04.誘われ
夢物語とは不思議なものだな。
もっとも、それが夢とは限らないが。
目の前を歩く少女の髪がふわふわと揺れる。みのると名乗った初対面の彼女は俺の手を引きながら黙々と歩くのだった。身長が小さいからか小さな歩幅に合わせるようにしてゆっくりと歩く。暫くして公園からだいぶ遠ざかった頃、このまま歩いて何処へ向かうのかとふと気になった。
住み込みというからには、きっと大きな建物なんだろうか。そんなもの何処にもないが、と周りを見渡す。
「なぁ、あのさ。何処まで行くんだ?」
いつまで歩くのだろうか。俺はふとこのままついて行って良いのかと不安になり目の前の彼女へと声をかけたが、彼女は何故か俺の方を振り向いてとても不思議そうな顔をしたのだった。
いや、不思議そうな顔をしたいのはこっちだ。もっともそんな事を口に出したりはしないが。
「あー、うん。あのね、この先に車を停めてあるんだけど、そこまで向かってるんだよ」
なるほど、流石に徒歩で目的地まで向かう訳では無いようだ。
それだけ言ってにんまり笑うと前を向いた彼女だが、しかしその割には先程からあっちに行ったりこっちへ行ったりとだいぶ遠回りの道を歩いている気がする。公園は比較的大通りに接していたので大通りを通れば近道な気がするのに、変に薄暗い小道を進むのだ。
それもあり、もやもやとした変な考えが大きくなってその分不安も大きくなっていく。
だがそんな不安に駆られていたところで今更どうにも出来ない。家出してきたのは俺の責任者なのだ。
だが一応念の為に道を覚えておこうと、じっくりと周りの風景を見た。先程までは閑静な住宅街だったが、進むにつれて段々と家も少なくなってくる。近所ではあるものの、普段であれば用がなければこんな小道に来ようとは思わないだろう。
しかしそうこう考えいるうちに住宅街から完全に離れ、ざわめく木々が目立つようになってきたところで漸くみのるはぴたりとその足を止めた。一体なんだろうかとみのるの視界の先を見れば、そこには黒のワンボックスカーが止まっていたのだった。
しかし車だけではなく、よく見るとその車に凭れるようにして茶髪にメガネをかけたスーツの男が立ってこちらを見ている。その男の顔を見た瞬間、なんだか俺はその顔を見た事がある気がして訝しげに目を細めた。
果たしてどこで見たんだっけかと思い出そうとして、ふと電車の中で以前会った男を思い出した。
そうだ。この人、あの時よく分からない忠告をしてきた人だ。
例のスーツにスポーツバックを持った男を思い出して、確かにそうだと頷く。しかし何故あの時の人がここに居るのか。
チラリとみのるを見れば、彼女はその男へと大きく手を振ったかと思えば俺を置き去りにそちらへ駆け寄っていった。
どうやら知り合いのようだ。だがどうにも近付く気になれず待ちぼうけしていると、幾らか男と会話を交わしたみのると男がこちらへ近寄ってきた。
「島田、紹介するよ。このおにーさんはすーくん!僕が連れ出したの」
「なるほど、“連れ出した”んですか...こんにちは、あの時以来ですね。私は島田祐樹と言います、どうぞ宜しく」
みのるが島田と名乗る男に俺を紹介すると、島田は俺をあの時のように冷めた目で見下ろして軽く頷いた。とりあえずと、淡々と話すその言葉に俺は困惑をしながらも軽く会釈を返す。
「あっ、はい!俺は鈴木幸太郎、です...えと、宜しくお願いします...?」
宜しくお願いしますで良いのかはさっぱり分からないが、この人がつまりは俺を住み込みで働かせてくれる人という事だろうか。みのるとこの男がどういった関係性なのかさっぱり分からないが、島田の腕を胸に抱える彼女の様子を見るにかなり親しいようだ。
だがそんな俺の視線を感じたのか、みのるは俺を見てにっこりと笑う。そして島田の腕を離すと今度は俺の腕を胸に抱くのだった。その際に彼女の甘い匂いが俺の鼻腔を擽って、気恥ずかしくなった俺は少し顔を背けた。
「島田、とりあえず車に乗ってから詳しい話をしようよ」
「そうですね...鈴木くん、どうぞ車に乗ってください。仕事に関しての話は車中でしますので」
そう言うと島田は1人車の方へ向かっていくと懐からリモコンキーらしき物を取り出して車を開け中に入っていった。
それを見て何だかいつかに見た刑事ドラマのようだなぁと思う。1人の女が悪い男に捕まって車に連れ込まれるというシーンが昔見ていたドラマにあり、まさに今の俺はそのシーンに遭遇している気分なのだ。
島田が独りでに車へ乗り込んだのを見て、俺はちらりと隣に立つみのるを見下ろす。しかし彼女は俺の視線に気が付くとにこりと微笑んで俺の手を引きながら車へと向かっていった。どうやら断るという事は出来ないようだ。
仕方なしと俺は誘われるままに車へ乗り込むと、まるで新幹線の席のように向かい合った座席に座り込んで膝の上で拳を握り込む。今の俺は緊張やら不安やらで胸がいっぱいいっぱいだ。
だがそんな俺を待ってはくれないようで島田は運転席に、一緒に車へ乗り込んだみのるは俺と対面するように前の席に座ったと思ったら、手をヒラヒラと島田へ見えるように振るのだった。
なんだろうか、と思うのもつかの間に車はみのるの手を合図に動き始めた。一旦その場でUターンをして道をグングンと進んでいく車に俺は目を白黒させながら窓から外を見るが、そんな俺の肩を彼女がつんつんと突く。
「んっん!すーくん、ちょっとイイ?これから真面目な話をするね。」
「...分かった。あのさ、あの島田さんが俺を雇ってくれるんだろ?」
どう考えてもそうとしか思えない。高く見積っても高校生には見えないみのるが俺を雇う事は難しいだろう。だからこそ、そう運転をする島田を指差したが、当のみのるは不意打ちを食らったかのように不思議そうに目を真ん丸にするとくすりと笑った。
どうしてだかその笑みはとても深く、まるで成熟を通り越し熟れ落ちる寸前の果実を想像させるのだった。
「ううん違うよ。雇うのはね、僕。最も正確には僕が直属に雇う前に僕のお母さんが雇うんだけどさ」
どういう事だろうか。複雑過ぎてよく分からなくて首を傾げるとそんな俺を見てみのるは目を細め、揺れる車内で徐に立ち上がり俺の手首を掴んだ。
ゾッと、何故だか掴まれた事により悪寒が背中を走って脳内に知らない駅の景色が浮かぶ。
知らない筈なのに、どうしてだか知っている気がする。これは一体何だろうか?デジャブとかいうやつなんだろうか?
俺は手首に落としていた視線を恐る恐るみのるへ移すと、彼女は黄金色の目を輝かせて口をポッカリと開いた。
「早く起きろ。ここはお前の居るべき場所じゃない」
みのるの甘い声とは違い、聞こえたのは低い少年の声。
その声を聞いて俺はあっと声を上げるのだった。
お前だって誰だって忘れていることの一つや二つ、あるだろう?
思い出せ。