第5話 選択肢
4月11日 11:00 第06模擬戦場
クマと桜は戦闘を終え、一度休憩を挟んでいた。二人で控室のベンチに座り、スポーツドリンクを飲んでいる。
笹倉桜は、クマが凄惨な事件の被害者であることを知っていた。そして、彼に戦う才能があることも分かっていた。
しかし、戦闘の結果はクマの惨敗だった。
「私は言葉を着飾ることが下手だから、分かりやすく言います」
桜はクマと戦って、彼の心の怯えを感じ取っていた。
「貴方は、何かを傷付けることを恐れている。それ自体を、悪というつもりはない。でも、それだけじゃない」
「……はい」
クマは俯き、桜の言葉を重く受け止める。
「貴方は、あやかしを殺せる?」
――その問いに、クマは答えられなかった。
「あー……」
最初から聞いてしまった僕とヒューズは、今やって来た風を装って二人が静かになったタイミングで前に出た。
「やあやあ、何やら重たい話をしているみたいだね」
しかしヒューズは気にすることなくクマに近付き、タオルを差し出した。
「ありがとうヒューズさん。零くんも気にしなくていいよ」
無理に笑っているクマに何かを言ってやりたいが、何を言えばいいのか分からない。
「それで、桜教授は赤崎クンをどう見る? 知見を伺いたいのだが」
「センスは、ある。あとは『覚悟』だけ」
「なるほど覚悟か。確かに、精神性というのは戦闘において非常に重要だ。しかし、一朝一夕で育つものでもない。難しい話だ。こういう時、零クンならどうする?」
僕ならどうするか。しかし、クマの過去を鑑みると荒療治も気が引ける。それに――。
「僕は、クマの友達だ。協力はしたい、でも、僕に出来ることは何も無い」
こういう時、僕は無力だ。僕の育て親であるシスターなら、どう答えるだろうか。
「あー……。そろそろ、昼食のようだ」
その空気に耐えられなくなったヒューズが目を泳がせ、取り敢えず話題を逸らした。
「そうですね。私も書類整理があるので、これで」
笹倉教授はベンチから立ち上がり、自分の部屋に戻っていった。
「僕、疲れたからちょっと部屋で休憩してくるね」
クマも立ち上がり、模擬戦場を出ようとする。僕は、その背中に声を掛けた。
「クマ、悩んでいても進まない。これから、僕と考えよう」
こんな当たり前のことを言うしか、僕には出来なかった。
「――うん。そうだね」
貴方は、あやかしを殺せますか。
その言葉が、クマの頭に残り続けていた。
同日 12時30分 食堂
クマは自室で休憩。桜教授は書類整理。ヒューズは研究。僕は一人、食堂で昼食をとる事にした。
席を探していると、昨日散々な目にあった亀谷教員がラーメンを食べているのが目に入った。
「隣、良いですか?」
「ああ、構わない……君は、樋木崎君か」
僕はカツ丼を持って、亀谷さんの隣に座った。
「修練場での件は、迷惑をかけました」
まず、謝っておきたかった。いくら相手から突っ掛かってきただけとはいえ、厄介事を引き起こした要因の一つは間違いなく僕にあったから。そして、彼は優しさ故に巻き込まれた被害者だ。
亀谷さんは頭を下げる僕を止めて「良いよ、それより、俺も言いたいことがあったんだ」と箸を置いた。
「俺は、君に怒るつもりは無い。むしろ感動したよ。この学園にもまだ優しさがあったんだ、と……本当は怒るべきなのかもしれないけどね」
亀谷さんは頬をかきながら、どこか照れていた。
「実のところ、俺もここの卒業生でね。その時から、この学園は殺伐としていた」
教員には、この学園の卒業生や、ケガや年齢の問題で前線から退いた軍人も少なくない。
「俺の成績はお世辞にもいいとは言えなかったし、だからこそ僕より成績の良い奴が全員、敵に見えていたよ」
「『ランキング制度』ですか」
事実、ランキング上位の人間が下位を見下す事はこの学園では当然のように起きている。そして、学園はその状態を容認している。
「確かに競争は人を成長させるのかもしれない。でもね樋木崎君、それだけで人は救えないと俺は思うんだよ」
「……優しいんですね」
