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たぶんホラーの短編集

死神の囁やき

 罪悪感を持つ必要はない。あなたはひき逃げなんてしていない。確かにあなたの運転する車と接触したけど、もう済んだことでしょ?


 まあ、一応あなたの疑問の答えます。でも、今からする話は忘れて。

 いわゆる、死神の話だから。



 当時、僕はとにかく何もかもが嫌だった。この世界の何もかもが。


 それは些細なことかもしれない。

 職場で挨拶を返してもらえなかったり、雑談していた人たちが、僕が現れるなりさっと解散したり。誰とも話さず仕事をし、帰宅する。それが僕の毎日だった。

 その頃は両親と暮らしていた。

 二人は僕がまともな仕事をしていることをものすごく喜んでいた。毎日のように、

「本当によかった」

「これで安心だ」

 とか言うものだから、辞めたいなんて口に出せなかった。

 朝早く出社し、夜遅く帰ってさっさと自室にこもる。それだけの日々。もちろん休日に外出する気力など沸かない。部屋に逃げ込んで、僕はようやく僕でいられた。僕に戻れた。


 その日も部屋に帰り、一息つこうとした時。腰高窓のカーテンが開けっ放しだった事に気づいた。母親が閉め忘れたのだろう。

「換気くらいしないとね」

 と、言っていた気がするから。外界への扉が開いているみたいで嫌な気分になる。


(締めとけよ)


 苛立ちながら窓へと向うと、外に誰かが立っているのが見えた。小柄で若い女性だった。こんな夜中に窓からこちらを覗いているなんて不審者そのものだ。

 でも、僕は彼女を知っていた。 


「こんばんは」


 彼女は頭を僅かに揺らし、頷くように挨拶する。


「何しに来たんだよ」


 僕が返しても何も言わない。こちらを見つめたまま動かない。


「祟りに来たの?」


 僕は大きく息を吸い込み、わざとらしくため息をつく。


「それとも僕を見下しに来たの?」


 ヤケクソみたいなことを吐き出すと、ようやく彼女は口を開いた。


「あなたは良い人です」


 僕は顔をしかめる。あまりに馬鹿にした言い草だったから。


「最低な人間なのに?」


 彼女は小さく首を振る。


「そんなことはありません」


「嘘つけ」


 言い捨てた僕を、彼女はじっと見つめる。


「あなたは優しい人です」 


 彼女がそう言い放った瞬間、僕は思わず敵意の視線を向けてしまった。目と目が合うと、彼女は反対に穏やかに微笑んでいた。


「お礼を言いに来ました。あなたのおかげで自由だから」


 その時、胸がチリリと鳴る。


(自由?)


 幸せそうに微笑んだまま、彼女は僕から遠ざかる。


「痛い思いをしたくなかった。だから代わりに身を投げてくれてありがとう」


 僕はその時、その笑顔の狡猾さにようやく気付いた。


「さよなら」


 彼女は逃げるように消えてしまった。窓ガラスには青白い顔の僕が映っている。彼女と全く同じ顔の僕が。

 窓を開けると冷たい風が舞い込んだ。街灯と近所の家の灯りが夜に滲んでいる。


「さよなら、か」


 窓枠に乗り、僕は飛び降りた。


(今まで何故こうしなかったのだろう)


 部屋は1階だから難なく外へと出られるのに。 

 行く先もわからず、裸足で街を歩き始める。

 部屋の中に留まるのはもう限界だった。

 息苦しくて、ずっと逃げ出したかった。歩きながら、ささやかな自由を感じながら、僕はあなたに轢かれた夜を思い出していた。 



 あの日、あの山道で。

 僕は走る車の前に飛び込んだ。

 一人で死ぬつもりだった。

 それなのに、跳ね飛ばされた僕は近くを歩いていた彼女を巻き込んでしまった。そして二人して崖の下に落ちた。


「……死ねなかった」


 地面に倒れ、意識が薄れていく僕の隣で、座り込んだ彼女がぽつんと呟く。

 僕は見事に致命傷を追ったけれど、彼女は軽い怪我だけで済んだようだった。こんな夜中に山道を彷徨っている女だ。僕と目的は同じだったのだろう。それなのに彼女だけが助かるなんて!

 無性に腹が立った。

 もう後悔していたから。

 何故やけになってしまったのだろう。

 やっぱり生きていたい、と。


「……お前が死ねばよかったのに」


 気づくと彼女の足首を掴んで呟いていた。彼女は目を見開いてから、僕にそっと囁く。


「私の肉体で良ければさしあげます」


 一瞬戸惑ったものの、渇望してしまった。命のある体を。


「その代わり私の両親を幸せにして」 


 そう言って泣く彼女の肉体を、僕は何も考えずに乗っ取っていた。馬鹿だった。彼女はずっと馬鹿を探していたのだろう。

 でも、最悪な環境から逃げ出したいけれど術を知らない彼女と、どんな体でもいいからまだ生きていたい僕は、あの瞬間だけは互いに利益のある関係だった。



 その後は、あなたも知っている通り。

 僕とあなたとだけで起きた山道での交通事故として処理された。

 もう済んだこと。

 僕の死体は崖の下で腐ちているだろうけどね。

 ね、わかったでしょ?

 僕の一人称が僕のわけ。

 あなたと付き合えないわけ。

 中身が男だからだよ。本当は男に戻りたいんだ。

 怖がらないで。大丈夫。あなたを乗っ取ったりしないから、もう、この話は忘れてほしい。絶対に乗っ取ったりしないから。

 でも、僕を轢き殺した罪悪感から逃れたいなら、或いは。ね

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