喜ばせてみろ!!」
巨体が躍動する。
五人が斬りかかった瞬間に、凄まじい速度で回し蹴りを放つと、五人が紙のように吹き飛び後方の数名を巻き添えに転がって行く。
あまりの出来事に呆気に取られる者達に、悪鬼は容赦なく詰め寄り拳を叩き込む。
人が面白ように宙を飛び、鮮血の花びらが舞い散る。
其処は正に修羅の宴、馬鹿みたいな笑い声を上げながら、連続して拳を連打する。
「オラオラオラオラオラオラオラオラ!! どうした? その程度なのか小僧共っ!!」
「ひ、ひぃいいいいいいいいいいいいっ!! 化け物っ!!」
逃げ惑う家臣達、それを喰らうかのように襲い掛かる筋肉の鬼。
彼等は逃げられない。
知らずとは言え悪に加担していた以上は同罪なのである。
拳が唸り、家臣の一人に突き刺さる。
「ゲボッ!!」
「ぬるいのぅ……死に物狂いで掛かって来ぬか!!」
最早、虐殺に近い一方的な展開になって行った。
「ぬっ!?」
前後左右に集った家臣たちが持つのは火縄銃。
彼等は生き残る為にこの火縄銃で御老公を射殺する決断を下したのだ。
「撃て―――――――――――――――――――っ!!」
―――――タン!! タタタタタタタタタタタタタァ――――――――ンッ!!
銃声が一斉に響いた。
だが、ご老公は無傷であった。
「ば、馬鹿な……」
「飛び道具に頼るとは……恥を知れっ!! 漢なら拳で戦わぬかっ!!」
ご老公の筋肉が膨張すると、撃ち込まれた弾丸が筋肉の力で押し返され、散弾と為って彼等に襲い掛かった。
何処までも非常識な生命体である。
「ぎゃああああああああああああああっ!!」
「いてぇええええええええええっ!!」
「ふん、鍛えが足りぬからこうなるんじゃ。情けない!!」
吐き棄てるかのように言い放つ、辛辣な言葉。
鍛えてどうこうできる問題では無い事は明らかだろう。
「格さん、それ、チー!」
「げっ!?」
「甘いぜ助さん、ポン!!」
御老公が嬉々として悪党を襲う一方で、麻雀の方も白熱していた。
「甘いのは兄者ですよ? カン!!」
「何っ!? ここでカンだとっ!?」
「まだ続きますよ? もう一つカン!!」
「「「!?」」」
「フッ………嶺上開花……3000・400…」
彼等には周りの喧騒など聴こえていなかった。
ここで負ければ、いざと云う時に御老公を止めるために体を張らねばならないのだ。
彼等にとって命懸けの戦いなのである。
「……くっ……点数が並んだか…」
「八兵衛……まさかこれ程の打ち手だったとは……」
「通らばリーチ!!」
「通りませんよ? ツモ!!」
「マジかっ!?」
「兄者……背中が煤けてますよ?」
雀卓も熱い戦場と化していた。
そんな熱戦を繰り広げる彼等に、助けを求める者達がいる。
「……た…助けてくれ……此の侭では…殺される…」
「いや、そうしてやりたいんだけどな?」
「私達も、巻き添えには為りたくないんですよ……」
「あ―なったらご隠居は止まらねぇしなぁ~」
「満足するまで、手の出しようが無いんだよなぁ~ 俺達も死にたくないんだよ……」
誰だって命は惜しい。
ましてや人外の筋肉が暴れ回っているのだ、そんな所に説得に向かうなど正気の沙汰では無い。
触らぬ筋肉に祟りなし、彼等は其れを身を以て経験していたのである。
「な!?……なら貴様らも道連れに・………」
「「「「あっ?」」」」
血迷った家臣の後ろにその姿は在った。
全身を返り血で深紅に染め、まるで悪鬼の様な形相で笑う御老公。
「何をしておる? お前達の相手は儂じゃろう? さぁ、儂をもっと楽しませてくれ!!」
