プロローグ 未来への希望
4月10日 10:00 東京 雲一つない快晴
程よい気温になっている大講堂では、入学式が執り行われていた。
「貴方達は今、この瞬間から国立希望学園の生徒となりました」
杖をついたままスピーチをしている学園長は、御年78歳だ。腰も曲がっておらず、白髪でありながらその声と金の瞳には確かな力を感じさせた。
しかし、入学式というものはどうも眠気を誘われる。
「この国立希望学園には、いくつかの教育方針がある」
『日本中の才能が集まる学園』とはいっても、入学式で奇をてらう必要は無いのだ。僕以外の新入生も、どこか眠たげに学園長の式辞を聞いていた。
「まず、この学園ではランキング制度というものを導入している」
少しおかしな言葉が僕たちを眠気から引き上げた。
「競争は才能を研ぎ澄ます。それが、わが学園の長い歴史で得た教訓だ」
校長が、持っていた杖をカンと地面につく。その音が、僕たちの背筋を伸ばす。
「次に、この学園は『治外法権』だ」
続いた言葉は、その背筋を凍らせた。
「この学園のルールは法律より重いという事を、忘れないように。詳しい校則は、生徒手帳を見ると良い」
入学案内は見た。ランキング制度の事も、法律より重い校則の詳細も書いてあった。しかし、目で見るのと実際に言葉にされるのとでは重みが違う。
――僕たちは、国立希望学園に足を踏み入れたのだ。
そう、実感せざるを得なかった。
学園長は杖をつきながら舞台袖へと消えていったが、困惑と恐怖は僕たちの心に今も陰を落としている。
そして下がっていった校長と入れ替わるように美人な教師が一人、出てきた。
濡羽色の黒い髪に赤い瞳。身長は高く、スレンダーな体をしている。
赤い瞳が濁った血液のような色をしているのが、僕の印象に残った。
「校長に代わり、笹倉 桜が案内を行います」
感情が見えない声色で笹倉教授は淡々と説明を始めた。
「入学式はこれで閉式となります。皆様にはこれから、入学試験の成績によって割り振られた教室に向かっていただきます。以上」
笹倉教授は台本を無感情に読み、壇上を降りた。
ただ一つ見えた感情は、笹倉教授がこの説明を面倒臭がっているという事だけだ。
どうすれば良いか分からない。しかし、言われたとおりにしなければならない。そういう不安を胸に抱きながら、僕たちは各々の教室へと向かっていった。
僕は大講堂を出て、晴れやかな空を見上げた。そこには、今も煌々と赤い星が輝いている。
今年で19になる僕が生まれるよりも前、あの星の瞬きとともに世界中で化け物が現れた。
海外ではモンスターと呼ばれ日本ではあやかしと言われるそれは、瞬く間に人類の総数を半分にまで減少させた。
しかし、それと同時に世界中の人間に『ギフト』が発現。時には魔法、時には超能力により、人類は必死の抵抗を続けた。その結果、日本の被害は『関東大都市圏』『京阪神大都市圏』を除き全滅。
人の母数が少ないなら、ギフトの発現数は少ない。つまり地方に住んでいた人間は皆、殺戮された。
しかし、日本からあやかしの脅威が去ったわけではない。地平線のように広がる巨大な壁の向こうでは、あやかしが虎視眈々と人類の隙を伺っている。ギフテッドは、人類に残された最後の希望なのだ。
そのギフテッドを育てる機関の一つがこの国立希望学園。日本有数のギフテッド育成学園であり、才能に溢れた若者が入学する。僕もそれなりに優秀なのだと、思う。
補足するなら、僕が持つ少しばかり希少なギフトを、学園が認めたという事だろう。皮肉にしかならないが、才能がものをいう残酷な世の中だ。
立ち止まってズボンのポケットに入ったスマホを取り出し、学園専用アプリ【hope】を開いた。
「えーっと、僕のクラスは……」
アプリ内の地図を開くと、現在地と目的地が自動的に表示される。1-Aは、第一本部棟の中央入り口を入って右に曲がった所だ。
この学園は途轍もなく大きい。簡単に言うと、北東に位置する大講堂から中央の第一本部棟に向かうまで十分は歩くことになる。
だから学園内を回るバスが存在しているのだ。
新入生の大半はバスに乗る事になるため、今日は特別にこの大講堂から第一本部棟に向かうバスの本数を増やしているらしい。
僕はうるさい場所が嫌いだ。そのため、あえて歩いて向かう事にした。スマホをしまって、桜が散る景色を見ながらその下を歩く。
「体力づくりかい?」
すると、気配を感じさせず後ろから女性の声が聞こえた。静かで、良く通る声だ。
「僕に向かって話しかけているってことで、良いんですよね?」
