2話
翌朝、村長宅の応接間に村の中でも春から秋にかけての母なる山で狩猟を行う猟師数名と、トビアス隊長を含む彼の中から数名が集められた。
彼らはやや大きめの紙に絵地図にて夏場の山道を書き記していった。そのほとんどは人一人分以下の細い道ではあるが、その要所要所には雪山でも発見できるであろう目印が書き加えられていった。
大体の説明と書き記しが終わって、村人の一人がふざけて言う。
「とは言っても、全部が全部雪に覆われているから、この地図がどこまで有効かはわからんけどな」
「それでも皆さんが踏み固められた道は固くしっかりしています。たとえその上に雪が積もろうとも、十分に役にたちます」
「まあ、それもそうか。道を知らなかったら歩いていて気が付いたら崖の上なんて事もありえるからな」
談笑を交えながら作業を続ける。猟師の村人は昨夜の会議に出席していないので、彼らに対してネガティブな感情を抱いてはいない。
長老の「彼らに出来る限り協力するように」という意向を汲んで、昨夜にその場に臨席した村人にはかん口令が敷かれた。
そのため今のところは彼らの発言を知っている者は少ない。そうは言ってこんな狭い村だから数日後には漏れるだろうから、とりあえずのその場しのぎでしかない。
漏れて全員に伝わる頃には彼らは母なる山に入って、この村には居ないだろうから結果として問題ない。
別の場所では彼らが事前に準備した防寒具の補修など手直しを行ったり、数日分の携帯食の準備が進んでいた。
結果として丸一日で諸々の準備が終わった。
その日の夜にトビアスは再度長老を訪ね、挨拶と共に数多くの協力に感謝の意を表した。
「我々の明日からの作戦ですが、我々の部隊全員での移動は危険が多いと判断しまして、私を含む先遣隊が明日から山に入り実際の様子を調べに行きます。
拠点の設営ができそうな所が見つかりましたら後続隊も呼び寄せるつもりです。万が一、先遣隊で何か不測の事態に陥った時に万全の状態の後続隊に援助を求める事が出来るのもそうした理由の一つです。
そのため申し訳ありませんが後続隊をもう少しこの村に居させて頂きたいと思います」
「それぐらいお安い御用です」
「ありがとうございます。あまり村にご迷惑をかけないように早めに呼び寄せようとは思いますので」
その後も数点の確認を済ませて、トビアスは帰っていった。
彼が隊長を任されているのも良くわかる。他人に気を遣う事が出来る人物で、あの様子なら部隊内でも信頼されているのだろう。
「ただいまーっと」
「隊長お帰りなさい」
貸し与えられた教会の一部屋。ドアを開けて隊長が戻ってきた。
「先の提案した作戦通りに先遣隊と後続隊に分けて行うことで村からも許可が下りた」
「じゃあ次は組分けか」
「聞く前にもうわかっているようなものだけどね」
「まあそうだろうけどな」
隊長と副隊長はわかりきっていることを確認するように会話をした。
我々の所属している元治安維持部隊の内部は2つの派閥に分かれている。派閥と言ってもお互いに対立しているわけではなく、普段からつるむ人が固定されている感じだ。トビアス隊長を含む隊長の派閥とヘルゲ副隊長を含む副隊長の派閥。
この隊の創立メンバーである隊長と副隊長は仲が良い。見た目も性格も正反対なのになぜか気が合うらしい。
類は友を呼ぶという諺の様にそれぞれの派閥にはそれぞれに近い人間が集まる。
かく言う私も隊長に憧れてこの部隊に入った為、当然のように隊長の派閥に所属している。
「俺達が先遣隊として先に山に入る。副隊長達はまずは待機していてくれ」
「まあ、そうなるだろうな。がんばれよ真面目組」
私の所属する隊長の派閥を、副隊長は茶化して真面目組と呼ぶ。それは暗に自分たちが不真面目組だと言っているようなものなのだが、気が付いているのだろうか。
「君たちもあまり村の方々に迷惑を掛けないように。特に飲酒は控えるように」
隊長は副隊長の方を見ながらたしなめる。副隊長は明らかに痛い所をつかれたらしく、そっぽをむく。
副隊長とその派閥は城下に居た時に飲酒で色々やらかしている。治安維持部隊のはずなのに何度となくその治安を自ら破壊した。
その度に隊長が各方面に頭を下げていた。隊長のそういった優しい所は利点であると共に欠点でもある。
