桜井さん その3
言葉を失う由樹にすぐさま告げる桜井。
「別に冗談じゃないぞ」
「いや冗談のほうがいくらかマシです」
不機嫌な顔でライスをかき込む桜井。
「今のお前は危険だ。この得体の知れない生物を飼うということになっているんだろう」
「飼うって……人聞き悪いですね」
「寝床を提供して排泄の世話をしてんだろ、どうせ飯も勝手に食うんだろうし。……何も言わない、何も情報を得られない状況でこいつを養うのであれば捨て犬拾ってきたのと同じだ」
「同じじゃありません。人間同士です」
「片方はニンゲンじゃねぇんだろう? 自称ガガイモだ。まぁ自称したことはないがそれを良しとしている、それを利用している時点でそういうことだよ。……メリットなしで畜生を養うやつなんていねぇ。だから――」
「抱けと?」
「無理にでも体をものにしてやれば話もするだろうし、コミュニケーションもあっちから図るようになる。お前が大得意で大好きな対話ってやつを得られるじゃねぇか。ついでに性的快楽も得られる一石二鳥。ほらもうそれで解決だ」
「何も解決してないです。事態は可及的速やかに破滅へと向かいます」
水を飲む桜井。ステーキセットも八割方桜井の胃袋に消えている。恐ろしい食事のペースだ。
「童貞だろう、お前」
言葉を失う。食べていたサラダの箸がとまる。
「やっぱりな。童貞が考えそうな妙なセーブ感がある。据え膳食わぬは男の恥じでそこは食い尽くすところだろう。かっこわりぃな」
「いえ、かっこいいとか悪いとかはあまり関係ないんですよ。法律や倫理感の問題です。あと童貞は肯定してません」
「法とかそういうのは問題じゃないだよ」
「問題です。童貞じゃないです」
水を飲み干し、ステーキを食べきる桜井。
「生きるのに必要なのはリビドーであって法律なんてちゃちでちんけなもんじゃない」
「そのリビドーを行使したせいで法律によってちゃちでちんけな存在にされるんですが」
「まずは行動に起こしてから、そこから全てが始まる」
「終末の幕開けですね」
「さぁ、家帰って一発でも二発でもやってこい。そうしたらお前も新しい扉が開ける。大人になる鍵はすぐそこにある」
「そうして強姦の現行犯で規則正しい牢獄暮らしの鍵が開かれるわけですね」
「ほら、お前のハードボイルドソーセージをイートしてもらえよ」
「……朝飯食ってるときにそういうこと言うのやめてもらえます? おいしくなくなるんで」
サラダを黙々と食べることにした由樹。桜井は、不機嫌面だが満足そうに口元を緩ませる。
「ソープって知ってるか、由樹」
不意に何を言っているのだろうか、この思春期は。
「…………石鹸の英語版ですか、それとも――」
「そうだ、そのとおりだ。男共が汗水たらして得た給料を資金源に一時の快楽を求めにいく場所のことだ。石鹸などという馬鹿げた解答ではない」
ため息をついて桜井の言葉に耳を傾ける。
「ソープがどうしたんですか」
「美人ガガイモのソープ店っていうのがあるんだよ。人間よりも安い賃金でかつ24時間営業で酷使しても文句言わない上に所持者も普通のバイトよりも羽振りがいいからウィンウィンの経営スタイルらしいぞ」
「ソープで24時間って風営法とかどうなってんすか、驚愕っすね。まじやべー」
「なんでそこに食いつくんだよ。馬鹿たれ。自らガガイモっていうならそこで働いて金稼ぐくらいしてもらえや」
「はい、はい」
「人気のやつは月百越えするらしいぞ、千稼いでいるやつもいるらしい」
「はっ!?……へ、へぇ……」
金に揺らいだ由樹は平静を保とうと残ったサラダを食べ、水を飲み干す。
褐色は横で何も言わないが、なにやら視線を強く感じて由樹は褐色のほうをみる。
何も言わず何も反応していないが、さきほどまで真正面を見ていたのに、今は由樹のほうをガン見している。
瞬きせずに由樹をじっと見ている。視線がつらい。
褐色と桜井を放っておいて二皿目のサラダを盛り付けて席につく。
きまずさを紛らわすためにサラダを食べていく。一皿目よりもあまりおいしく感じられなかった。
そんな由樹を見て桜井は不機嫌そうな顔で笑う。
「とりあえずこいつの件が落ち着くまでは魔王には会えないっていう解釈でいいな」
「はい。それに関しては申し訳ないです。魔王にも説明しておくので……お金は――」
「いい、前払い制でその分は保留ってことでいい。……食料と手紙だけはちゃんと持っていってやれよ」
「はい。それは必ず」
『じゃあ帰る』と桜井は伝票を持って立ち上がる。
「割り勘でいいですよ」
「……年上なんだから俺がおごるぐらいは言えよ」と、伝票を持ちさっさとカウンターに行く桜井。
『払っとくからこれ貸しな』と遠くのほうから呼びかける桜井の声が聞こえた。
サラダをたいらげてサラダバーからもう一度テーブルに戻ると由樹のガガイモがいない。
テーブルにサラダを置いて、テーブルの下を覗き込むとちびちびと水を飲みながら素手でサラダを食べている美女。
由樹に気づいていないのか、黙々と食べる彼女はどことなく悲壮感が漂っていた。
『まずは飯を食わせる方法を考えないとな……』としみじみと思いながら「ソープ……」ふとそんな発言をしてしまう由樹。
途端に這い出てくる褐色。口の中でサラダをモシャモシャと咀嚼しながら由樹の目を見る。
感情がない表情がないはずなのに簡単に伝わる感情。
それは怒りにも哀れみにも捉えられて由樹はその物言わぬ彼女と目を合わせるのが辛くなった。