3話
吹き荒ぶ吹雪の中、かすかに隊長の声が聞こえた気がした。
次の瞬間には踏みしめていたはずの地面が、正確には雪の層がまとまって滑り落ちた。
たまたまの偶然で居た場所が良かったらしく、巻き込まれることはなくその雪崩の上を転がるようにして落ちた。
気が付いたときには崖下に放り出されていた。
立ち上がり辺りを見回す。吹雪のせいもあり自分以外に人影が見えない。
大声で叫んでみるも、叫ぶそばから吹雪の暴風の音にかき消されていく。
すぐ先も見えないような状況で歩いて、何かを、何でもいいから何かを探す。
やっと吹雪の向こうに何か動くものを発見し、そちらに駆け寄る。
そこにいたのは隊長だった。
「隊長、ご無事だったんですね」
口には出したが、たぶん隊長の耳には届いていないだろう。
身振り手振りで何とか情報を共有すると、どうやら私と隊長以外の3人は未だに見つかっていない。
私たちは二手に分かれ他の3人を探し続けた。
探し続けているうちに風は止み、雪も降りやんだ。ここ4日ほど続いていた吹雪がまるで嘘だったかのように快晴となった。
視界が開けた事で発見が相次ぎ、隊長は雪に埋もれた3人を同じ場所から発見した。私は崖に人が入れる程度の大きさの洞穴を見つけ、隊長に報告することにした。
報告するために近づいて、隊長が3人を救助しようとしている事を知った。慌てて手伝うも状況は絶望的だった。
内2人は既に絶命していることが遠目にもわかる。残る一人、ケントも何とか生きてはいるものの口からは血が漏れている。
先ほど見つけた洞穴を隊長に報告してそこに向かう事を提案する。
隊長と二人がかりでケントを半ば引きずるようにして洞穴まで運ぶ。何とか息はしているものおそらく長くは持たないだろう。
応急処置とかの範囲はすでに超えている。出来ることは少しでも楽な体勢にしてあげる程度だ。
運び込みが終わった瞬間に今度は隊長が崩れ落ちた。
「大丈夫ですか」
驚いて隊長に近づく。
「・・・足の、感覚が、全然ない」
見ると隊長の左足が変な方向にねじれている。隊長はこの足で気概だけでケントをここまで運んできたと言う事だろう。
「すぐ手当をしますね」
私の行動を手で制止する。
「どうせ今出来ることは止血ぐらいだ、それぐらいなら自分でできる。それよりもお前だって怪我をしているじゃないか」
言われてから自分の右腕が重く感じ始めた、見てみると出血があり腫れあがっている。
「これぐらいどうってこと無いですよ」
強がりを言ってみせるも怪我をしている事を認識してからどんどんと痛くなってくる。
「さすがに腕じゃあ自分で止血は出来ないだろ」
隊長の手招きに応じて近づきとりあえずの応急処置をしてもらう。
応急処置が終わると隊長は力が抜けたように腕降して呟いた。
「はあ、ヴィクトルもノアも、そしてケントももうすぐ・・・。全て俺のせいだ」
「・・・隊長」
励ますべきだろうが掛ける言葉が見つからない。
「全て俺の判断ミスが招いた結果だ」
「・・・」
山に入ってから最初の3日間は驚くほど順調に進めた。降り積もった分厚い雪の層に足取りを取られはしたがそれ以外は問題が発生せず、事前にマークしていた確認したいポイントを全て確認し終えた。
食糧的には折り返し地点の4日目に安全を取って一回下山を開始する事にした。そこから悪夢のような日々に変わった。
その吹雪は視界を白く染め上げ、私たちのありとあらゆる場所に雪を叩きつけ体温を奪い、その轟音で隣に立つ人との会話すらままならない。
一向に止まない吹雪は全員の体力と気力、そして判断力を確実に奪っていった。
視界を奪う吹雪により、吹雪に見舞われたその日のうちに目印としていた木や風景を完全に見失った。
そこからは私たち部下の4人は完全に隊長に意思決定を押し付けてきた。
本音を言えば右に進むか左に進むかなんて事考えるほど余裕が無かった。
ただただ吹き付ける雪に耐えながら目の前の壁のような雪の層に足を乗せるそれだけで意識の全てが持っていかれ、ほかの事を考えるだけの余裕があるわけなかった。
そんな状態だから隊長の出した指示があらぬ方向であっても誰も気が付かなかった。そしてこの結果になった所で隊長を責める気持ちにはとてもなれない。
失った部下の数だけなら先の大戦時と比べ物にならない。しかし、あの時はちゃんと状況を見極めて的確な指示が飛んできていた。