何度か諸侯から隊長に誘いの声がかかった事が有ったが、その時に毎回副隊長とその派閥を切り捨てる事を条件に出される為、断り続けたらしい。
仲間思いと言えば聞こえは良いが、結局その甘やかしで副隊長率いる派閥はいつまでたっても反省をしない。
隊長には悪いが私個人の考えとしては、やはり彼らを切り捨てる方が隊長はいろいろと成功すると思う。
隊長はその他のこまごまとした最終確認をして、早々に床に潜り込んだ。
「先遣隊の奴らは明日から死ぬ思いをするぞ。暖かい布団も今日までだ。さっさと寝てその温もりを味わっておけ」
それだけ言い残して、隊長は寝てしまった。
真面目組な私たちはその言葉に従って、各々床に引き上げていった。
翌日、準備を完了させた先遣隊は教会で神に祈りを十分に捧げてから出てきた。
我々村人と待機の後続組に見送られる形で先遣隊の5人は母なる山に向かった。
はたして彼らは無事に生還できるのだろうか。「山の征服者」の治める冬の雪山に無断に侵入してその怒りを買わない事などあるのだろうか。
見渡す限りでは村人達の表情は一つの結論を示している。
そんな村人たちの心境とは無関係の後続隊の人たちは見送りを終えるとぞろぞろとあてがわれた教会の一室に戻っていった。
我々村人も各々自分の仕事に戻ることにした。
それから1日は特に何も無く、ただただ普段通りの日常が続いた。
しかし、次の日そんな日常に異変が生じた。
村には商店と呼べる店は一店しかない。日用品を始め雑多な物を売っていてその中には酒も含まれる。
また店内には椅子とテーブルが置かれており、夜には酒場的な商売もしている。
その日のやるべき仕事が終わった人たちが夕方過ぎから集まって、お互いに労をねぎらい明日への英気を養う。
そんな村人達の酒を使った交流の場として村の重要な場所になっていた。
しかし、後続隊の人達の使い方は違っていた。
彼らは朝から深夜まで店に入りびたり、ずっと酒を飲み続けていた。
赤ら顔で大声でわめきちらし、他への迷惑なんてまったく気にしない。
更には酒のつまみと称して村の倉庫に山積みされた食材を食い荒らしていった。
店の店主は客から頼まれただけなのに、度々倉庫に食材を取りに行きそのたびにほかの村人から白い目で見られている。
しまいには数々の嫌がらせまで受けるようになってしまった。
店内の雰囲気も最悪で、後続隊の彼らが占有しているテーブルの周りには無人の空間が広がり、村人達はその外側で狭苦しく飲んでいた。
それでも酒代や食料代を十分に払ってくれれば、それでなんとかなったかもしれなかったが、彼らは支払いを拒否しているらしい。
そこまでいくと流石に村の重役として見過ごせない。私は村唯一の酒場に赴き、彼らと対峙した。
「どうも、失礼します」
「あ、これはどうも」
ヘルゲは酒で真っ赤になった顔と呂律の回っていない口調で答えた。息が既に酒臭い。
「雑談でもしたい所ですが、少し切羽詰まったまして」
「ほう、どうされたんで」
「単刀直入に申しますと、ここのお支払いの件についてですが」
ヘルゲはわざとらしく大きくため息を付いた。
「その話は店主のあんちゃんにもしたはずだけど」
「ええ、確認しています。だからこそ聞いているのですが」
「だったら、その聞いた通りだ。現状としては払うことはできない」
ヘルゲは開き直って答えた。
「払わないと言っている訳では無い。ただ今は持ち合わせが無いから後で払うと言っているだけだ」
それも城下などの大きい街なら良いのだろう。しかし、ここはこれからの時期は雪に深く閉ざされる村。
村人の生命線である食料の備蓄を食い荒らした挙句、その支払いが遅れては我々の命にかかわる。
「ではその時期を明確におしえてください」
引き下がるわけにはいかないので強く迫る。
「・・・だから、後は後だよ。こんな何の娯楽もねぇさびれた村での任務が終わりゃあ、金が手に入る。国王様からの報奨金だ。
そしたらこんなちんけな額のつけなんかパッと払ってやるよ」
言い捨てるように答えられた。
回答がもらえた事は進展だが、その内容に愕然とした。
「それでは間に合いません。ここに派遣されるにあたって国王様から旅費等は頂かなかったのですか」
