織姫と彦田海星
◆海星
お目当ての人物を見つけるのは、思っていた以上に容易だった。
新大阪駅の新幹線コンコースでタバコが吸える場所は一か所だけ。たぶんこの喫煙室に立ち寄るだろうと見当をつけ見張っていると、案の定、その男性は大きな体のおかげで小さく見えるスーツケースを引きずり、やって来た。
入手した顔写真をタブレットに表示し、念のため確認する。『哲也』だ。間違いない。
彼は今日、恋人に結婚を申し込む。
なぜ、今日なのか?
七月七日。七夕、だからだ。
彼はプロポーズの成功を願い短冊を笹に吊るした。そして、その願いが天に届いた以上、ボクはその成就に力を尽くさなければならない。
なぜか?
ボクの名前は彦田海星。彦星の末裔だからだ。
◇織姫
今回は楽勝ですね、なんて言ってたけれど、ホントに簡単に見つけたみたい。
「やるじゃない。六十一代目、彦星」思わず独りごち、いやいや、と私は頭を強く横に振る。今回の願い主『哲也』だったか。その男の行動が読みやすいだけのことだ。
いずれにしろ、あそこでタバコを吸って、ジ・エンド。今年の私達のミッションも即終了になるだろう。
「イヤだわ、私達だなんて」私はコリコリと頭を掻いた。これはあくまでも彦星に課せられた『条件』なのだ。
じゃあ私は何をするのか?
状況次第で天界から彦星をフォローしなければならない。
なぜかって?
それは私が織姫だから。そう、大昔からずっと、だ。
◆海星
世間一般に知られる七夕の物語が、実は誤りである。そう聞くと、たいていの人は驚く。ボクも先代の父優星から話を聞いた時、「ダメじゃん、初代彦星」と呆れた。
簡単におさらいしておこう。
『むかしむかし。天の神様の娘で機織りの上手な織姫と、牛飼いの彦星という人間の若者が出会いました。二人はすぐに恋に落ち、結婚しました。ところが二人での生活が楽しすぎるあまり、働き者であったはずの二人が全く働かなくなってしまったのです』ここが違っている。
実際は、結婚した途端働かなくなったのは彦星だけだった。彼は織姫が懸命に機を織って稼いだお金を持ち出しては高価な釣り竿を買い、天の川で魚釣りをして遊んでばかりいた。ちなみに、この彦星の振る舞いが、後に『釣った魚に餌をやらない』の語源になったとも言われている(諸説アリ)。
続けよう。
『天の神様はひどく怒り、二人を天の川の両岸に引き離しました。ただ、織姫はそれでも彦星のことが忘れられず、それは彦星も同じでした。そこで天の神様は彦星にある条件を出し、一年に一度七夕の日に限り、織姫に会うことを許したのでした』
そう、その条件こそ『人々が短冊に込めた願いを成就させるよう、力を尽くすこと』というものだったのだ。
おっと。哲也が喫煙室の扉に手をかけている。中に入っちゃダメだ!