今回はそうではなかった。我々はまかせっきりにしてしまったが、隊長も限界を超えた状態でなんとか気丈に振舞っていたのだけで、本当はだいぶ疲弊して混乱していたのだろう。
隊長はいまだに自責の言葉を呟きながらうつむいていた。
しばらくは無言で隊長の呟きを聞いていたが、何か出来る事は無いかと考えているうちに、麓の村で万全の状態で待っている後続隊の事を思い出す。
「そうだ、隊長、一回下山しましょう。村まで戻れば副隊長達が待っています。彼らと合流してそれから色々考えましょう」
私の声に対して、隊長は久方ぶりに頭を上げた。
「・・・ああ、そうか。君は腕の負傷はあるが足は無事だから最低限の移動は出来る。君一人ならここから移動して、うまく目印を見つけられれば村まで行けるだろう。
しかし、俺のこの足では移動することは出来そうにない。・・・せめて、君だけでも助かってくれ」
「いえ、必ず副隊長達を連れて戻ってきます。そうすれば隊長を救助できます。間に合えばケントさんも」
「俺のことは捨てておいてくれて構わない。君以外の部隊員全員を死に追いやった俺に生きる資格は無い」
「そんな事ないです。絶対に迎えに来ますからここで待っていて下さい」
私は隊長に強く言い残し、洞穴を出た。
本音を言えばあそこまで落ち込んだ隊長を見ていたくないというのも有った。私にとって隊長は常に明るく皆を導いてくれる存在であり、またそうであり続けてほしかった。
吹雪が止んで視界が開けているため、相変わらず雪は深いが格段に進みやすい。
まずは周りを見通せるやや小高い場所を目指した。遠くまで見えた事で、見た事のある風景を数か所発見できた。
頭の中の地図と照らし合わせ、村の方向を確認する。幸いな事に自分のぎりぎり残っている気力が折られるほどの距離で無い事が判明した。
後はそちらの方向に向かって下山をしていくだけ。下りるにつれて目印となるポイントをいくつも発見でき、方向が正しかった事が証明され、足取りに力が戻る。
最後の力を振り絞り、村まで歩ききった。
そこで張りつめていた気が抜けて村の入り口で倒れこんだ。それをたまたま見かけていた村人に介抱された。
「おい、大丈夫か」
「私は、大丈夫です。でも、隊長が」
村人が大声をあげてくれたお陰ですぐに人が集まってきてくれた。
私は途切れ途切れになりながらも状況を説明した。吹雪でさまよい崖から転落、2人が亡くなり1人が瀕死の重傷、そして隊長が足をやられて動けない事。
村に戻ってくる時に確認した大まかな場所と特徴的な崖にあいた洞穴の事を伝えると村人の一人から声があがる。
「その場所なら知ってる。前に雨宿りで使った事がある」
どうやらその村人が居れば隊長の所まで副隊長たち後続隊を案内できそうだ。
そこで気が付く。これだけ村人が集まってきているのに、後続隊の人たちが一人もいない。
「あの、もしよろしければ、今の話をヘルゲ副隊長達に伝えてくれませんか」
さすがに彼らがここに表れてからもう一度最初から私が説明するより、村人の誰かに伝言してもらうほうが速いだろう。
「・・・」
しかし、わたしの提案に村人は誰も答えてくれなかった。
「それはちょっと難しいですね」
村人の中から声があがり、見ると村の重役の人だ。
「彼らは今、ここには居ないんですよ」
申し訳なさそうに答える村の重役に食い下がる。
「なんで、どうしてそんな事になるんですか」
「・・・今、彼らの持ち物の内、お金に出来そうな物を売りに行っています。その代金で食料を買い込んでくる予定です。
本来はこんなことをしたくはなかったのですが、我々村人も冬の間に備蓄が尽きれば待っているのは一つだけですから。
彼らがもう少し暴飲暴食を控えてくれていれば、なんとかなったかもしれないんですが」
「そ、そんな」
なんという事か。彼らは城下でもさんざん問題を起こして隊長に迷惑をかけたくせに、ここ任務地に来てもまだ問題を起こしていたとは。
しかも、それが原因で本来後続隊として最優先で行うべき救援活動に支障が出るなんて。
何とか隊長を助けたい一心で代案をひねり出す。
「では、村人の方々から救援隊を出してはもらえませんか」
「前にお伝えした通り、私たちは「山の征服者」の治める冬の雪山へは立ち入ってはならないと、昔からの風習で決まっていますので」
村の重役は冷たく言い放った。まったく取り付く島もないらしい。
