体育祭Ⅱ
午後12時半。
40分間の休憩がとられ、教師生徒共に昼御飯だ。
私は、テントから離れ、綾瀬さんを探す。
全校生徒が集まっているだけあって、見つけ出すのはなかなか難しい。
中学だったら、茶髪の彼女は発見しやすいのだが、高校生になり校則が緩くなったため、髪を染めている女の子たちは多い。
むしろ、私みたいに黒髪の方が珍しい方かもしれない。
そんな中私は、やっと綾瀬さんを見つけた。
しかし、その彼女は他の友達たちと弁当を広げていた。
昼の強い日差しのせいで、じわじわと汗が出てくる。
額に前髪が引っ付いて鬱陶しい。
「あ、あの」
いくら私でも、体育祭に一人で昼御飯という、悲しい状態は嫌だ。
ここは、混ぜてもらうべきだと思った。
「私も一緒に食べていい?」
そう聞くと、綾瀬さんが独り言のように発言する。
周りの男子たちに気づかれないために小声なのだろう。
「佐々木に話しかけられるからって、調子のってんじゃねぇよ。」
それに周りの女の子達が同意する。
あくまでひそひそと。
しかしすぐ隣にいる私にはしっかりと聞こえるように。
「だよね!地味なくせに佐々木に近づくなんて。」
「手、振ってたの見たぁ?」
「結構、男好きだったりしてねぇー」
調子に乗った時なんて一度もないのに。
全て自分に向けられているのだと、すぐわかった。
空気が重い。
こんな中に混ざれるなど、誰も思わないだろう。
ましてや、綾瀬さんといる女子たちは、クラスでも私が苦手とする部類の人たちだ。
「……っ」
私はその場から離れ、誰もいないであろう校舎裏へ駆けていった。
泣くと負けたような気がするから、泣きたくない。
必死で気持ちを反らそうとする。
涙腺を緩ませないように、瞬きもしてみる。
なのに、手のひらにはしずくが落ちる。
「…ぅ、…く」
ふと後ろから足音がした気がした。
「……!」
誰か来たのかと、後ろを振り向く。
そこには、見慣れた顔があった。
「……あ」
「…どうしたんだよ。」
先生は、校舎裏にしゃがんでいる生徒がいたので、見に来たらしい。
「……これは、えと…」
何か言い訳をしなければいけない、なのになかなか言葉が出てこない。
狼狽えていると、先生がしゃがんでいる私の手を持ち上げてきた。
それから引っ張られて立たされる。
「あのっ…」
「…弁当食ったか?」
「え、まだですけど…」
「よし」
そう言うと先生は、テント下まで私の腕を引っ張って、椅子に座らせた。
そしてコンビニ弁当らしきものを広げる。
「腹が減っては戦はできぬ、だぞ!」
「……はぁ。」
「ほら、お前も弁当食え。じゃないと俺が食べられない。」
何がしたいのか、先生は私が弁当を広げて食べ始めるまで、自分のに手をつけなかった。
「いただきます…」
「うん、いただきます!」
待ってましたとばかりに、弁当を口に放り込む先生。
あっというまに食べきってしまったようだ。
「そうだ、借り物競走の時、ありがとな。」
「あぁ、いやいやそんな。」
少し照れくさくなってしまう。
「俺、参加したかったから嬉しかった。」
「そうですか、よかった。」
でも、やっぱりさっきのことが頭から離れない。
「佐々木じゃなくて悪かったな、とか言ってやろうと思ったんだけどな。」
「…な、なぜに佐々木君…。」
女子たちの怒りの原因となった名に、どきっとしてしまう。
「お前ら、よく話してるから。」
「む…、そんなことないですけど…。」
「うん、好きな先生って字見て、言おうと思ってたのに吹っ飛んだ。」
「お…思い出させないで下さい!恥ずかしいっ」
嬉しそうに笑う先生を見ると、少し心が軽くなった気がしないでもない。
