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第3章 「ちゃんと」の呪い

台詞合わせを進めるうちに、理央の舌が引っかかる行が見つかった。

“あなたは、私のこと、分かってるの?”

この一行は、声帯を通るときだけ重くなる。


「ここ、難しい?」

湊が問うと、理央は台本を閉じて、閉じた本の上に手を置いた。

本の重さを指で確かめるみたいに、数秒押さえてから言う。


「難しいというか……“ちゃんと言わなきゃ”って思うほど、言えなくなる」


“ちゃんと”。

この二文字は、理央の口からよく出た。

“ちゃんとやらなきゃ”“ちゃんとできてない”“ちゃんと言う”。

正しさの魔法だ。

唱えれば叱られないし、唱えている間は自分も安心できる。

ただ、効力が切れたとき、反動が来る。


「言いたくない、じゃない?」

湊は思ったことをそのまま置いた。

理央は少し驚いた顔をして、それから、頷いた。


「……言いたくない、かも。相手にも、私にも、嘘になるから」


“嘘”。

湊は、嘘という言葉を嫌いではない。

嫌いではない、という曖昧さを選ぶほどに、嘘は生活に染みている。

頷くかわりに、提案する。


「じゃあさ、今日は台詞なしにしよう。

“言いたくない”って気持ちだけ持って、目を見る。喋らない。

俺は受け取るだけにする」


理央は準備の深呼吸を一度して、湊を見た。

視線は逃げない。逃げないとき、人は喉の奥で小さな音を作る。

声にならない音は、言葉より正確だ。


十秒、二十秒。

湊は、理央の中で起きている逡巡の形を想像する。

言えば壊れる、言わなければ残る、でも残るのは“何か”であって、今の自分ではない——そういう問いの形。

彼は頷かない。頷くと、相手の問いを終わらせてしまうからだ。

終わらせる権利は、持っていない。


「……ありがとう」

理央が先に口を開いた。

ありがとうは、最初の逃げ道でもあるし、最後の敬意でもある。

今日のそれは、後者に寄っていた。


湊は言葉を選ばない。

「また、やろう」

また、が効く。続く予感は、人を少し楽にする。

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