「もちろんだとも。君とワタシ以外に、この場所には誰も存在しないからね」
僕は振り向き、彼女の方を見た。そして、つい口にしてしまった。
「――おかしな恰好ですね」
彼女は足まである深い青色の髪に、金色の瞳。そして、何故か白衣を着ていた。この学園に制服が無いとはいえ、白衣で来る人間が居るとは。
しかし、それを着ていても違和感が無いほど、彼女のプロポーションは良かった。
「厳しい言葉をありがとう。君は死んだ瞳をしている以外は至って普通の格好をしているね」
下駄をカラコロ鳴らしながら瑠璃色の彼女はこちらに近付き、いきなり肩を組んできた。距離感が狂っている。
「ところで、ウワサの新入生は何人か居る訳だけれども、キミは知っているかい?」
初対面の人間にする質問ではない。しかし瑠璃色の彼女は何処までもマイペースなようで、僕の肩から手を放す気は無かった。
「まあ、知ってますけど」
「たいていの新入生は知っているのだろうけど、生憎とワタシは実験というフィルターを通さないと人間に興味を持てなくてね。いくらか材料になりそうな期待の超新星たちを、歩きながらワタシに教えてほしい」
瑠璃色の彼女がぐっと僕の肩を掴む力を強めた。170㎝ある僕の身長を、おそらく5㎝ほどは上回っているのだろう。グラマラスな体型をしているせいで、胸が僕に当たっていた。
振りほどくことは出来るのだが、これを無視できるほど僕は図太くない。
「……まず、ロード・ルーデンベルクでしょうね」
「ほう」
新入生を語るうえで外すことの出来ない人間が、一人いる。この学年の主人公と言ってもいい。
「共通テスト、戦闘試験ともに1位。試合内容は圧倒的だったみたいです。ギフトの名は【ロード】全てを従える力、だとか。性格はまさしく王の器だそうで」
「それは興味深い。曖昧な説明ではあるが新入生なのだから情報が少ないのは仕方のないことだ」
彼女は大きく頷き、僕に続きを促した。
「次に兵藤 野々花。共通テスト、戦闘試験ともに2位ですが、決して彼女が弱いわけではありません。ロード・ルーデンベルクに対抗心を燃やし、下剋上を虎視眈々と狙っているみたいです」
「なるほど、ワタシは心の機微には疎いのでね。有益な情報だよ」
「確かギフトは『一心二刀』でした。二振りの日本刀を使うみたいですよ」
僕は戦闘試験で彼女と同じグループだったので、少しだけ詳細に語った。
「兵藤という名だけは知っているよ。何しろ、ワタシの研究費用の一部を負担してくれているのが、兵藤グループの企業なのでね」
意外な関係性を聞いた。そして、僕は彼女が誰なのか分かってしまった。
曰く、春夏秋冬常に白衣を着ているらしい。
曰く、彼女の研究は世界を変え続けているらしい。
曰く、そんな都市伝説のような人間が今年、国立希望学園に入学するらしい。
「三人目、両試験ともに欠席でありながらギフトの異常性と研究内容で入学を認められた女性。ヒューズ」
「そう、私の事だ」
瑠璃色の彼女、もといヒューズは空いている左手の親指で自分の顔を指した。
「いやあ、ワタシの名も広まったものだ。」
「貴女に関しては入学する前から知っている人も大勢居ましたよ」
ギフトの名は『オーバーブレイン』
何でも知っているとされてはいるが、本当に何でも知っているのかは本人にしか分からない。
結論僕はとても厄介な人間に目を付けられた事になる。
「まあ、そんな所でしょうね。とはいえ、彼ら彼女らが早熟である可能性もありますし、大器晩成な人間がこの学園にやって来て急成長する可能性もありますよ」
事実、そんな事例は過去に腐るほど存在する。
「そうだねえ。そういえば、君はどのクラスなんだい?」
にやりと口角を釣り上げて、僕の方を見ている。もしかしたら、僕の事も知っているのかもしれない。
「……1-Aですが」
「ほうほう。キミも優秀な部類じゃないか」
馬鹿にされた気分だが、彼女からすれば皆等しく馬鹿に見えるのかもしれない。
「いやいや、決して嫌味や皮肉で言った訳では無いのだよ。だけど、ワタシは少しキミに興味が湧いた」
「僕に興味を持っても面白いものなんて出てきませんよ」
「いいや、ワタシはキミに興味が湧いた」
ヒューズという女性と少しだけ話して分かった事がある。この人は、どこまでも研究者に向いた性格だ。マイペースで、頑固で、一途。
「今のところ君の事は一ミリも分かりはしないが、同じ志を共にする学友として仲を深めようじゃないか。ということで、まず1ーAまで道案内してくれたまえ」
ヒューズはようやく僕の肩から手を放し、白衣のよれを直していた。
「もう目の前ですよ」
