幕間 演じきれなくて
2016年5月 1-B
「……」
今日も、眼鏡の彼女は虐められている。教材を持って移動している時に、後ろから蹴られて前に倒れ込んでいる。
ずっとそんなものを見せられて、亀谷優は気が狂いそうだった。
なんとか自分を偽って、周りのように嘲笑するふりをしていても、優しい彼にはそれが耐えられなかった。
優は気が付けば、教材を必死に拾っていた彼女に近付き、拾い集めるのを手伝っていた。
「あ……」
「――別に、気にするな」
優はあくまで気まぐれを装って、その場をすぐに去っていった。
「……お礼、言い損ねちゃった」
その背中を、彼方東里はじっと見つめていた。
2016年6月 第07模擬戦場
「ギャハハ」
優が模擬戦場に入ると、また彼女が虐められていた。しかし、今回は誰が見ても度を越している。虐めている張本人はそれに気づかず、模擬戦場の教員も見て見ぬふりをしていた。
そして、虐めている男のナイフが彼女の顔をを切り裂こうとしていた所で。
「くそっ」
優は男の右腕を掴み、へし折っていた。
「――ァアア!?」
叫び声を上げた男にようやく気が付いた教員が「医療班を呼べ!」と慌ただしく動き回る。彼は、優の顔を恨めしそうに見つめていた。
故意に相手の骨を折った罰として、優は1週間の謹慎を受けた。そしてその部屋に、眼鏡の彼女が訪ねてきた。仕方なく優は彼女を部屋に上げる。
「あ、あの、私、彼方東里と言います」
東里は優の目を見つめられないまま、頭を下げた。
「ごめんなさい! 私のせいで、私が、弱いせいで。亀谷さんに、迷惑を」
言葉を詰まらせながら、東里は涙目になっていく。
「別に、俺が勝手にやっただけだ」
優は「大丈夫」と優しく言いたかったのに、ついそっけない言葉が出てしまう。
「でも、でも。私が弱気で、誰にも勝てないから。だから」
「……なら、強くなればいい」
結局、この学園は力がものをいう。そういう場所だと、優は理解していた。
「強くなれないなら、そのまま虐められるしかない」
あぐらをかいて、右膝に肘をついて、優はぶっきらぼうに、でも優しく告げた。
「は、はい!」
初めて東里は優の目を見て、満面の笑みを浮かべた。優はなんだか気恥ずかしくなって、頬をかきながら顔を逸らす。
「あの、友達に、なりませんか?」
「……好きにしろ」
「やった!」とまた喜ぶ東里に、優は顔が熱くなるのを感じた。
2020年 4月 優の部屋
「強く、なったんだな」
優が最終試験の結果をスマホで見ると、東里はAクラスに昇格していた。
「それに比べて、俺は」
東里はいつも優の後ろにいた。試験結果も、ランキングも。
しかし、初めて追い越された。
「はぁ……」
それは嬉しい事だし、順調にランキングを伸ばす東里を見て、優は喜んでいた。
しかし、心のどこかで彼女に嫉妬している事も、優は感じていた。
そんな自分が嫌になって、頭を振ってそんな考えを吹き飛ばした。
そんな時、部屋のインターホンが鳴った。
「優! Aクラスになったよ!」
嬉しそうな東里の声が、扉越しに聞こえてくる。
「あ、ああ、おめでとう」
優は、すぐに反応できなかった。すぐに、喜ぶことが出来なかった。
東里を部屋に入れて、二人で缶ビールを飲んで祝杯を上げる。
「……私、学園の教員になりたい」
酔いが少し回ってきた頃、神妙な顔で東里が話し始めた。
「教員になって、少しでも学園を変えたい」
「でも、お前はAクラスだろ」
Aクラスの人間には、3年の兵役が課される。それでも皆、Aクラスに上がりたがる。
「だから、3年間必死で生き残る。それまで、待っててほしい」
優は、涙が出そうになった。
自分がAクラスに上がっていれば、一緒に壁外に行くことが出来た。彼女を守ってあげる事が出来た。
――でも、自分はBクラスだ。壁外に行っても、東里と共には戦えない。
「……ああ、分かった」
悲しみを隠し通して、東里が帰るまで必死で笑顔の仮面を貼りつけた。
そして東里が帰ってから、空き缶を握りつぶして、泣いた。
「――ぁああああ!」
自分が情けなくて、でも、どうしようもなくて、ただ、泣いた。
国立希望学園 卒業式
「優が、居ない」
東里は不安そうに呟いた。一緒に卒業を祝うつもりだった。しかし、卒業して少しすれば、彼女は軍に行く事になる。
卒業式が終わって、東里はすぐに優に電話した。しかし、優は出ない。
「優の家、知らないや」
2023年 4月
東里は、3年間を生き抜いた。いろんな人が死んで、何度も泣いた。しかし、死にそうな時はいつも優の顔が浮かんでいた。
だから、生き延びられた。
退役後、東里はすぐに学園の教授になろうとした。しかし、優がどこに居るのか分からない。どうすれば良いのか迷っていたところに、同時期に退役する軍の先輩から話を聞いた。
「貴女ほどの実力なら【希望警察】に入って昇進する事も出来るんじゃない? そしたら、個人情報のデータベースを探して、亀谷優っていう人も探せるかもね? 職権乱用にはなっちゃうけど、知り合い一人探すくらいなら許されるでしょ」
その言葉に希望を見出した東里は、希望警察に就職しようとした。
「東里くん。絶望警察になってはくれないだろうか」
東里の実力を見込んだ面接官はそんな要望を出した。
「……私に個人情報データベースを閲覧する権限が頂けるなら」
面接官は東里の言葉に困った反応をして。
「1ヶ月、少なくとも1ヶ月は待ってほしい」
それなら、と東里はその条件で、絶望警察に就職する流れとなった。
2023年 4月30日
「優は、一番近くに居たんだ」
――彼は、私の夢を継いでいてくれた。
「もっと早く気付けても、よかったのに」
そしたら、優は死ななかったかもしれないのに。
けど、彼は死んだ。殺された。
悲しみはすぐに、憎悪に転じた。
「犯人を、捕まえる」
彼女は今、警察なのだから。警察としての仕事を、するだけだ。