怪しい男
「誰?」
「えっ?」
人の声にびっくりして目が覚めた。うっかり長椅子に寝そべって星空を見てたらウトウトしてしまった。
「何してる? こんなところで?」
げぇ、男? でかい。 やばい。
「な、なななんでもない。ま、またね~」
逃げるように、ダッシュで自分の部屋に戻る。こんな異国で、いくらアパートメントの中庭といえ、見知らぬ男と対峙するのはご勘弁。自分の身は自分で守らなきゃ。
部屋に戻って解法を書き記したノートを中庭に忘れたのに気付いた。取りに戻ってまたあの男に会ったら嫌だ。仕方ない、新しいノート作ろう。誰だろう? あの男。通りがかりじゃないよね。中庭だし。住人かな? 大きな影だった。グレープフルーツみたいな柑橘系の匂いがした。柑橘系・・・、そういえば冷凍庫にレモンのはちみつ漬けあったっけ。あれ、まだ食べられるかな?
シャワーを浴びてさっぱりして、レモンのはちみつ漬けをかじっていたら、新しい解法がひらめいた。そこからはすごい勢いで数学の課題のゴールへの道がハッキリと浮き出てきて、私はウハウハいいながらペンを走らせた。数学って面白い。大好き。
スッキリと解けた課題を持って朝一番に教授室へ。徹夜明けだけど、体も心も頭もスッキリ。楽しい。この調子で新しい事業の案件にかかろうかな?
私は軽い足取りで会社というか、みんなで借りてる家に向った。
だけど、会社(JSL)ではスタッフのジェシカとジョーが揉めていた。ジェシカはスタッフの一人で結構な戦力になっているイタリア人の女の子。赤毛と茶色い目が印象的な色っぽい子で、ジョーの補助をしている。主に対人関係面で。私たち3人は数字やシステムや事業計画とその実行は得意だけど、対人面がヤバい。はっきり言ってダメ。そんな中、ジェシカの色気のあるニコやかさと話術はものすごく助けになったのだ。ジェシカが笑顔で間をつなぐ間に、ジョーが頭の中ですごい速さで戦略を組み立てる。この営業方式は鉄壁だったのだけど。
「だから、なんで急に辞めるなんて言うんだよ? 」
「好きな人ができた」
「はぁ?」
「だから愛に生きるのっ」
「いや、それと仕事とどう関係あるの? ギャラに不満なら上げてもいい」
「いや、そうじゃないから。この仕事に不満はない」
「だったら」
「全ての時間を彼に使いたいの! もうほっといてよ」
ジェシカはぐだぐだ言われるのが嫌だというかのように、怒って会社を飛び出した。
あっけにとられる私たち。
リー頼む! の声に、あわててジェシカを追う。ジョーはこういう場合、口ごもるたちで話にならないので、私がもっと詳しく聞いてということ。そして聞いてから驚いた。
彼女はモデルの男に惚れているらしい。クラブで会ったその男と恋に落ち、運命と思ったものの、その男には女がいっぱいいた。彼女としては、並み居る女どもに打ち勝ち、そのモデルの男の彼女の座をゲットしたい。だからこんな忙しい仕事をしている場合ではない。だって「恋と食べることとバカンスこそが人生なのだから」・・・・だって。私の報告を受けたジョーとスティーブはガックリと肩を落としている。
「さすがイタリア女。恋こそ全てだと言い切ったわよ」
「モデルの男か・・・。くっそー」
密かにジェシカを気に入ってたジョーの目が怖い。ほら、これがその男らしいよ。彼女からもらったファッション誌を二人の前で開く。茶色の髪にうすグレーの瞳、背が高く、正統派の顔の綺麗さ。確かに女好きしそうな男がそこにいた。
「うわっ、すごい嫌味、この男。いっぱい女いるんだって。外見しかいいとこなさそうなのに。自分のかっこよさ知ってる感じ? ジョー気にすることないよ。あんたの良さは私たちが一番知ってるからさ」
「そうだよ、ジョー。ビジネスで成功すれば、いっぱい女なんて寄ってくるんだから。ってか、寄って来てるじゃん、もう」
「だ、か、ら、金目当ての女は嫌なんだよ」
そうなのだ、結構私たちの事業はうまくいってて、サイトのクールさを損なうからと、渋々入れたほんのちょっとの広告欄でさえも超プレミアがついて、そこからの収入がすごいことになっている。だから対外的な顔であるCEOのジョーは、最近いきなりモテだした。
「いいじゃん、いっぱいいる中から自分に合うの選べばいいんだから」
スティーブは現実主義だ。折り合いどころを知っている。背も高く、ハンサムだし、理知的で、スポーツもできる。かなり神様にひいきされている。実際ものすごいアイディアマンだし、頭だってすごくいいのだから。
ジョーはそこいくと、見た目は普通のお兄ちゃん。ちょっと猫背でメガネが分厚くて、理系のさえない君って感じの外見。でも事業をどういう方向に発展させるといいか、天性のカンみたいなものがある。そして頭のキレはもちろんヤバいくらいに突き抜けてる。