「……。」
「ん、どうした宮城。」
「聞かなくて良いんですか、さっき泣いてた…理由とか。」
「……あぁ…」
「……先生?」
一瞬、真剣な顔になる先生に緊張する。
そして次に先生の口から聞いたのは、意外な言葉だった。
「話さなくていい、思い出したらまた泣くだろ、どうせ。」
泣いた女の子の顔なんて見たくない、そう言って私の両頬をつまみ、無理矢理笑顔を作らせた。
笑顔というのとは、ほど遠い気がするが。
「あ…あにょ…」
困る変顔の私を見てか、先生は吹き出した。
「っく、…それに、理由なんて大体分かるしな?」
「ふぇっ!」
そのあとは放送が入るまで、ずっと先生にかまってもらった。
いや、かまってあげていたのかもしれない。
どうやら先生は、頬をいじるのがお気に入りになったようだ。
暗い気持ちは、話している内に飛んでいったようだ。
「只今から、リレーを開始します。出場者は出てきて下さい!」
私の最後の個人競技。準備運動をばっちりしてスタートラインに立つ。
これが終われば、もう後は座っているだけだ。
より気合いが入る。
渡されたバトンを受け取り、走り出す生徒たち。
もちろん私も。
後ろの人との距離を、少しずつだが広げながら走り、あと少しで次にバトンを渡せる……。
手を前に伸ばしながら走る。
そのときだった。足に痛みが走った。
「いたっ…!」
何かが当たった。
当たり所が悪く、私は盛大にずっこけた。
グラウンドには結構、砂利があったため、膝小僧が出血していた。
ふいに足下を見ると、そこには石が転がっていた。
「い…し…?」
どうやら、どこからかこの石がぶつけられたらしい。
これほど大ぶりの石は、リレー直前にでも処理されるであろう。
これは誰かに投げられたとしか考えられない。
そんなことより、とにかく今は走らないと!
不恰好な走り方だがなんとかバトンを渡せた。
戸惑いながらも、次の人が、バトンを手に走ってつないだ。
「はぁ……よかった…」
周囲も事情が分かったのか、変な走り方だと誰も笑わなかった。
出血しているので、やはり保健室へ行くべきだろうか。
ふらつきながらトラックから離れる。
思ったよりも、足が痛がっているようだ。
「みや…!」
「宮城さん!!」
佐々木君が足を引きずっている私の元へ駆けてきてくれた。
みんなの前では、あまり近づいて欲しくないのだけど……。
それにしても、その前に別の誰かも私を呼んだような…。
気のせい……かな、お化けじゃなければいいけど。
「って、それはないか。」
「え?」
「あ、なんでもない!」
きょとんとしながらも、肩をかしてくれる佐々木君。
絶対今、女子達に睨まれているだろうな~……。
しかし、一人では歩けなさそうだったので、ご厚意に甘えることにした。
「大丈夫か?何か飛んできたように見えたけど?」
私を保健室のベッドに腰掛けさせ、足を見つめる。
「あはは、誰かが蹴ったのが当たったのかな~?」
「ん~、迷惑な奴がいるもんだな。」
佐々木君は眉間に皺をよせる。
さすがに女子がやったであろうとは言えないでしょ。
彼は、私を見て大丈夫だと安心したのか、穏やかな表情を浮かべる。
「俺、すごい心配だったんだからな!」
そう言った佐々木君に突然抱きしめられてしまった。
急接近に顔が熱くなってしまった私だが、
佐々木君はごく自然だから、多分あまり意識していないんだろう。
軽く複雑な気分になっていると、また傷口がじんじんしてきた。
「ありがと…。でもあの、保健の先生を呼んできてくれないかな…。」
「あっ!ごめん、すぐ呼んでくる!」
佐々木君は保健室を飛び出ていった。
「ふぅ…。」