俺がそう言うと、亀谷さんはまた頬をかいた。
「僕から亀谷さんに、一つ相談をしても良いですか?」
優しいこの人に、クマの優しさが重なって見えた。この人なら、僕の気付かない何かに、気付いてくれる気がした。
「俺はここの教員だからね。相談くらい、いくらでも乗るさ」
「実は……」
クマの境遇や出生を隠しながら、彼が持つ苦悩について話した。
「『戦う覚悟』か」
「はい」
亀谷さんは、腕を組んで唸る。そうして1分ほど考え「そもそも」と前置きして話し始めた。
「本当に、赤崎君は戦いたいのかな?」
その言葉に、僕は大事なことを忘れている事に気が付いた。そういえば、クマは仕方なく戦っていたのだ。
「樋木崎君の言う通り、赤崎君は優しすぎるほどに優しいのだろう。でもね樋木崎君。俺は、赤崎君が戦う覚悟を持つことで『傷つけない優しさ』を失ってしまうんじゃないかと思うんだよ」
「『傷つけない優しさ』ですか」
「それを持つことは、もしかしたら『戦う覚悟』を持つことより難しいかもしれない。強大な力を持つ樋木崎君だからこそ、それは分かるだろう?」
確かに、僕は簡単に誰かを殺すことが出来てしまう。簡単に何かを傷つけることが出来てしまう。
それを出来ない、しない事は、クマの弱さであると同時に、クマの強さであることに間違いないのだ。
――僕は、決めた。
微笑んだ僕を見て、亀谷さんも同じように微笑んでいた。
「俺も、赤崎君が合法的に壁外に出る方法を探してみるよ」
「ありがとうございます、亀谷さん」
そう告げて、僕は急いで食堂を後にした。その足で直接、クマの部屋に向かう。
「居るか?」と声を掛け、ドアをノックした。
「うん、入っていいよ」
僕が部屋に入ると、クマは窓の外を眺めていた。405号室なので、そこから少し外を眺める事が出来る。
クマは外に目を向けているが、何かを見ているわけではなかった。
「クマ、ちょっと大事な話をしよう」
僕はとりあえず、ローテーブルの前にある座布団に座り「こっちに座ってくれ」とクマを誘った。
そうして対面する形になり、僕はあぐらをかいて、両肘をテーブルに付けた。
「早速本題に入るんだが……クマ、戦わずに壁外に行こう」
「――え?」
僕の提案を受けて、クマは呆気に取られていた。
「そんな事、出来るの?」
「分からない、分からないが、その方法を僕は探したい。例えば、僕のサポーターになる方法が、あるかもしれない」
ギフテッド達が壁外で戦う時、ほとんどの戦闘員は最低1名のサポーターを付けている。戦闘の補助、物資の補給、別動隊との連絡、サポーターも決して楽な仕事ではない。
学園に前例があるかは分からないが、そういった制度が存在している可能性は、ある。
「僕は、友達のために出来ることをするつもりだ」
「でも、それじゃあぼくは零くんの足手まといになる」
クマは僕の提案に消極的だった。どうしても、サポーターは日の目を浴びることが少ない。それに、普通はサポーターも一定の戦闘能力を保有しているのが一般的だ。
「だから、足手まといにならないようにするんだ。誰かに、サポーターとしての技術を学ぶんだ」
この学園には、様々な分野のスペシャリストが居る。なら、サポートに特化した教授が居ても、おかしくないはずだ。
「でも、どうして僕にそこまでしてくれるの?」
クマの目には小さな不安が浮かんでいた。クマには無償の善意に見えるのかもしれないが、これは僕の独りよがりな思いだ。そうだとしても、僕はクマの助けになりたかった。
「僕の中で、友達っていうのはとても大事なものなんだ」
シスターの数少ない教えの中の一つに、こんな言葉があった。
――万人を愛せとは言いません。近くの友達を愛しましょう。
現実的なシスターの言葉に教会の子供たちは笑っていた。僕も子供の頃は笑っていたが、今となってはその言葉すら理想論なのだと気が付いた。でも、現実的な理想は、今の僕に希望を与えてくれている。
「……うん」
確かにクマは微笑んで、喜んでくれた。しかし、その隙間にあった小さなほころびに、僕は気付かなかった。