第8話 The past is dead
4月30日 16時00分 409号室 零の部屋
「あと、2日か……」
僕は焦っていた。図書館で希望学園に関する資料をこの半月、漁り続けた。しかし、結果は収穫ナシ。
「いち生徒が調べられる情報は、調べ尽くしたはずだ」
この問題は、笹倉教授やヒューズさんに頼るべきではない。教授がそれをすると立場的に問題が発生する。ヒューズさんに関しては多忙なうえ、そもそもクマを【樋木崎零が気にする人間】という、僕の付属品として見ている節がある。
「そういえば、亀谷さんに会ってないな」
亀谷さんも、個人的に探してみると言ってくれていた。教員である彼なら、何か見つけている可能性がある。
「行ってみるか」
外は豪雨が降り、雷が鳴っている。僕は傘を持ち、部屋を出て教員寮に向かう事にした。
教員寮の前に着いて、傘を畳んだ。自動ドアの横にあるオートロックを開錠する機械にスマホをかざす。
『樋木崎零、認証。入場目的を述べてください』
修練場でも聞いた機械音声が響いた。
『亀谷優さんに話があります』
『亀谷優教員の部屋は、304号室です』
自動ドアが開き、亀谷さんの部屋に向かう。
エレベーターで3階まで上がり、304号室が目に入った。廊下から外を見る限り、今日は豪雨が続きそうだ。
304号室の前にあるインターホンを押し「亀谷さん、樋木崎零です」と呼び掛けた。しかし、反応はない。
不思議に思い周りを見渡すと、なぜか部屋のドアが少しだけ開いていた。
――とても、嫌な予感がする。
僕は、なぜか壁外の景色を思い出した。光とともにあやかしが殺され、同じように人が死ぬ。
そんな残虐な世界が、急に自分の背中に迫っているような感覚が、僕の頭を支配した。
ここで、ドアを開けずに帰るという選択肢もあったのかもしれない。しかし、僕は現実を直視する事にした。
それが、今を生きる僕の使命だから。
「亀谷さ、ん……」
玄関とリビングを繋ぐ廊下に、大量の血を流して倒れている亀谷さんが居た。
最悪の予想は得てして当たる。僕は、持っていた傘を落としてしまう。
「そう、そうだ。分かっていたはずだ。いつか、人が死ぬ現場を見ることになると」
けれど、こんな形じゃなくても良いのではないだろうか。
数分ほど経ったと思う。ぼおっと突っ立っている時、急に僕の肩を誰かが掴んだ。
「樋木崎零だな」
僕が振り返ると、そこには身長が2メートルを超えていそうな軍人が居た。
「……そうですが」
僕は至って冷静な声で、そう返した。
「貴様は第一発見者として事情聴取を受ける【義務】がある」
そういえば、学園法の内の一つにそんな内容もあった。僕には無縁のものだと思っていたが。
「ついて来てもらおう」
「……分かりました」
僕は最後に、もう一度亀谷さんを見た。彼の右手には何かが握られているが、それは血に染まってよく見えなかった。
「どうした。拒否するなら強制連行という手段もあるが」
「行きますよ」
僕の頭は、ようやく追いついた。
――彼は死んだのだ。
僕はマンションを出て、真っ黒な警察車両に乗せられた。僕の隣には眼鏡を掛けた女性の警察官が座っている。どうやら、あの軍人は現場に残るらしい。
警察車両の中から外の様子を見ることは出来ず、どこに連れていかれるのかも分からない。
この国の犯罪を取り締まるのは【希望警察】と呼ばれる組織だ。しかしこの国立希望学園内は治外法権であり、この学園内だけは【絶望警察】という組織が取り締まっている。
そして、絶望警察の本拠地がどこにあるのか。それは、誰も知らない。
絶望警察の実態を考えていると、数分ほど走っていた車が、どこかに止まった。
「もう、出ていいよ」
僕が車のドアを開けると、どういう原理なのか、そこは取調室だった。不思議に思うと同時に、一つ思い当たるものがあった。
「【転移門】のギフテッド」
僕が呟いた言葉に、女性警察官は少し驚く。
「よく分かったね」
「個人で転移できる人間は何人か居ますが、他者に影響を及ぼせる転移のギフテッドは、一人しか居ません」
設置制限ナシ、設置上限ナシ。そして何より、そのギフトの持ち主はとても強い。ゲームでいうのなら【チート】のような存在だ。
僕は無機質な取調室を見渡した。
見た目はドラマなどで見た部屋と似たような内装をしているが、一つだけ、扉が無い事がこの部屋の不気味な雰囲気を際立たせていた。
パイプ椅子に座ると、女性警察官も机を挟んだ向かいの椅子に座った。
「まず一つ、謝らせて下さい……遺体を見たばかりの貴方に、私は詳しい取り調べを行わないといけない」
間をおいて、女性警察官は座ったままではあるが頭を下げた。
「貴女は悪くないと思いますよ。敢えて何かを悪者にするのなら、この【学園法】の欠陥だというしかない」
僕の過激な言葉に、女性警察官は苦笑いした。
「私以外の警察官に言ったら貴方、殺されるよ?」
「人を選んで言ってます」
「はぁ……分かりました」
女性警察官はため息を吐いた後、空気を切り替えた。
「私は彼方 東里。取り調べを始めさせてもらいます」
僕の取り調べが始まった。
しかし、僕はどこまでを話し、どこまでを隠すべきか考えている。一番の懸念点は【パートナー】について話すべきかどうか、だ。
しかし、亀谷教員のパソコンやスマホが調べられた場合、隠したところで後々気付かれる可能性が高い。
なら、最初から全て話した方が心証は良いだろう。
「僕は、亀谷さんにある調べ物をしてもらっていました」
「調べ物って?」
「壁外でいうパートナーを、僕に付けてもらうために、前例や制度が無いかを探していたんですよ」
「なるほど……続けてもらえる?」
「それで亀谷さんの所に行ったら、彼は殺されていました」
目を閉じて、その時の風景を思い出す。
「時間は午後16時00分、頭と胸に1発ずつの銃弾。死因は失血死だと思います」
「貴方――冷静なのね」
彼方さんは、僕を不思議そうに見ていた。
「まだ、現実感がありません。それに、泣くべき時は今じゃない」
僕は、何となく頬をかく。
「亀谷さんを殺した犯人に、僕は代償を支払わせる」
「……私刑を、行うと?」
僕の言葉に、彼方さんは複雑な表情をしていた。それに対して、僕は「合法的にですよ」と微笑んだ。まあ、言葉だけで信じてもらえるとは思っていない。
「そう、よね。貴方も複雑な思いを抱えてる。今日は部屋に監視が付くかもしれないけど、ゆっくり休んで。精神的に不安定なら、カウンセラーに連絡するよ」
彼女は僕の心を傷つけないよう、優しい声色で話してくれた。
「最後に、一つ質問していい?」
「良いですよ」
そんな彼女の表情に、どこか不安が混じっていた。
「亀谷さんの本名を、教えてもらってもいい?」
「? 亀谷優ですが」
――ああ、悪い予想は、得てして当たる。
「ありがとう、帰っていいよ――開放」
彼方さんの言葉に反応し、僕の後ろに木製の扉が現れた。僕は、彼方さんの目に深い悲しみを見た。
「彼方さん」
「……どうしたの?」
彼女はその悲しみを隠して、普通の顔を装った。
「泣きたいときは、泣くべきですよ」
僕はそれだけ言って、すぐに扉の向こうに消えた。
「――ぅあああ!」
彼方は一人、泣いていた。