桜井さん
朝方、眠い目をこすりながら洗面所で顔を洗い、身だしなみを整える。寝癖は水をつけて整える。
尿意を感じておそるおそるトイレをあけたが、美女はいなかった。
帰った、わけではなかった。
あまり使っていないもう一つの部屋。
若干物置になっている部屋の奥で壁にはりつくように寝息を立てていた。
畳の上で何も敷かずに何もかけずに眠りについている。
トイレで一日こもるのはさすがにきつかったのだろう。
「おはよーございます!」
寝ている彼女の背中越しに叫ぶ。
ビクっと反射したかと思うとこちらに顔を見せずにむっくりと起き上がる。
後姿だけだが目をこすって頬を軽くたたいているように見える。
少しすると先日と同じような鉄面皮で由樹を見ている。
「徹底しておりますね、はぁ……風呂はないけどトイレの横に洗面所があるから寝癖ぐらいは直せよ。タオルは洗面台の上にあるから好きに使っていいぞ」
反応のない顔に由樹は語りかけると美女は肯定も否定する動作もすることはなく、洗面所に一直線。
様子を伺ってみると、洗面所に水を出して頭につけている。
「ドライヤーはタオルの横」
濡れた頭で洗面所の上の戸棚からドライヤーを取り出し、洗面所のプラグにドライヤーを刺して髪にあてはじめる。
さてどうしたものかな。
昨日の出来事でなんとなくで泊めて順応させてしまったが、そもそもどうしたらいいのかがわからない。
彼女が家出少女なら事情を聞いて親に帰すことができるが、そうなのかわからない。
犯罪者などならまた警察に来てもらい引き取ってもらえるが、そうなのかわからない。
なんらかの目的で異世界から舞い降りた美少女ヒロインならば、莫大な報酬やら地位や名誉などを条件に世界を救うために奔走するが、そうなのかわからない。
彼女に対して情報がない。なさすぎる。
考え込むが答えは見つからない。不意に由樹の携帯が音をたててスーツケースを揺らす。
「あ」
昨晩のいざこざで充電するのを完全に忘れていたと、落ち込みながらスーツケースから取り出す。
携帯を開くとメールが一件入っていた。件名は無し。『ドタキャンの弁明求む』と簡潔に書いてあった。
差出人は『桜井』。
「あ、桜井さんのことすっかり忘れてたわ……昨日行く予定だったのにすっかり忘れてた。あーすっかり忘れてた」
昨日予定があった桜井に一応説明しなくてはならない。
昨日の夜、目の覚めるような褐色の美女がトイレから飛び出してきて国家権力の手を借りて排斥しようとしたのですが、機能せず主に羞恥心に訴えかける形で退場を願ったのですが、それも叶わずなんやかんやあって昨日はドタキャンしてしまいました。申し訳ありません
頭の中で言い訳を整理する。
「まぁこんなところで納得するだろう」
『近場のファミレスで説明します。朝食をご一緒に食べませんか』とメールを送る。
『おう。来い』と送り返してきた。もういるような内容である。
朝の予定が出来た。
いまだ洗面所で悪戦苦闘している彼女を横目にスーツに着替える。ドライヤーが髪を乾かす音が聞こえる。
着替え終わると美女も寝癖が直ったのか、気が付くと昨日の定位置ちゃぶ台の奥に正座で座っていた。
また懲りずにまばたきもせずに微動だにせずに由樹を見ている。
こいつはずっとここにいるのだろうか。
ガラスが割れているので念のため、通帳と印鑑も持ち歩くようにしよう。戸棚から取り出してスーツケースにいれる。念のためトランシーバーの予備バッテリーと携帯のバッテリーもいれておく。
スーツケースを持ち、革靴を玄関で履く。
「あーと、一応説明しておくわ。これから出て行くから留守番でもしてくれ。ちなみに金目のものは特にない。冷蔵庫にも特に食材はないから腹が減ってもひたすら我慢して水道水でもなめていてくれ。昨日使ったパーティーグッズもシンクに放置してあるからついでに洗っといてくれると――」
玄関をあけて出て行こうとすると、いつの間にか彼女は後ろに立っていた。
「うわっ! ……びっくりした……」
なんだろうと思って見ていると、下駄箱から由樹のスニーカーを取り出していそいそと履いている。
まさか。
まさかと思いつつも玄関を開けて外に出る。すると彼女もサイズの合っていないぶかぶかのスニーカーをかぽかぽと鳴らしながら外へ出る。
「ついてくるですかい?」
彼女自身に反応は無い。
ただ無表情のまま方向転換しいそいそと先に行ってしまう。単純に閉め出される前に外に出たかっただけだろうか。と思い、玄関に鍵をかけてアパートの外へと出てみる。
鉄面皮の彼女はすぐそこで虚空を見ていた。秋の空。雲行きはよろしくない曇天で空は元気が無い。
そうして漫然と空を見る彼女を横目に歩き出す由樹。すると、付き従うように彼女も由樹の後ろを歩く。
かぽかぽとサイズがぶかぶかのスニーカーを鳴らす彼女。
時折由樹はその音が気になり振り替えるとそ知らぬ顔で彼女は空を見ている。
「はぁ……」
ついついため息がもれる。
「空々しくついてこられるのはイライラするから、ついてくるならそんなことせずに付いてきてくれ。そうじゃないならさっさとどっか行ってくれ」
苛立ちを隠しきれずに彼女に言う。
褐色の彼女は白い髪を揺らしながらこちらに数歩近づいてきて立ち止まる。そしていつもの無表情を向ける。
由樹はため息をついて桜井の待つファミレスへと先を急いだ。美女もさらさらと白髪を揺らしながら由樹の後を追った。