私は160センチの黒髪黒目の日本人の女の子。日本人にしては目が大きく、ハッキリした顔立ちをしている。黒髪を生かしてちょっと色っぽくコケティッシュに見えるように、メイクやヘアスタイルに気をつけて、人種的に美に恵まれている西洋人に負けないようには頑張っている。そして、数学とプログラムに才能がある。ただコミュニケーション能力がない。特に使用にはテレパシーが必要な日本語が苦手。結論を先に言う英語でのおしゃべりはまだまし。
こんな3人だけど、なんかものすごく気が合う。1を言ったら10わかる感じ。
それは私だけじゃなくて、スティーブもジョーもそうらしい。私たちは多分頭の働きが独特で、ずっと今まではみ出ていたというか、集団から浮いていた。結構孤独だった。だから大学で初めて会った通じる相手に私たちは歓喜した。
私たちが始めたネットワークのサイトは、ものすごくやりがいがあったし、3人でやるのが楽しいから、ノリノリでかなり無茶した。自分たちでは無茶と思わなかったけど、そんなことをやった人はいなかった。だから世の中にすごく受け入れられた。何事も一歩先の初めてのモノというのは、喜びを持って受け入れられるのだ。これが三歩先を行くものだと、先端すぎてそっぽ向かれるのだけど。
そこら辺はジョーがうまいことやってくれた。スティーブがアイデアを出して、私が実現可能なものに落として、その段階ではとっぴすぎるのだけど、それをジョーが大衆に理解可能なものに落とし込む。私たちの作り出したものは、今や世界中のファンがいるサイトに成長した。私たちは作ったゲームの末端の部分は世間にプログラムを公開していて、自作延長可能にしている。コアなファンはそこを広げてプログラムをネット上に公開している。それがマニアの血を騒がしているらしく、どんどんファンが増えていって、加速度的に会社(JSL)の価値さえも上げている。毎日が愉快すぎる。そうやって気が付いたら会社を立ち上げて2年が過ぎていた。
疲れた。
私はアパートメントに3日ぶりに戻った。3日前にクラッカーにサイトをクラッシュさせられて、その対応でもうボロボロだ。セキュリティを一から立て直し、強固なものにするのに3日貫徹した。会社(JSL)の自分の部屋で仮眠をとったけど、やっぱり自分のアパートメントで眠りたいと、戻ってきたのだ。
あ~、クーラーできっちり冷やした自分のベッドの分厚いふとんにくるまって眠りたい。
♪♪♪♪
いきなり心をギュッと鷲ずかみされるような、抒情的なバイオリンの旋律が響いてきた。シューベルトの「魔王」だ。誰が弾いているんだろう? 激しく鼓動に添うように突き付けてくる音色。こんなの今まで聞いたことない。
私は中庭の長椅子に腰かけてしばらくバイオリンの音の波に体を預けてぼぉっとしていた。
夏休みに入ったせいか、普段から静かなこのアパートメントはよけい今日は人の気配がしない。今ここにいるのは、このバイオリンの君と私だけじゃないかな。それにして本当に素敵な音だ。
私は、バイオリンの音色に包まれてまたいつの間にかウトウトしてしまった。疲れすぎていた。
「おい、起きろ」
どこからか声がする。
「おい」
ハッ・・・。ここは・・・どこ?
「どっか具合悪いのか?」
「あっ・・・」
目の前に、知らない男の顔。ギクッとして飛びおきた。茶色の髪にグレーの瞳。整った顔はどこかで見たことがある・・・。
「!」
「なに?」
ジェシカの想い人のモデルの男だ!
「こんな所で寝て。大丈夫か?」
「あっ・・・・・。いえ。」
しどろもどろに、大丈夫と答える。
「バイオリンが・・・」
「バイオリン?」
いつの間にかバイオリンの音色は消えていた。
ちょっとがっかりしながら、アパートメントから聞こえてきたバイオリンが素晴らしくて、ここで聴いていた。だけど、ずっと寝ていなかったから、聴いているうちにうっかり寝込んだことを伝えた。
「だから大丈夫。心配かけてゴメンなさい」
「あっ、いや。それならいいんだ」
「あなたは、ここの住人?」
「あ、ああ」
「会ったことないわね。というか、私、ここに住んでる人の誰とも会ったことないんだけど・・・」
「最近引っ越してきたのか?」
「いいえ、ここには3年住んいるの。ただこの2年程は他にも家(JSL)があるから、あんまり帰ってこないから・・・」
ああ、という目で見た男の顔を見ると、多分誤解されただろうと思うけど、わざわざ誤解を解くのも変な気がしてそのまま流す。
「じゃ、行くわね。さようなら」
男と別れて部屋に戻る。あ~、ビックリした。昼間でよかった。これが深夜だったらちょっとヤバいかも…? あれ、前にもこんなことあったっけ?