アンティークショップの怪
「じいちゃん、ひっさしぶり~!」
賑やかな表通りから何本か路地を入り、俺は古い作りの店の扉を思い切りよく両手で開いた。
古びた音と共に、何十年も空気を入れ替えていないような店内を眩い朝の光が照らす。
商いをしているにもかかわらず、この店には窓がない。扉も木製なので、外からは中の様子が全く見えない作りになっている。
「あれ…?だれもいない…?」
扉が背後で重い音を立てて閉まった。
いつも出迎えてくれる老爺の姿が見えない事に首を傾げつつ、急に暗くなった店内に目を細める。
店主の老爺は、店に住み着いているのかと思うくらい、どこかに出かけるイメージがなかった。不思議に思いながら店内に足を踏み入れると、木の床がきしんだ音を立てた。
幸運なことに、カウンターの上の灯りは付いたままだ。
俺は魔道具の仄かな灯りを頼りにカウンターに近づいた。
と、カウンターの向こうに蝋人形がぼんやりと浮かびあがった。子どもの俺にちょうどいい高さのカウンターよりさらに低い位置に頭がある。
-----後ろ頭だけでも精巧だとわかる人形。
前に見たことがないので、最近入ってきたのだろう。
俺はカウンター越しに覗き込もうと身を乗り出した。
「…………な…んじゃ…?」
俺の動きを察知したように、ギギギ…と音の出そうな動きで人形の首だけ(・・・)がゆっくりと振り返った。
ホラーである。
「ひぃやぁぁぁああああああ!!!」
「な、なんじゃあぁああああ!」
俺の叫びに目を見開いて、蝋人形が絶叫する。
あ、あれ?蝋人形ではなく、老人形?いや、よく見ると店主の老爺・ボナルドだ。
「え…?じ、じ、じ、じいちゃん…?」
「ああ、なんじゃ、おまえか…脅かしおって…」
ボナルドは、なぜか首だけをこちらに向けて悪態をついた。いや、驚かされたのはこっちだって。文句を言おうとしてよく見れば、ボナルドの首は書物の山の上に乗っかっている。
「じ、じいちゃん…?首だけ?生きてんの?死んでるの?」
「生きておるに決まっとろうが!?」
「え…じゃ、なんで、そんなとこに埋まってんの?」
「う、後ろの棚から本を取ろうしたらだな……わ、わしのせいじゃないぞ、本がだな、勝手に落ちてきおったんじゃ!そ、そうじゃ、ちょうどよかったわい。ちょっと手を貸せい!」
叫びながら、ボナルドががたがたと本を揺らす。
どうやら手を上げようとしているようだが、重すぎて小山はほとんど動いていない。
俺はため息をついた。
「じいちゃん、少しは整理しよーよ。打ち所が悪かったら死んじゃうよ?それにアンティークショップで古書に埋もれて顔だけ出してるのってどうなの?こえーよ?俺、蝋人形だと思ったよ?」
「蝋で人形が作れるわけがなかろうが!?」
ボナルドは馬鹿にしたように鼻をならす。この世界ではまだまだ蝋は高いので、それで人形を作るなど考えられないのだろう。
俺は体に結び付けていた手ぬぐいを慎重に外して、商品をカウンターテーブルに置いた。
店内がホコリだらけでも、カウンターテーブルだけはいつもキレイに掃除されている。
「今度は何を持って来たんじゃ?」
「鳳凰の茶碗」
「ほぉ…本物じゃったら、お貴族様がこぞって欲しがりそうじゃな。いつも通り完全な状態なんじゃろう?」
含みのある視線に、俺はにやりと笑顔を返して、ボナルドの側に屈み込んだ。
両手に力を込めて、重量のある古書や巻物を移動させていく。羊皮紙でできた本はかなりの重量だし、乱暴に扱うと売り物にならなくなる場合もある。ページがめくれている物などをひとつひとつ丁寧に移動させるのは結構な労力だ。
小一時間ほど作業して、ボナルドの胸のあたりまで自由にすることができた。
ボナルドは歓声を上げて、腕をぐるぐるとまわした。
「うう…変な姿勢で寝たから肩が凝ったわい」
「…え?…いったいいつから埋まってたわけ!?てか、その間、誰も店に来なかったの!?この店、大丈夫なの!?」
「うるさい!うちは客を選んでるんじゃ!」
腰のあたりまで古書を取り除くと、ボナルドは体をゆすりながら乱暴に立ち上がった。大きく伸びをすると、背骨と関節からぽきぽきとよい音が響く。
「しかし腹が減ったのう…いつぶりじゃ…3日か…?」
「……いつか死んじゃうよ…?」
「人を勝手に殺すなといっとろうが。ほれ、金じゃ、なんぞ食べ物を買うてこい。おまえの分は手伝ってもらった礼におごってやろう」
「手伝いというか、人命救助だよね…?」
「使いに行っとる間に、お前の持ってきた品を視ておいてやるぞ?」
「りょーかい!行ってきまーす」
俺の鑑定眼に間違いはないが、ボナルドの目利きも凄い。こちらは職人の技である。しっかり高値をつけてもらいたい。
俺は素直に金を受け取り、首から下げた茶巾の中にしまった。
貧乏故に絶食になれているとは言え、俺も山を夜通し歩いて腹ペコである。
できれば肉が食べたい。他には、肉とか肉とか肉とか…まぁ、腹に溜まればなんでもいいか。
俺は扉を開け、表通りに向かって駆け出した。
****************
ところで、この町の名は『ロレーヌ』という。
なんでも大昔、領主の側室に与えられた町らしい。で、その側室の名を取ってロレーヌ。
