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ヒューマンシステム 〜私たち、マシンに繋がってないと役に立たないの〜 生体兵器はヒトでありたい  作者: みつなはるね
第3章 彼と彼女のDetermination

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第5話 彼と彼女のお守り

 午後2時を過ぎて、人もまばらになったカフェテリアの、日当たりの良い窓際のソファー席はラディウのお気に入りの場所だ。よくここに座って一人でお茶を楽しんでいたり、読書をしている。


 ラディウが月重力下飛行訓練の拠点基地であるサテライトコロニー・ツクヨミに向かう2日前、ヴァロージャはカフェテリアにいた彼女に声をかけた。


「今、いいかな?」

「ん……大丈夫。どうかした?」


 ヴァロージャは彼女の向かい側に腰を下ろし、ラディウはスコットから借りて読んでいた、月の重力下訓練で使うテキストを閉じた。


「ドラゴンランサーの時も思ったけど、紙派なんだ」

「うん。こっちのほうが集中して頭に入るもの。いつもテキストとマニュアルは最初は紙からにしてるの。それで?」


 ラディウは飲みかけのホットカフェラテを手にして、ヴァロージャを促した。


「あぁ俺、明後日からコッペリアの接続実験でまた研究棟で隔離なんだけど、その前に先輩にアドバイスもらいたくてね」


 少しだけ不安げなヘーゼルブラウンの瞳が、彼女を捕らえる。


 ラディウはその瞳を受け止めきれず、さりげなく頬杖をついて窓ガラスの外、回廊の緑へ目を逸らした。


 彼に伝えられることは大して多くはない。


 決して彼に、ロージレイザァのダーティシャツでスコットと頷き合った「クソッタレな接続実験」とは言えない。しかし、彼もいくらか慣れたであろう、双方向BMIのリンクシステムと繋がるのとは、少し勝手が違うのも事実だ。


 彼女ができるのは自分がかつて実験前に、先輩のロニーやキャサリンに聞いた時と同じ答えを伝えるだけだった


「そうね……最初はキツいけど、そのうち慣れるよ」

「レーンやロニーも同じ事言っていたな」


 それを聞いてラディウは苦笑した。


「みんなに聞いていたんだ」

「情報収集は基本だろう?」


 ヴァロージャが肩を竦めて見せると、お互いフフッと笑い合う。


 これは彼女が無事に実験を終えてから判ったのだが、「詳しい事を言うと怯えて結果に悪影響を及ぼすから、詳しい事は言わない」と言う仲間内の優しいルールだった。だから、ラディウもそれに従う。


「先生、誰がついてくれるの?」

「Dr.スミス……じゃない、シュミット先生がついてくれるって」


 ヴァロージャは、「先生の本名はまだ呼び慣れないな」と言って苦笑する。


「Dr.シュミットがついてくれるなら、先生たちの指示を信じて従えば大丈夫よ。私はDr.ウィオラに『受け入れなさい』って言われた」

「それだけ?」

「うん。それだけ」


 ラディウはそう言ってにっこり笑う。


「それに私たち14、5歳頃にこの処置受けてるの。子供ができるんだから、大人のヴァロージャなら余裕よ」


 そう言えば――と、彼女はヴァロージャと毎日どこかで顔を合わせているのに、まだ一緒にシミュレーターで飛んでいないなと思った。


 ラディウはかつて自分がナノマシン投与や接続実験を受ける前に、ウィオラがここの工廠で、彼女に建造中のリウォード・エインセルを見せて「指示に従って実験をクリアしたら君のもの」と言われたことを思い出した。


 まだビニールで覆われた真っ新なシートにも座らせてくれて、スティックやスロットルに触れた時の感動は今も忘れてはいないし、それが彼女のモチベーションになった。


「ねぇ、月から帰ってきたら、シミュレーターで相手をしてよ。ノーマルのメテルキシィでいいから。私、あなたと一緒に自由に飛びたい」


 同じ部屋でシミュレーターを使っていても、お互いの飛行は見たことがない。この提案は、彼のモチベーションになるだろうか?


「いいよ。俺も君が飛んでいるのを見てみたいし、手合わせして欲しいね」

「じゃあ、約束……あ、そうだ手を出して」


 ラディウはペンケースから5センチほどの小さなコインを取り出して、ヴァロージャの掌にのせた。


「フラントポーチのコイン? ”アーレア”?」

「私のお守り。ロージレイザァでパウエル・”アーレア”・マンディ少尉にもらった、彼特製の”ラッキーコイン”。これを預けるから、帰ってきたら返して」


 手渡されたコインと少女をヴァロージャは交互に見る。お守りと言うには彼女にとって大切な物なはずだ。それを自分に預けると言う。


「いいのか?」

「うん。一緒に彫られている言葉が、弱っている時にとても力になったの。だから今は、ヴァロージャに持っていて欲しい」


 ヴァロージャはコインを裏返し、彫られた文字を指でなぞる。


 ”He can who believes he can.”――自分の可能性を信じる者はそれを実現できる


「素敵な言葉だな。判った。預かるよ」

「うん。お互い頑張ろうね」


 ラディウとヴァロージャはそう言って拳をコツンと合わせて笑いあった。






 二日後、ヴァロージャは研究棟に向かい、ラディウはオサダと共にアーストルダムの宇宙港から軍の定期便シャトルに乗って、月周回軌道上にあるサテライトコロニー・ツクヨミに向かった。


 そして翌日、彼が接続実験に挑む頃、彼女の長いフライトが終わりに近づいてきた。


 20分後に入港すると機内アナウンスが入り、キャビンアテンダントが客席を回ってゴミを集めている。


 ラディウはシャトルの小さな窓にかじりついて、初めて近くで見る月に目を輝かせていた。


「月の近くまで、来たことはないのか?」


 隣に座るオサダが、前席のテーブルを戻しながら尋ねた。


「月とその周辺は、別の飛行資格が必要だから、今の私の資格では飛べないの。だからこんなに近くまで来たのは初めて。凄い! 見て! クレーターがはっきり見える!」


  ラディウの膝の上に乗っていた、紅色のブックカバーがかけられた文庫本が、ふわりと浮き上がったのをオサダが捕まえた。彼女のはしゃぎっぷりに、一人前に士官の制服を着ているが、やはりまだまだ子供だとオサダは思う。


「あ、ツクヨミが見えてきた」


 座席に配置されているモニターでコロニーの全景が見られるのに、彼女は窓に顔を押し付けるようにして、前方を肉眼で見ようとする。


 ドーナツ型が特徴的な、スタンフォードトーラス型コロニーが少しずつ近づいてくる。シャトルはその中央の宇宙港を目指す。


 ここで明後日から4週間の訓練が始まる。いつもと違う環境で新しい経験を積める事が、ラディウは楽しみで仕方がなかった。

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