彼らにとっては人一人の命より、こんな迷信じみた民間信仰の方が大切だという事なのだろうか。私は村人に対する怒りを覚え始めた。
「そんな実在するかどうかもわからない様な怪物に怯える必要があるのですか。現に私たちは数日間、雪山を移動していましたがそのような怪物の影すら見ていません。
もし仮に、実在するとしても私たちが国王様の威光のもとで必ずや成敗いたしましょう。そうすればあなた方が怯える必要は無くなる。ですから、」
私の訴えはどこからともなく飛んできた石に邪魔される。
「黙れ、「悪しき者」の仲間が。今度は我々に「山の征服者」の怒りを買わせて、村を滅ぼすつもりか」
罵声とともに更に石が投げられる。それも一人からではなく集まっていた群衆の至る所から。
当たり所が悪く倒れこむ。それでも石やら蹴りやらが飛んでくる。
そこに鶴の一声が響く。
「止めないか」
声のもとには長老が立っていた。長老の一言に半ば暴徒と化していた彼らはその手を止める。
「なんで止めるんですか、こいつはあいつらの仲間なんですよ」
彼らから非難の声を受けるも長老は動じない。
ありがとうございます。と感謝を伝えようとした所に長老の言葉が被る。
「こやつはすでに母なる山に入って「山の征服者」の怒りを買ったものだ。「山の征服者」の獲物を我々が勝手に手を出したらどんな目に合うかわからん。
生かすも殺すも「山の征服者」が決めること。我々がして良いのはただ逃げださんように、木に縛り付けておくことだけだ」
一瞬でも希望を抱いてしまった事に後悔した。
「じゃあ、まずこいつが暴れねぇようにしねぇとな」
そんな言葉と共に頭部に激しい痛みを覚えて意識を失った。
頬に何かが当たる感触で目が覚めた。
目が覚めて、体を動かそうとしても動けない事を知る。
自分の様子を見てみると、縄で木に括りつけられている。動いて振りほどこうと思ったが手足の感覚がおかしい。
全然手足の感覚が無く、痛くも冷たくも無い。
視界に入る中で下半身のほとんどは雪に覆われている。ところどころあらわになっている皮膚はまるで死人のように白い。
そこで改めて気が付いた。どうやら気を失っている間に防寒具も全てはぎとられているようだ。
既に辺りは暗くなり始めていて、これから訪れるのは極寒の夜。そこに防寒具も無しで木に括りつけられている。それが何を示すかなんて考えるまでもない。
「・・・どうせなら、意識が戻らないままならば、少しは」
呟いた所で何も変わらない。
せっかく戻った意識も寒さと疲労でまた遠のき始める。
見上げると正面に先ほど必死な思い出下山してきた山が見える。そこから風と雪が私の方に吹き付ける。
もうすでに寒さなんか感じない。
強風が吹き付けてありとあらゆる所に雪が溜まっていく。見える範囲のもの全てが白く覆いつくされていく。
「・・・ああ、そうか」
その時「山の征服者」という怪物の名前を考え出した、この村の遥か昔の人間の思考の一端が垣間見えた気がした。
そして私は深い深い眠りに落ちた。
冬が終わり春となり、王宮に一通の手紙と小箱が送られてきた。
送り主を確認すると冬前に治安維持部隊の奴らを送り付けた村の村長からだった。
その村の村長からはこれで2通目となる。
1通目は彼らを送り付けて少し経った頃、彼らが全員山へと登ったきり音信不通であるという報告。
そして、今回の2通目。
内容を見てみると定型文に続いて、雪解けに伴い山全体を捜索した結果、彼ら全員の遺体を収容した事。
彼らの遺体については村で手厚く供養をして、各々の愛着が籠っているであろう物品を遺品として送った事。
出来ることであればその遺品をそれぞれの遺族に渡してほしいとの事。
以上が書かれており、実際に小箱の中身を確認すると手帳や眼鏡など生前の彼らが使っていたであろう物が入っていた。
小箱の蓋を閉じてその辺に居た下級兵士に渡す。
「ゴミだ。捨てておいてくれ」
渡された下級兵士は敬礼とともにその小箱を持って立ち去った。
国王に謁見して、手紙の要約を伝える。
「どうやら雪山の開拓を託した彼らは失敗したもようです」
それを聞いて国王はやや笑みをこぼす。
「そうか失敗か、それは実に残念だ。では致し方ない、大臣よ次の冬に向けて新たな人選をしておいてくれ」
「かしこまりました」
国王に深々とかしずく。
頭の中で次に派遣する集団を考える。さて、次はどいつらにしよう。