「タバコは百害あって一利なーし!」一人大声をあげるボクを見て、サラリーマン風の男性がギョッとしたように足を止め、関わりになるまいと、今度は足早に去って行く。
肝心の哲也はというと、ボクの叫びが通じたのか、ビクッと体を震わせ、鼻からふんっと息を吐き出すと、くるり踵を返し喫煙室から離れて行った。あー、良かった。
「一つ目クリア」ボクは念じるように小さく言い、彼の後を追う。
◇織姫
「一つ目クリア」ホッとしたような彦星の声が天界に届き、私は不覚にも「よし!」と言ってしまった。
「イヤだわ。私としたことが」
はあ、とため息をつく。そもそも私は、今回の願い事に乗り気ではないのだ。
話は二日前に遡る。
私達はその日、リモートで会議を行っていた。
「どうしてこんなのが選ばれたの?」共有画面に『今年の願い事』が表示された途端、我ながらトゲのある声が出た。
「ご存知かとは思いますが、決定は覆りません」議事進行役を務める天の川協会の事務局長は左右に首を振りながら言うと、こう続けた。「織姫様のスタートボタンで短冊データがシャッフルされ、彦星殿の選択ボタンで決定する。厳格なルールのもとで決められた『今年の願い事』は唯一にして絶対です」
「じゃあ、彦星の責任ね。私は混ぜただけだもの」私が言うと彦星は「んー」と唸ったきり、そのまま黙ってしまった。表情は見えないけれど、少しムッとしたようだ。
七夕以外で私達が顔を合わせることは許されていないから、私と彦星のパソコンのカメラはオフになっている。画面には事務局長の顔だけが表示されていた。
「でも、七夕にプロポーズするなんてロマンチックでいいと思うなあ」彦星のあっけらかんとした声が聞こえてきた。ついさっき、私にムッとさせられたことなど、あっさり忘れてしまったかのようだ。「確かに子供じみたこと、書いてるけど」
「そうでしょう? それに、短冊を書く時の態度も良くないわ。結婚に対する覚悟が全く感じられない」それは初代彦星への非難とも言えた。八つ当たりだ! と言われれば、そうかもしれない。でも、やっぱり。「この願い主、どうにかならないの?」
共有画面には『今年の願い事』のほかに、願い主の写真も表示されていた。ドーナツを口いっぱいに頬張り、願い事を書く『哲也』の顔だ。
ところで、短冊データはどのように収集されているのか。
その仕組みはこうだ。
天の川協会は七夕の二か月前になると、笹と短冊の七夕セットを全国の施設に送付する。保育園に始まり小学校から大学、ショッピングモール、デートスポット、そして老人ホームまでと、その対象は幅広い。世代や性別に偏りが出ないようにする協会の戦略だ。
実はこの七夕セット、すこぶる賢い。『スマート笹』と『スマート短冊』から成る、協会の秘密兵器だ。
まずスマート短冊が、記入された願い事を自らスキャンする。そうして読み取られたデータは、短冊の記入台に仕込まれたカメラで撮影した当人の顔写真と共に、スマート笹の通信機能を使って協会のサーバーに送信され、蓄えられる。というわけだ。
「大阪からデータが送信されておりますので、彦星殿は七夕前日の六日に現地入りされるのがよろしいかと」事務局長が淡々と議事を進める。
「オッケー。今回は楽勝だな。お土産は何がいいですか、織姫?」
「また調子のいいこと言ってる。そういうテキトーなところも含めて、彦星の血って確実に受け継がれているわよね」
ただ、この六十一代目。今までの彦星とは何かが違う気がするのも、また事実だった。だけどそれが何かはわからない。彼に代替わりして三年。モヤモヤは募る一方だ。
「土壇場で天の力に頼るなんて、そんな事がないようにしなさい」きっぱりと言ってやったら、少しだけ気分がスッキリした。
◆海星
新幹線コンコースは広く人出も多い。でも、哲也の大きな体を見失う心配はなかった。
お土産売り場を出た所で彼は何かに気付き、そちらへ向かって歩き出すと、やがてドーナツショップの前で足を止めた。その視線の先には『期間限定チョコレート増し増し』のポスター。彼は少しためらった後、もぞもぞと鞄から財布を取り出した。
ダメだ、哲也! 慌てて彼の横に立ち、釘を刺す。「うまそうだけど、これ、カロリー高そう!」
すると彼は我に返ったのか、鼻からふんっと息を吐き出し、そそくさとその場を離れた。
「二つ目もクリアです」
◇織姫
「それでは、今年の七夕は『快晴』でよろしいですね」
二日前の会議、その最後で事務局長が念を押すように言った。
七夕の夜空に天の川を見ることが出来なければ、織姫と彦星の逢瀬は叶わない。天候に運命を左右される二人に多くの人はロマンを感じていると思う。
でも、現実は少し違う。こう言うと、あれ? 天気に関係なく会えるの? と思われるかもしれないけれど、そういう意味ではない。
驚くなかれ。七月七日の天気は私達二人が決めている。『今年の願い事』と同様に『晴れ』『曇り』『雨』をシャッフルして抽選で決定しているのだ。
但し、それは建前のはなし。
実は『晴れ』を引き当てる確率は、事務局長の協力も有り、かなり低く設定してある。試しに過去三十年の七月七日の天気を見てみるといい。東京に限って言えば、十五時以降に晴れたのは、たったの七回だ。
なぜ『晴れ』を嫌うのかって?