これだけ雑談しながら歩いていたのだ。もう、第一本部棟玄関入口まで来ている。
僕とヒューズはスリッパに履き替え、1―Aの目の前まで来ていた。
「先にどうぞ」
僕は一応、レディーファーストの精神で彼女に先を譲った。
「君から先に入るといい」
その気遣いは彼女に届かなかった。
僕はドアを引こうとしたところで自動ドアだという事に気が付いた。
傍から見ればとても間抜けな奴に見えたことだろう。
「「……」」
当然だが、歩いてきた僕たちが最後に到着している。別に時間を過ぎている訳では無いのだが、少し遅かったために僕たちを探るような、正確にはヒューズを探るような視線が多い。
ヒューズの白衣を見ている事に、僕は気付くことが出来なかった。
ヒューズを見ている人たちの顔はどこかのニュースやネットで見たことのある著名人も何人か居た。
その視線を出来る限り避け、僕は適当な席に座った。
ヒューズはそれが当然だといわんばかりに僕の隣に座った。すると「この男は誰だ」という風に僕にも視線が集まってくる。
居心地が悪くなってきた頃に、笹倉教授が教室に入ってきた。とてもありがたい。
「皆さん、集まりましたね」
やはり表情筋を動かすことなく、教室を見渡す。
「ヒューズさんが来るとは思っていませんでしたが」
笹倉教授は、ちらりとヒューズの方に目線を向けた。
「ただの気まぐれだよ」
大した興味も無さそうに「そうですか」とヒューズから目線を外す。
「正直、あなた方に話すことはそう多くありません」
彼女はちらりと持っているタブレットを見た。恐らく、そこに日程が書いてあるのだろう。
「初日ですので、今日は自由に校内を見学していただいて構いません。本格的な講義は明日から始まる事になるでしょう。昼になったら、各自食堂で昼食を。22時までには、寮に入っていただきます。言ってしまえば、今日は好きに過ごせ。という事です」
どうも、彼女は言葉を着飾るのが苦手なようだった。
「質問をしてもよろしいでしょうか?」
手を挙げたのは黒髪黒目でポニーテールの低身長な女性。入学試験で見た兵藤野々花その人だった。
「……どうぞ」
入学式と同じく、笹倉教授は心底面倒そうにしていた。
「修練場は新入生にも開放されていますか?」
ロード・ルーデンベルクに対抗心を燃やす彼女らしい質問だった。
「開放されています。使いたいのならどうぞご自由に」
異常なまでに広い上に第1~第3まである修練場が埋まる事は基本的に無い。恐らく、兵藤さんからすれば一分一秒が惜しいのだろう。
「それでは、説明は以上となります」
兵藤さんはすぐに教室を出て行った。1-Aに居る人間は皆、肝が据わっているようで、不安な目をしている者は誰一人として居なかった。友達を作ろうとする者、一人静かに過ごす者、様々だ。
そんな中、ロード・ルーデンベルクがヒューズの方に近付き、隣で立ち止まった。
「久しぶりだな、ヒューズ」
どうやら、二人は知り合いらしい。
「何処かで出会ったことがあったかな?」
その一言に、僕は少し呆気に取られた。だが、彼はそれも分かっていたという風に豪胆に笑う。
「ハハハ! いや、想定通りとはいえ、この俺にそんな言葉を吐けるのはお前くらいだ」
「いや、私は本当にキミと出会った記憶が無くてね」
「ああ、それで構わないとも。だが、一つ言っておこう」
彼は笑ってヒューズの顎を優しく持ち目線を合わせた。
「俺の女にする」
また彼は豪快に笑って、教室を出て行った。姿を消す直前、燃える青い瞳が僕を少しだけ見ていた。
「傲慢たれ。か」
「――どうしたんだい? 急に」
「いえ、少し思い出して」
ヒューズは彼が出て行った方を見向きもせずに、僕の目をじいっと見つめていた。
「それで、キミはこれからどうするんだい?」
「そうですね……図書館に行きます」
僕は、この学園に明確な目的を持って入学している。それは決して僕だけではないのだろうけれど、少し他の生徒とは目的が違う。
「ワタシも一緒に行動したいところではあるが、生憎と研究が立て込んでいてね。どうせ学友ならまた会う事になる」
ヒューズは「一つ忘れていた」と、白衣のポケットからメモ帳とペンを取り出した。
「キミの名前を、教えてくれ」
今まで彼女に名乗っていなかった事に、僕も今更気が付いた。
「僕は、樋木崎 零です」
ヒューズは僕の名前に何かを感じ、笑った。
「いい名前だ、忘れないようにしておこう」
メモを取り、彼女は何処かに悠然と歩いて行った。
僕も、ヒューズという名前とあの微笑みを、忘れることは無いような気がした。