第1章 ペア決定の日
「秋月くん、文化祭の劇、同じペアだって。よろしく」
成海理央は、手短に告げた。
“よろしく”という言葉の角度は、安心を呼ぶ。頷くだけで会話が成立するようにできている。
湊は、その仕組みを理解しつつ、素直に頷いた。
「……よろしく」
彼の声は自分の耳にだけ届く小ささで、しかし必要な高さは保った。
気づけば、黒板の隅に貼られた稽古表の名前を、無意味に何度も読み返している。
秋月 湊。成海 理央。黒いチョークの線は、思っているより硬い。
放課後、教室の隅で台本が配られた。二人で一つ、ではなく、一人一冊。
同じ文字が、別の重さで二冊に宿るだけだ。
理央はページを繰るとき、音をできるだけ立てない。
周囲に気を遣う癖は、呼吸のように自然で、直そうとして直るものではない。
「台本、先に目を通しておく?」
「うん。……声は、出さなくていい?」
「今日は出さないでみようか。読む速さ、合わせて」
“合わせる”。
この言葉は、彼にとって危険だ。合わせ続けると、自分が薄くなる。
それでも彼は頷いた。合わせることは、嫌いではない。嫌いにならないようにしている、と言うほうが近い。
沈黙の読書が始まり、五分ほど経った。
ページの端で指が止まる。
理央の「ねえ」の予感が空気を撫でる。
湊は顔を上げない。まだ、名前を付けたくなかった。
「秋月くんってさ、静かだけど、静かすぎないよね」
「……どういう」
「静かにしてる、じゃなくて、静けさを“置いてる”。周りがそれに合わせられるように。そんな感じ」
湊はページに目を落とし直した。
“置く”という動詞は、彼を少しだけ救う。受け身ではないという気がする。
「それ、助かるんだ。私、話し続けちゃうから」
彼女は笑い、笑いすぎないところで止める。
会話を終わらせる技術を持つ人間は、案外少ない。
終わらせ方の上手さは、これまでの気まずさの総量で決まるのかもしれない。
稽古は二十分で打ち切られた。
短いほど、人はまた来ようと思う。
帰り道、夕陽が長い影を作る。
湊は、影が重なる瞬間を見ないように視線を落とした。
重なりは、いつも勝手に意味を連れてくる。