だって、彦星の末裔に会っても仕方がないんだもの。私が会いたいのは初代彦星だけなんだから。
そんな訳で、私は長い間彦星に会っていない。先代の彦星なんてほとんど会った記憶が無い。何だか偉そうだったし、そのくせ、すぐ天に助けを求めてくるような男だった。だからだろう、事務局長も私の気持ちをおもんばかって、『晴れ』が出ないようにしていたフシがある。
ところで、天気の決定には一つだけ例外がある。『今年の願い事』に『晴れ』『雨』などの文言が書かれている時だ。その場合、願い事の成否に関わるような特別な事情がない限り、その文言に沿った決定を行うことになるのだ。
「今年は願いの中に『晴れ』って書いてあるんだもの。天気はそれでいいわ」と、そこは同意するしかない。
「ああ、それから」と、私は付け加える。「願い事の中で本人が誓いを立てているけれど、これ、守れなかったら願いの成就は不可になりますからね。私も天界から事の成り行きを確認するけれど、彦星も願い主のそばでしっかり見届けること。いいわね?」
「了解です」彦星はそう応じた後、「そっかー」と声のトーンを上げた。「先代の後を継いで三年。やっと織姫に会えるんですね。二年間、雨が続いたもんなー」
「願い事の成就が大前提でしょう。油断しちゃダメよ。頑張りなさい」
あれ? どうして私、普通に応援してるんだろ?
◆海星
ドーナツショップを後にした哲也は喫茶店に入った。ボクもタイミングよく空いていた隣の席に座る。
時刻は午後四時。ここで待ち合わせをしているのだろう、彼はそわそわと落ち着きがない。
頑張れ、哲也! ボクは心の中で声援を送り、改めてタブレットに『今年の願い事』を表示した。
『恋人に結婚を申し込むべきか悩んでいます。七月七日、新幹線で東京へ向かう前がラストチャンスです。それで思いつきました! その日晴れたらプロポーズします! 七夕だけに(笑)。彼女が嫌がるからタバコは止めます。甘いものは控えめにして、と言われているからドーナツも断ちます。だからどうかうまくいきますように 哲也』
ところが、なかなか待ち人がやって来ない。
気付けば、もう六時。哲也は顔を引きつらせている。そんな状態では、ちゃんとプロポーズ出来ないだろうに。とにかく話し相手にでもなって、落ち着かさなければダメだ。
「ご旅行ですか?」
「はい?」彼は一瞬戸惑い、それから「ああ」と言って、どうにか笑みを浮かべた。「転勤で東京にね」返答は短かったが、顔の強張りは幾分和らいだ。
「恋人を待ってたりして?」言ってから踏み込み過ぎたかな、と後悔したものの、案外彼は話に乗ってきた。たまたま隣り合わせになった赤の他人に、愚痴や不安を吐き出したくなったのかもしれない。
「実はそうなんだ。二時間くらい待ってるんだけど……。でも、もう来てくれないのかな。諦めるしかないか」そう言うなり彼は鼻からふんっと息を吐き出し、唐突に立ち上がった。「新幹線の時間もあるし、もう行かないと」
え? プロポーズは? 誓いも守ったじゃないか。それでいいのかよ?