保健の先生がくるまで、ゆっくり待つとするか。
ごろんとベッドに倒れた。動かすと痛いので片足は曲げたままだが。
ガラガラとドアの音がした。
「あれ、佐々木君、速かったね!」
起き上がって先を見ると、そこにいたのは、保健の先生を連れてきた佐々木君ではなく、どこか不機嫌な顔をした田端先生だった。
「……ありゃ、田端先生。」
「…、佐々木じゃなくて悪かったな」
近づいてくる。
「え、いや、保健の先生呼びに行ってもらってるから…。」
「知ってる。……大丈夫か、足。」
「ちょっと痛いんですよね。う~ん」
先生は薬がある棚を探る。
そして、消毒液とガーゼを持って目の前まで来てくれた。
「え、え、え、え、え!」
「……俺に頼ればいいものを。」
ぶつぶつ呟いて、消毒液のフタを開ける。
「いくぞ。」
「し、しみますか!しみますよね!待って、心の準備がぁ!」
「っはは、すぐすむから。安心しなさい」
そう笑った先生は、傷口を優しく消毒する。
「いたっ、あうぅ~…。」
痛みがじわじわと伝わってくる。
「あ~!う~!」
「…っふ、はい、遥ちゃん、終わりましたよ~?」
先生は、痛がっていた私を子供扱いしてくる。
どこか嬉しそうなのは気のせい?
「もう!止めてください!気持ち悪いですよっ!」
「む、先生に向かって気持ち悪いってなんだよ~!」
また頬をつまんでくる。
それどころか、左右上下にグニュグニュされる。
「ひゃめてくらさ…!」
「はっはっは!参ったか!」
じゃれ合う私達。いや、一方的にじゃれてる?
「おらっ、おらおら~。」
「みゅ~っ!ひぇんひぇ~!」
足をバタバタしていたら、引っかかってしまったようだ。
何にかって?先生の足にだよ!
そうなると、起こることは一つしかなくて……。
「うおっ!」
「わ!」
ぼすっ、とベッドの上に倒れる二人。
必然的に押し倒される体制になっていて、か…顔が近い。
「……。」
「…………。」
十五センチ以内に先生の顔が……!
大きく開かれた先生の目に吸い込まれそうだ。
いきなりのことに何も言えなくなってしまった。
「あ……っと、ごめん」
ぎこちなく起き上がる先生。
背けられた顔が、どんな表情をしているのか気になる。
でも私の体は、動けなくなっているのである。
「……いえ。」
沈黙に困っていると、ようやく佐々木君が保健の先生を連れてきた。
そして、出て行く時にいなかった顔に気付いたようだ。
「あれ、田端先生じゃないすか。」
「……、手当はしときました。早いほうがいいと思いまして。」
何事もなかったように、保健の先生にそう報告すると、田端先生は私の腕を持った。
「歩けるか?」
「あ、はい。」
「よし、行くぞ。」
引っ張られながら私は、保健の先生に礼を言った。
「あ、わざわざありがとうございました。」
「お、おいっ!俺もいくよ!」
佐々木君も後ろから追いかけてきた。
「後は俺が連れてきますよ、先生。」
「いや、僕がやりますから、先に行ってていいですよ。」
「…大丈夫ですって。先生忙しくないんですか?」
田端先生が何か言おうとしたが、それは他の先生の声で止められてしまった。
「いたいた、田端先生、いなくなってもらっては困りますよ~。」
「あ、大西先生。すみません。」
田端先生は、ちらっと私を見る。
「後は俺に任せてください。」
佐々木君が笑顔でそう言う。
「……、じゃあ頼んだ。」
ぼそっと呟いた先生は、仕事のために戻っていった。
「あ、田端先生!頑張ってくださいね!」
私は離れていく背中に、声をかけた。
それに振り返って微笑み、先生は走っていった。
その後、体育祭は無事に終了した。
明日からはまた、日常に戻るのだった。