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ステキなアパートメントに住んでる訳

 ザワッと中庭の木々の枝を揺らしながら、強い風が吹き抜けた。途端に辺りは緑の匂いで満たされる。私が一番好きな季節だ。6月のロンドン郊外のこの学園都市は夏休みに入った学生たちが、実家に帰ったり、旅行に出たりしていて、極端に人口が減って静かなたたずまいを見せていた。



 このアパートメントはもともと大きな敷地にゆったりと建てられている。中庭を囲むように2階建の『の字の本館があり、対面に』の字のオーナー館がある。本館は6室で、一部屋は管理人室。5部屋は学生に貸している。オーナー館にはオーナーは住んでいない。時々空気替えのために窓が開いているが、もともとこのアパートに住んでいないも同然の私はまだ一度もここでオーナーに会ったことはない。このアパートメントを借りるときに数学科の教授に紹介されて一緒にお茶を飲んだ時だけだ。



 学園都市にある、いかにも歴史がありそうな荘厳なホテルのティールームで会ったその母親の年代の淑女レディは、姿形だけでなく、優雅にティーカップを持ち上げる指の動作がとてもきれいで印象的だった。正直、その時は渡航したばかりで、時差ボケで頭がガンガンしていた。とりあえず大学の学生寮に入ろうと荷物を預け、高校時代にITオンピックの世界大会で偶然親しくなった大学の数学科の教授に挨拶にいったら、紹介された。気難しいのに時々陽気になるその教授は、初めて会ったときに、イギリス紳士というより、まんまシャーロックホームズみたいだな、とクスリとほくそ笑んだのを見咎められて以来、親しく口をきくようになった。ITオリンピックの最中も何かとチームが違うのに、何かとしゃべりかけ、世話をやいてくれた。



 ITオリンピックとか数学オリンピック、物理オリンピックというのは、高校生向けの、まぁ言ってみれば知恵比べ世界大会みたいなもの。各国の威信をかけて腕というか頭に自信がある高校生が戦う場だ。だから、他の国は上位というか、優勝するために、国を挙げて応援してくれる。育成から始まり選抜にも力を入れ、出場選手を支える合宿をして特殊教師陣からスキルアップ術をこれでもかと一から十まで授けられる。物心ともに援助され、オリンピックに勝つことだけに力を注げばいいらしい。



 対して、我が国の場合、それは・・・・・。出場選手に全ておもねられる。


 つまり、数学好きな数学オタクが出場。プログラム好きのITオタクが趣味で出場・・・、みたいな感じだ。補助はない。いや、最近はさすがに、本選前に出場者同志の親交を深める合宿らしき集いはあるらしい。

 交通費も本選の国際大会は出るらしい。ま、その程度だ。



 だから、本選大会であれこれと世話を焼いてくれたそのイギリス人の教授に私は懐いてしまった。当然でしょ。とっても心細かったんだもん。本選大会の場所はアラブの某国。なんか思いっきり女性が差別されている国。女性が目しか出てない黒い服装をしているといえばわかるな。オーストラリアや米国の女子学生は、自国のスタッフに守られて不自由なさそうだったけど、うちの国のヘタレ理事やスタッフと言ったら、そこへの配慮がない。知らないのか、私が女のくせに国内予選で優勝したのが気に入らないのか、とにかくこんな国で男子生徒と同じ扱いだから、そのアラブの国では、行く場所行く場所でヒヤリとした冷たい目と好奇の熱いいやらしい視線にさらされて、随分居心地が悪かったのだ。


 そんなときその教授、チャールズは本当にサラッと助けてくれた。エスコートしてくれて、無遠慮な視線からさえぎってくれたし、プログラムの予備打ち込みをしていると横でアドバイスもしてくれた。我が国からの理事たちは、それに難色を示していたけれど、あいつらはそのプログラムを見ても、何のことかわかりゃしない。

 第一、私は趣味でその大会に出ていたのだし、国の威信なんてかかってないので、他の国の人しゃべろうがプログラムを共有しようが、知ったこっちゃない。





「初めまして、須藤凜々子と申します」


「あなたは自分の魅力を発揮してないわ。それは努力不足で許しがたい行為です」


 いきなり、やわらかな笑顔でそういう淑女を前に、疑問符が頭の中で一杯になった。きっとものすごく間抜けな顔をしていたのだろう。



 口元だけで笑いながら

「あなたの頭の良さは聞いているけど、それは外見からではよくわからないわ。あなたの能力をこの世界で発揮するには、いろいろな人に応援してもらわなきゃ。そのためには、外見も磨かなきゃね。約束よ。女性として生まれてきたのだから、女性としての魅力も磨くこと。頭脳だけじゃなくってね。じゃないと人生がつまらないものになるわ」


 淑女レディーはクスッと今度は目も一緒に悪戯っぽくほほ笑んだ。



 よくわからないけど、私は教授チャールズに紹介されたこの淑女レディーに気に入られたらしい。学業だけじゃなく、女子力も磨くということを約束させられて、この素晴らしい部屋を貸してくれた。正直私はかなりホッとした。もともと人と接するのが苦手なのだ。学生寮なんていう、人が多いところでの集団生活は厳しかった。多分そんな私を教授はお見通しだったのだと思う。このアパートメントはオーナーが趣味で運営している。家賃は格安。格安なのは、オーナーからの将来有望な若者への奨学金みたいな意味もあるらしい。昔でいえばパトロン? 後見役?



 広くて快適で電気系統や水回りは最新式なんだけど、歴史は100年以上ありそうなとっても素敵な建物。都会の騒音や雑然とした気に無関係で、この中にいるとなぜか数学の難問はするすると解けるし、難解なプログラムの組み立てだってスイスイ進む。特に最近は楽しみが増えた。あのバイオリンだ。会ったこともないその人は夏休みに入ったせいか、朝から晩まで練習していることがある。すごい集中力ですごい音楽への執念。バイオリンの音色の素晴らしさもだけど、その音楽へのひたむきな情熱はドキドキする。私の数学への執念とちょっと重なる気がして心魅かれる。


 結果、私は部屋じゃなくて、中庭で過ごすことが多くなった。通販で勉強しやすい野外用のテーブルと二脚のイス、二つのふかふかのマットがついたデッキチェアー、そして日差しを遮る天蓋を買った。イメージするなら5つ星リゾートホテルのビーチサイドの芝生にさりげなく置いてあるような、高級品。このアパートメントの雰囲気にピッタリだし、淑女レディも怒らないだろう。かなり高くついたけど、JSLからの分け前は気が付かないうちにどんどん通帳の数字の桁数を上げている。これくらいの散財じゃ、なにも変わらないようなものだ。



 へんなの。



 4年前まではただの理系が得意だった女子高生が、所変われば変わるもんだ。自分でもそう思った。



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