「んなもん、この村に来るまでの間の酒屋に消えていったよ。まあ、トビアスには怒られたがな」
「・・・」
頭を殴られたような衝撃が走った。この人は本当に尊敬に値しないと心の中で値踏みをしてしまった。
既に酒で金を使い込んでいるのに、ここにきて更に酒で問題を起こすとは。
「・・・わかりました。この件はこちらでどうにかします、ですからこれ以上の無駄な飲食は控えていただきたい」
「そりゃあ、俺が決めることじゃなくて俺の喉と胃袋が決めることだから承知しかねるな」
知性の欠片も感じられない返答だが、机を囲んでいる身内の仲間には大うけだったようだ。
私はため息をつきながら彼らとの会話を終了にした。
店を出て歩きながら考えた。
このまま何もせずに、彼らが報奨金を手に入れそれを渡してもらうまで待っていては確実にこの村の危機が訪れる。
であれば、例え多少は非礼な形になろうとも、国王様に書状を送り、先んじて報奨金を手配くれるように懇願するのが得策であろうか。
とりあえずは長老に相談することにした。
問題はそれだけでは終わらなかった。
暴飲暴食に続き、彼らは酒の相手に女性を要求し始めた。
そんな女性がこんな村に居るわけもなく、店主も最初は断った。
しかし、彼らは力に訴え強引に店主を屈服させた。
店主は苦慮した挙句、村の中でも一番の若夫婦の所に行き、頭を下げて頼みこんだ。
そこの奥さんも店主の必死な訴えに負けて、彼らの酒の相手をする事を承諾した。
いくら若い女性とはいえ、既婚者相手にそこまで手出ししないだろうという考えが甘かった事をそこの旦那が知るのは、その日の夜が深まりきってようやく店じまいとなり奥さんが解放された後だった。
泣きはらした奥さんを家に迎えて入れ旦那が何を考えたのか。
その結果を私は現場に向かう途中にその場に居合わせた人から伝え聞いた。
若い奥さんが彼らの酒の相手をした翌日も、彼らは変わらず朝から酒を飲み続けていた。
酒の相手をしてくれる女性が居なくなってしまったので、朝からやや不機嫌気味だったという。
そのまま時が流れて夕方過ぎの各々が仕事終わりに店に集まり始まる時間。
その若夫婦の旦那が店に現れた。
血色悪くどす黒い顔に充血してはいるものの鋭さを帯びた目。そして手には仕事道具の鍬を持っていた。
若夫婦の旦那は無言のまま彼らに近づき、手に持った仕事道具を振り上げて振り下ろした。
咄嗟の事に驚きながらもヘルゲは何とかかわしたが、酒も回っており足がもつれその場に転んだ。
「な、なにしやがる」
「・・・」
再度無言のまま振り上げて振り下ろすも流石に二回目は難なくかわす。
「こ、この野郎」
ヘルゲは臨戦態勢となり、その仲間もまた同じように構える。
普通に考えればそのまま若夫婦の旦那が返り討ちにあいそうなものだが、その時の店の雰囲気は全く違っていた。
そこに集まっている村人たちはヘルゲ達への鬱憤が溜まっていた。連日の店での振る舞いや更にはこの村に着いた時の彼らの隊長の失言も既に皆が知る所だった。
若夫婦の旦那とにらみ合う彼らに後ろから最初の一人が襲い掛かり、それをきっかけにその場に居たほとんどの人間が彼らに殴り掛かった。
多勢に無勢とは正にその事で、彼らは反撃する暇もないまま村人からの猛襲に襲われた。
私に店での一大事を伝えて来てくれた村人の確認していたのはそこまでだった。
あまりにヒートアップしすぎていて、だれか止められる人を呼んで来ようと思ってくれたらしく、それによって私と長老が急遽呼び出された。
国王様への書状の草案を練っていた私は報告を聞いて急いで家を出た。
店にたどり着くとそこに広がっているのは、既に終わった後の状態だった。
「な、なんて事を」
ヘルゲを含む後続隊の5人は床に横たわっていた。全身の至る所を赤く染めて、四肢は曲がってはいけない方向に曲がっている。
横たわる一人に近づいて確認してみるも、息も鼓動も止まっている。
「皆、いくら何でもやりすぎだろう。・・・どうして、こんな事」
「・・・こいつらが、悪いんだ」
1人の言葉につられるように皆が口々に彼らを批判し始める。
「そうだ、そうだ、自分勝手でわがまま放題で、店主がどれだけ殴られていた事か」
「それにこいつらは、「山の征服者」を成敗するとか言ったらしいじゃねぇか」