「ひっ!?」
「戦えぬなら役に立って貰おう……ぬふふふふ……」
「た、助けて……ぎゃあぁあああああああああああああああああああああああっ!!」
「「「「許せ、俺達は無力だ……あんた等は運が悪かった……安らかに眠ってくれ……」」」」
引き摺られて行く彼等に、助さん達は同乗の目で見送る。
あの筋肉の鬼を前にすれば、如何なる悪党もかわいい物であろう。
哀れな彼等に助さん達は手を合わせ、冥福を祈るしか出来ない。
彼等は無力で非力な存在にすぎなかったのだ。
「まぶちぃ~~……まぁ~~~ぶちぃ~~~~どぉ~~こにおるんじゃ~~~~~」
「ひぃ!?」
ただの小遣い稼ぎのつもりが、いつの間にか破滅を呼び寄せてしまっていた。
馬淵業衛門は何とか逃げようと息を殺し、忍び顔負けの慎重さを持って屋敷を出ようとしていた。
だが、もう直ぐ外へ逃れられると判断した次の瞬間、壁を突き破り太い腕が彼を捕らえたのである。
逃れようともがくも、その腕からは逃れる事は出来ない。
「皆、貴様の所為で瀕死になったのじゃぞ? 逃げるのは些か無責任じゃなぁ~……」
「ひぃ!?」
悪鬼が今彼を喰らう……
「ふんっ!!」
勢いよく外壁に投げ付けられた馬淵は跳ね返り、其処に蹴りが叩き込まれ再び壁に叩き付けられる。
当然また跳ね返るのだが今度は拳、次に蹴り、拳、拳、蹴り、と跳ね返る馬淵を何度も壁に向かって殴り蹴り返しラリーを続ける。
明らかに物理現象では有り得ない光景が目の前で繰り広げられていた。
漆喰で塗られた白い壁は返り血で赤く染まり、やがて耐えられなくなり亀裂が入る。
それを見るとご老公は不敵な笑みを浮かべた。
「これで、ふぃにっしゅじゃ!!」
躰を勢いよく回転させた鋭い蹴りを、最後に止めとばかりに繰り出す。
嘗て馬淵業衛門であった物体は、外壁をぶち抜き屋敷内へと強制的に戻された。
其処には家臣であった者達のなれの果てが転がり、仲良く血の海で泳ぐ事と為ったのである。
「相変わらず凄まじいな……」
「人間を武器の代わりに振り回してたぞ? 軽々と……」
「益々筋肉に磨きがかかってねぇか?」
「ご隠居……怖ろしい……」
惨劇の起きた屋敷を見詰め、四人は天を仰ぎ手を合わせるのであった。
「本当にありがてぇ……これで暫くは平穏に過ごせまさぁ~」
「ほんとに、ありがとうごぜぇやすぅ~八さんにはお世話になりましただぁ……」
「「「「 八さんっ!? 」」」」
気のせいか、娘の顔が赤い。
ご隠居を除く一同が八兵衛の顔を見た。
彼は普段通りのクールな表情だが、心なしか少し疲れている様な表情である。
「お…おい、八……まさか、お前……」
「またかよ……いつの間にか美味しい思いをしてんだよなぁ~」
「八…いつか刺されるぞ…マジで…」
「女の敵です!! いつの間に……」
「何ですか? 私は昨夜は中々寝付けなかっただけですよ?」
『嘘だ!!』誰もがそう思っていた。
だが、彼が事を為した証拠は何処にもない。
何故かこのように村や町の娘と懇ろになるのだが、いつも証拠を掴ませない遣り手なのである。
八兵衛は碌な死に方をしないであろう。
「それでは参ろうかのぅ、フンっ!!」
「「「「「 だから、それを止めろと言ってんだろっ!! 江戸へ行く気があんのかジジィ!! 」」」」」
ポーズを取りながら進みだす水戸老公。
その足並みは亀より遅く、お供も呆れる変人振り。
一行は江戸へ行けるかどうかの瀬戸際で、何度も吐く重い溜息……
そんな彼等を知らぬとばかりに、春の空は何処までも青く澄みきっていた。
~~終わり~~