どうしてこんな田舎の町を与えたのかと思ったら、その側室がこの町の商家の出だったらしい。で、父親にこの町を与えて男爵にする代わりに、お前の娘を側室に寄越せと。よっぽどキレイな側室さんだったんだろう。ちなみに男爵家の家名もロレーヌになった。ロレーヌを失って、ロレーヌの家名と町を得たわけだ。
一商家だった父親は男爵の地位を得て、町一番の豪商となり、辺鄙な田舎町を領内でも商いに秀でた町に変えた。ロレーヌの町は、いまでは手に入らぬ品はないと言われるほど商売が盛んだ。
外からやってくるのも7割は商人だが、ここにしかない希少品を手に入れたい観光客も多い。
そのため表通りの広場には屋台や出店がたくさん並んでいる。中には町内の店が観光客向けにやっている出店もある。食べ物のレベルも結構高い。但し、お値段も観光客プライスである。
商売の町の名を落とさないよう偽物販売は厳しく規制されているが、値付けのぼったくりに関しては寛容なのだ。適正価格で手に入れるのも商売人の腕だからである。
俺みたいな貧乏人がうまいものを手に入れるには、観光客向けの屋台は無理だ。屋台を出している本店に直接行く方がいい。そちらは地元住民向けなので、見栄えは地味だがお値段は良心的だ。
とはいえ、俺はその地元住民向けの店にも行ったことがない。
「どうしようかなぁ………よし!」
地元の事は、やっぱり地元の人にきくのが王道だろう。
「こんにちは~」
「あっ、リューいらっしゃい!」
俺が向かったのはこの町の教会だ。
広場の内側にある公園を抜けたところにある。
ちなみにこの公園の一部に整備された有料の庭園があり、併設されたカフェは観光客のデートスポットとしても人気らしい。
「えっ、リュー?あ~、ほんとだー!」
教会の敷地に足を踏み入れると、俺に気づいた子供たちが併設された孤児院からわらわらと出てきた。
「ほら、みんな、そんなにまとわりついたらリューが話せないよ。久しぶりだね、リュー、今日はゆっくりして行けるの?」
「ごめん。今日は安い食堂を教えて欲しくて来たんだ」
おっとりとした坊ちゃん風の少年が、ちびっこ達を宥めながら近づいてくる。
サラサラした肩までの水色の髪。孤児院支給の清潔なグレーの制服がよく似合うレィニーとは、初めてこの町に来た時に出会った。
彼は本当に隣の村におつかいに出て、その帰りに攫われそうになったのである。
俺がしたこと?
山道の茂みから飛び出て大声で叫んだだけだ。「うわ~!騎士様、こっちです~!人攫いに捕まってます!早く!助けてー!!」と。
焦った人攫いは慌てて逃げて行った。
たぶん魔が差した素人だったんだろう。一人だったし、手際も悪かった。もしプロの人攫いだったら、俺が叫ぶ前にやられていたと思う。
だけど、攫われかけたレィニーは俺にすごく感謝してくれた。
どうやらそれまでにも何度か、孤児院の子どもがさらわれる事件があったらしい。
この教会の孤児院の子ども達は、基本的に貴族の血が入っている者達だ。
清貧だが、農村の子ども達とは違って教養があり、姿形も洗練されている。その上、支給される衣装も専用の制服なので、一目でここの孤児院の子ども達だとわかる。
人攫いには格好の獲物と言えるだろう。
町の中はともかく、町外へのお使いや森での薬草採集などは危険を伴う。とは言え、毎回攫われるわけでもなく、騎士や護衛をつけるわけにもいかない。
困っていた孤児院の委員長に、俺は農村の古着を着てはどうかと提案した。
孤児院の制服は町の中では身分証代わりにもなるものだが、それが外では金ずるの証になるわけである。金のない農村の子どもなら攫われる恐れはぐっと低くなる。
商談はみごと成立し、それ以来、教会と孤児院は俺の町の立ち寄りスポットの1つとなった。
子ども達ともすっかり顔なじみだ。
「食堂?」
「うん。知り合いのじいちゃんに昼御飯を買うよう頼まれてさ。俺、この町で食事したことがないから、わかんないんだよね」
俺は恥ずかしさを隠すように頬をかいた。
既に何度も来ていて、一晩泊まって帰ることもあるのに、一度も食事したことがないと白状するのは少し気恥ずかしい。
しかし俺が買って帰るのは食物であって、料理ではないのだ。
兄弟の腹を満たせられる乾パンや古米、芋類と干し肉、乾燥フルーツなど。俺が持って帰られる重量と大きさを考えると、どうしても乾燥させた後の者が中心になる。
滞在中の食事も、それを少し齧ってすませている。
「そうだね…では、エバンさんのところはどう?リューに相談したいこともあるんだ」
「俺に相談…?」
「うん。リューなら、なんとかしてくれるような気がするんだ」
レィニーが綺麗な顔で微笑む。
女の子には見えないけれど、俺の知る農村のどの女の子よりもキレイでかわいい。
まわりで「リューなら、なんとかしてくれる!」「大丈夫!」とちびっこ達が駆け回る。
ここの孤児院の子ども達は俺の事をかいかぶりすぎなんだよな…。
「じゃ、とりあえず、そのエバンさんの店に連れて行ってくれる?」
「ありがとう。では、みんな、留守をよろしくね」
俺はレィニーと連れ立って、広場の方へと歩き出した。