05.記憶
お前、都市伝説は知っているか?
ほら...某所ランドや某ゲームにある話みたいなやつだ。
あれ私は好きだぞ。
あっと声を上げた直後に思わず立ち上がる。
何故こんな反応をしているのか俺もよく分からないが、何故だか先程脳裏に思い浮かんだ駅にとても嫌な予感がしたのだ。それは黒板に爪を立てた時のようなゾワゾワとした感じに似ている。
思い出してはいけない何かを開けかけた気がして顔を横に振ると、目の前のみのるは笑みから一転つまらなさそうな顔をした。
あの駅が何なのか彼女...いいや、声からして彼なのだろうか。彼は知っているのかもしれない。しかし、何かを喋ろうとしても声は上手く出なく、気がつけば息が苦しい事に気がついた。
脳に酸素が上手く回らないのか視界が歪み、立っていられない。
それを見てなのか、みのるが立ち上がって近寄ってきたのを感じた。
「島田、過呼吸だ!車を停めろ!いいか、落ち着いて息を止めるんだ。僕が手伝ってやるからな。」
みのるが俺の体を支えながら座席に座らせると、隣に座り込み顔を覗き込んでくる。落ち着いて息を止めろと言うが、そんな事が出来るわけがない。息が苦しくてもっと沢山息がしたいのに、それを止めろだなんて無理を言うものだ。そう思っていると彼はおもむろに俺の目の前へと移動し、顎を掴んできた。
これが俗に言う顎クイというやつだろうか、などと冷静に思う反面、いきなりの出来事に体が固まる。
しかし何故、と思うよりも早く鼻を指で摘まれると彼の顔がドアップで迫ってきた。
「みのるさん、どう...もこうも無いですね」
島田の声が聞こえるが姿はさっぱり見えず、見えるのは肌色だ。この唇への感触を思うに俺はキスをされているらしい。口を塞がれ、鼻を塞がれキスをされるという突拍子もない行動に呆然とする事数秒、みのるの顔は離れていくのだった。
どうしてそうなったのかさっぱり分からなくて何となく周りを見渡していると、島田の苦笑いとみのるの安堵した顔が視界に入る。
「呼吸はもう大丈夫ですね...全く、あまり無理をさせないでくださいよ。貴重な人材なんですから」
「今のは僕が悪いのか!?」
いつの間にか止まっていたらしい車が動き出しみのるが島田へ食いつく様子を見ながら、確かに呼吸が楽になっている事に気がつく。手伝ってやるとはまさかあのキスの事だったのか。嬉しいような嫌なような何だか複雑な気分で自身の唇を撫でると、そもそも何故ああなったのかと疑問に思う。思い出してはいけないトラウマなんてあっただろうかと思うが、そんな事はさっぱり思い浮かばない。強いて言うなら昔近所にいた女装おじさんのすね毛だろうか。
女装おじさんが駅にいる様子を想像すると面白くて吹き出すと、みのるは島田へ向いていた体を戻しムッとした顔でこちらを見るのだった。
「なにか?」
「あ、いや...その、変な事想像しちゃってさ」
「あっそう」
機嫌が悪いのか少し素っ気ない返事も気にならない程ツボに入った俺は1人クスクス笑う。
だって想像してみてほしい。駅で1人ぽつんとミニスカートをヒラヒラさせて立っているのだ。
そんな俺に勝手に笑ってれば、とみのるは手を軽く振って座席に胡座をかく。しかしこうも笑って居られない。俺には聞きたい事があるのだ。
「でもさ、その...今のは何だったんだ?俺どうしてああなったのか分からないんだけど」
「先ずはありがとう、だろ」
「あ、うん。ありがとう...」
キスの事を思い出して少し苦い顔になる俺にやれやれと肩を竦めると、みのるはポケットから個装された飴玉を取り出した。ピンクな飴玉、オレンジな飴玉、緑な飴玉、白な飴玉でぐるりと円を描くように膝の上に置くと、良いか?と真剣そのものな表情で俺に声をかけてくるのだった。
「先ずこのピンクがこの世だ。今僕達がいる世界だな。それからそのピンクと対になっている緑がこわい世界。残りのオレンジと白があの世の地獄と天国。ここまでは良いな?」
一つ一つ飴玉を指さしていくが、緑の飴玉のこわい世界だけが分からない。この世というのも天国も地獄も理解は出来るが、こわい世界とは何なのだろうか。
俺はそっと彼の顔色を伺いながら授業中の生徒のように手を挙げる。
それを見ると彼は手のひらを向けてきた。どうぞという事だろう。
「そのこの世ってのは分かったんだけどさ、こわい世界ってなんだよ?」
「こわい世界ってのは、そうだな...分かりやすく言うと外国のようなものだ。似ているものもあれば、違うものもある。勿論本当の外国のように船や飛行機で行く事は出来ないが」
「ならどうやってそのこわい世界ってのに行くんだ?」
ピンクと緑の飴玉の間で行ったり来たりしていた指がピタリと止まり、みのるの顔が楽しそうに歪む。まるでその悪いことを考えている子供のような無邪気さにゾクリとしたものが背中を伝って、俺はそっと固唾を飲み込んだ。
「その答えは教えてやれないが、ヒントを言うなら都市伝説だ。時に噂話は真実となり得る...昔からよくある事だ」
みのるの細まった目を見つめていれば、ふと先程まで車の窓から差し込んでいた光がなくなり車内は真っ暗になる。車の走るくぐもった音を聞くに、トンネルに入ったのだろう。彼の目から目を逸らし窓を見ると、外は真っ暗であった。
しかしそんな真っ暗な車内にみのるの黄金色をした目が爛々と輝く。まるで人ではないようだ。
俺の訝しげな顔を見てなのか鼻で生意気に笑うみのるは先程の俺と同じように窓の外を見つたと思うと、今度は付けているシートベルトを何やら確認するのだった。そして確認が終わったのか俺の方を見れば俺の腹回りを指さす。
「シートベルト、ちゃんと確認しておいた方がいいぞ」
「今より縄に突入します」
「...は?」
付いてはいるが、それが何だと言うんだろうか。
島田とみのるのよく分からない言葉につい疑問が口から出るも、何かを引きちぎるような音と同時に訪れた事故にでもあったような衝撃でようやく理解した。
これを伝えたかったのだろう。衝撃でアトラクションのようにふわりと内臓が浮き上がる感覚がした事で、俺は慌ててシートベルトを掴んだ。
この世とあの世とは言うが、その中間に別の世界があるんだ。
みのるはこわい世界と言っていたが、正しくはそうではない。