矢継ぎ早にいかに彼らが悪く自分たちに正当性があるかを述べる。そして一人がふと思いついたように発言した。
「・・・こいつらは「悪しき者」に取りつかれていたんだ。だからこれは村を守る為なんだ」
その一言がその場に一瞬の静寂を作り、その後から怒涛の勢いで追従する言葉が飛び交う。
「・・・そんなわけ無いだろう」
私は一人否定をしたが誰も耳を貸そうとはしない。あっという間にその一言は彼らにとっての事実となった。
「それじゃったら、」
不意にまったく別の方向から声が聞こえた。自分の後ろにはいつの間にか長老が立っていた。
「こんな所でぐずぐずしとらんで、すぐに儀式の準備を始めよ」
いきなりの話に皆があっけに取られているので、代表して長老に聞く。
「ぎ、儀式とは」
「「悪しき者」に取りつかれた者が亡くなった。そうしたらやる事は一つじゃろ」
長老が含みを込めた笑顔で言うのを聞いて、各々我を取り戻したように動き出した。
「悪しき者」とはこの村で語り継がれている良くない存在。それに取りつかれた人はこの村に災いをもたらす。それは時に疫病だったり、時に凶作だったりする。
そしてその取りつかれた人が亡くなった後は、通常とは全く違う埋葬がされる。
とは言っても、それが過去最後に行われたのは私の子供の頃だったはずだから、それを直接知っているのは私より高齢の方々に限られる。
取りつかれた人を通常通りに埋葬すると、「悪しき者」はその体を乗っ取って復活するといわれている。
そのため、首と四肢を切断し火で燃やす。墓地の一角に開けた穴に焼け残った部分と灰をまとめて入れて、土をかけて埋める。当然のように墓標なんかは建てない。
よみがえる為の肉体を刃物と火で徹底的に破壊する。
過去の儀式を知る高齢の方々が舵取りとなって、彼らの遺体の処理がされていく。
その場にはこの儀式を止めようなんて考える人は一人も居なかった。村の最高意思決定者である長老が行うと言っている以上、誰が異議を唱えられるだろうか。
私一人取り残されたように呆けているうちに、村の中心部では薪や要らなくなった可燃物で火が起こされ、その中に彼らだった物が投じられた。
その巨大な火を見ながら冷静に考えた。
こうなってしまっては、端から可能性が乏しかった彼らの任務の達成はより一層絶望的となった。そうなればその後に彼らに与えられるはずであった報奨金を当てにすることは出来ないであろう。
ため息と共に私自身も重い腰を上げた。
儀式も自然鎮火を待つ段階で、手持ち無沙汰な人をちらほら見かける。その中から目利きな村人と荷馬車を所有している村人を見つけ出し、2人を引き連れて教会に向かった。
教会の一室。彼らが寝泊まりしていた部屋に無断で立ち入り、物色して金になりそうな物を選んで荷馬車に積んでいく。
彼らが身に着けてきた甲冑一式や剣なんかはある程度良い値が付くだろう。既にそれを着る者が居ない以上、それらはこの村に置いてあってもしょうがない物だ。
明日の朝一で交渉上手な村人に、近くの街で売りさばいてきてもらう。その売り上げで食料を買い込んでくれば、彼らの暴飲暴食で減った分ぐらいは取り返せるだろう。
仕分け作業が一段落したので教会から外に出る。視界を上げた先には母なる山が見える。
あの山に登った先遣隊の5人はどうなっただろうか。明日で丸7日、丁度持って行った携帯食の尽きる頃だ。
明日には戻ってこないと彼らも餓死が待っている。
そもそも彼らはまだ生き残っているのだろうか。
母なる山には「山の神」がいらっしゃる。
春には我々の獲物となる野生動物達の新たなる命を与え、夏には我々の生活の基盤である木々を成長させ、秋には我々の食料の豊作や木の実や果実を与えて下さる。
しかし、冬の間は「山の神」は「山の征服者」となり我々からありとあらゆるものを奪っていく。
我々に「山の征服者」への対抗策は存在しない。ただただ家にこもり、その怒りが通り過ぎるのを待つしかない。
春になればまた「山の征服者」は「山の神」へ戻り、あらゆるものを我々に与えて下さるのだから。
その「山の征服者」の治める冬の雪に閉ざされた母なる山。
そこに無断で入っていった彼らが「山の征服者」の怒りを買っていないなんて事があり得るのだろうか。