土壇場で願い事の成就に赤信号が点滅を始め、ボクは必死で頭を回転させる。
「あ、そう言えば」咄嗟に思いつきを口にしていた。「どこかで落雷があって、新幹線は運転を見合わせてますよ」
後で、この大嘘つき! と非難されるかもしれない。でも、うまくいけば時間を稼げる。「大切な彼女なんでしょう? もうちょっと待ってみたらどうです?」
「え? あー」突然巡ってきたチャンスに思考停止したのか、哲也はドスンと腰を下した。
そして、ボクは大阪で足止めをくらうことになった。
なぜか?
雷が落ち、新幹線を止めたからだ。
あれからしばらくすると、喫茶店の中がざわつき始めた。「マジかよ、困ったな」「ウソ? あんなに晴れてたのに?」あちこちで上がる声にボクは安堵のため息をつき、こう呟いた。
「さすが、織姫。ボクたちは以心伝心だ」
◇織姫
「あなたの思いつきで雷を落とすハメになって、大変だったんだから」初めて顔を合わせた彦星に、最初に投げた言葉はそれだった。きれいな星空の下、大阪の屋上ビアガーデンで、だ。
「でも、その雷のおかげで哲也の恋人が間に合ったんだから、それでいいじゃないですかー」彦星はあっけらかんと応じ、「願い事の成就に乾杯!」と、生ビールのジョッキを私のジョッキにぶつけた。
あの時、彦星の意図を察した私は父のもとへと走り、天気を変更してくれるよう頼んだ。
「何? 快晴から雷雨に、じゃと?」
「ええ。新幹線が止まるくらい強烈な雷をお願い!」
そう、『今年の願い事』に沿って決定した天気であっても、その成否に関わる特別な事情が発生した場合に限り、そのような変更が可能なのだ。
事態は彦星の思惑通りに運んだ。
願い主の恋人は極度の方向音痴で、広い新幹線コンコースを長い間さまよっていたそうだ。あのまま願い主が席を立っていたら、願い事の成就は叶わなかったに違いない。
喫茶店にようやく辿り着いた恋人は、ずっと待っていてくれた願い主の姿に感激し、彼がプロポーズの言葉を囁く間もなく、「私も東京に付いて行く!」と宣言し彼に抱きついた。
「だけど、あなたがどうしてあそこまで喜べるのか、私には謎」
『今年の願い事』が成就した瞬間、彦星は願い主の横で何度も万歳を繰り返したのだ。
「だって、プロポーズが成功するってのは、最高に幸せな事じゃないですか!」
「あ」
それを聞いて、私は唐突にある事を思い出した。遠い遠い、昔の出来事だ。
「どうしたんです? 急に笑い出したりして」
「ううん、ただの思い出し笑いよ」そして、今度は私から彦星のジョッキにぶつけ、言った。
「じゃあ、最高の幸せに乾杯!」
◆◇◆◇
「織姫様はいつになく、楽しそうではありませんか?」天の神と共に下界を見下ろし、天の川協会の事務局長が淡々とした口調で言った。
「それを言うなら」と、織姫の父親である天の神は応じる。「彦星に会いたいと、あれが言ったのはいつ以来かのう」
あの時。
「新幹線が止まるくらい強烈な雷をお願い!」織姫はそう言った後、更に続けたのだ。
「その後、もう一度晴れに戻して下さい。彦星に会いたいの」
天の神は驚き、彦星の様子を見てみる気になった。そしてそこで見た光景は、天の神に遠い昔の出来事を思い出させた。織姫が初代彦星の求婚に応じた時だ。
その時彼は大喜びして万歳を繰り返し、こう言ったのだ。
「ボクは今、最高に幸せだ!」と。
〈あの六十一代目、ひょっとすると初代の生まれ変わりかもしれぬ〉天の神はそんなことを考えた。〈織姫も何か感じているんじゃろうな〉
「さてと。後は二人きりにしてやろうかの」
「よろしいので?」
「なにせ今日は七夕。一年に一度の逢瀬、じゃからの」