魔王襲来 その7
時折入るトランシーバー特有の雑音の中から、その声は聞こえた。
中学生ぐらいの少女の声。冷静でどこか聡明さも感じられる声。
「泉か!」
「はい、平泉です。さきほど石橋さんからたいぺんだと日本語が崩壊した叫びが聞こえたのでコレは大変なことが起こっているのだと把握し寝巻きから自らの殻を脱ぎ捨て生まれたての姿を経て一般的に外着、強化外骨格などと呼ばれる衣服と呼ばれるものに身を包み、今しがた、わたくしこと平泉、平泉琴美。たいらな泉にある琴は美しいという意味をもつ。この平泉、平泉琴美が応答したのですが緊急事態ですか?」
「誰でもいい! 誰か! 誰か応答してくれ!」
由樹の悲痛な叫びが轟いた。
その後も『まぁまぁまぁまぁご安心をこの平泉、平泉琴美におまかせください。いかなる緊急事態でも――』とトランシーバーからは空気を読まない演説が続いている。
「生ける生き字引、歩く辞書、人生の永久機関、この平泉、平泉にことみ、平泉にことみで平泉琴美にお任せください」
「くそっ! どこだアイツ!」
トランシーバーから流れる平泉琴美の演説を聴きながら瓦礫の山を乗り越えたりくぐりぬけたりしていく。どこにもいない。
「ご安心を」
トランシーバーからはまた悠長な声が聞こえてくる。
「右手二時方向上空をご覧下さい」
「はっ?」
とっさに上空を見るとビルの横から登った太陽をビルがさえぎってビルの輪郭が綺麗に映し出される。
「なかなか幻想的なここ一年あまりで見慣れた景色をご覧下さい」
「どこで見てるの!? とりあえず合流してほしい!」
辺りを見てみるが平泉の姿はない、もちろんぐっちゃんをかかえた褐色の姿も。
そして由樹の切実な願いはかき消されて、またトランシーバーから流れ始める平泉の演説。
駄目だ、こいつは敵だ。
由樹は平泉の言葉を無視してまた探し始めた。
杭。楔。漆黒の杭が等間隔まで打たれている境界線に来る。
いた。
褐色は境界線を乗り越えてぐっちゃんを外へ運び込もうとしていた。ぐっちゃんを高々と持ち上げて杭と杭の間を通っていく褐色。
その姿を見つけて走っていく。
だがおかしい。褐色の姿に不自然な点を見つけた。
杭と杭の間を通ろうとしているのだが、褐色は外へ出られない。足はもがいているのだが土が舞い上がるばかりで一歩も外へ出られない。
徐々に近づいていくとわかっていく。
蹴り上げている足がほんの少しだけ浮いているのだ。簡単に言えば空中に浮遊している。ほんの少しだけほんの少しだけ宙に浮いているのだ。
何が起こっているか一瞬わけがわからない由樹。するとトランシーバーからまた平泉の声が聞こえてくる。
今度は空気の読めない演説ではない。
「先ほどまで様子を見ていたところ、そちらの彼女がそこから抜け出そうとしているので注目したところ、肩にはブランケットに包まれた川口さん。これは誘拐、誘拐違いないと思い、今なお現在進行形で魔王を操作して彼女の体を捕縛しております。このまま持ち上げてみたいと思います」
「わかりやすい状況説明をありがとう」
平泉の声がトランシーバーからなくなる。
褐色の体がゆっくりと上昇していく。
じたばたと空中であがいている。足を前後に動かしながらこちらに近づいていく褐色。
由樹の目の前に下ろされると、褐色はすぐさま走り出す。
目指すは杭の外。だが、今度は杭にたどりつくことなく捕縛され空中後退。
じたばたともがく足。
由樹の目の前に下りるとすかさず走り出すが、すぐに捕縛される。
空中を移動する褐色、そして由樹の目の前へ。
そうして繰り返される。ぜんまい式のおもちゃのように猛烈ダッシュを繰り返す褐色。
「愉快だ」
平泉の冷静な声がトランシーバーから聞こえてくる。
「とりあえずぐっちゃんを確保してくれ、泉」
空中で拘束される褐色。
手と足が貼り付けになり、必然的にブランケットで包まれたぐっちゃんが空中を移動していき由樹の腕の中へ。
お姫様抱っこの形でぐっちゃんを抱える。
ぐっちゃんは、さすがに今までのごたごたで起きていたようで、頭からかぶっていたブランケットをはがす。
「意外と楽しい」
眠そうな目でぼそっと一言。
誘拐されそうになったというなんとも危機感のない言葉だ。呆れる由樹。
魔王につかまりながらじたばたと脱出を試みる褐色、少しするとぴたりと動きを止めた。
そして突然木霊する爆発音。
「え?」
なにごとかと音のする方向を見る。ビルの谷間のその奥から白煙が上がっている。
音は小さく衝撃などはないが、朝焼けの中で煙がビルにまぎれて上がっている。
何が起きているかわからずあがっている煙を呆然と見ている由樹。
手にもっていてトランシーバーから音が聞こえる。
「やってやった! やってやったぞこのやろう!!!」
トランシーバーから雄たけびが聞こえる。
男性の声。後ろのほうから複数の叫び声が聞こえる。どの声も聞き覚えがなかった。
それは歓喜のおたけび。何が起こっているのか何もわからない。
「……なんですか今の」
トランシーバーから動揺する平泉の声。
現状で状況を理解できているものは誰もいなかった。