喧嘩のあとは
共同生活。
血の繋がった家族の生活でもいろいろ大変なのに、赤の他人同士、それも7人もの生活となれば、円滑に進めるための不断の努力は何よりも大事だ。
生活のルール、家事のルール、連絡や予定の共有化、趣味嗜好から性癖に至るまでの個人の尊重と公共の場での気遣い、他もろもろ。
厳格すぎれば堅苦しくなるし、自由すぎても問題だ。そのバランスが難しい。そして往々にしてうまくいかない。
最初はうまくいっているように見えても、いずれ綻びが出るし、四六時中同じ空間にいて、ちょっとした対立や主張の食い違いから喧嘩に発展することだってある。
それを止めることはできない。だって人間同士だ。どうしたってぶつかるところはぶつかる。
だから私たちは、喧嘩をしたときのシステムを最初に決めた。たったひとつの決まり。
喧嘩のあとはセックスをしろ。
他のあらゆる予定、予約、ルール、そういったものは全て度外視。喧嘩をした日には必ず喧嘩をした者同士で布団に入る。それが最強のルール。
なお、付随のルールとして、「喧嘩はセックスに持ち込んでもよいが、セックスは喧嘩に持ち込まない」というものがある。
要するに、喧嘩の内容をセックス中に蒸し返すのはよい(仕方ない、という意味で)が、逆に、日常の喧嘩中に「昨日あんなに気持ちよくなってたくせに」みたいのはダメ、ということだ。
これをしてしまうと、セックスに強い方が喧嘩にも強い、という図式が出来上がってしまう。(セックスに強いって何、という質問は置いといて)
そうなっては、セックスが喧嘩の一手段みたいなことになってしまい、共同体としての目的を見失ってしまうことになる。我々は喧嘩としてセックスをしてるわけじゃない。そこをはき違えてはいけない。
ちなみに、体も合わせたくないくらい本気で嫌いになったメンバーが1組でも発生したら、この共同体は問答無用で解散することになっている。
もちろんそれまでに関係修復するべく努力をするが、それでもだめだったら……ということだ。
そしてこれは、そんなルールがもたらしたある悲劇の一幕――
「――あなたのそういうところが本当に嫌い!」
「自分にできないことをやってる奴に当たり散らすなよ。やればいいのにやらないだけなんだろ?」
「……!」
どす黒いオーラをまき散らしながら噛みつく深桜。
メガネをかけているから真面目、などというわけではないけど、高校のころから7人の中ではリーダーっぽい気質だったこともあって、共同体になった今でも言いたいことはズバズバ言う。
噛みつかれている白馬のほうは、飄々と受けている。それでいて相手の痛いところを突いて、相手をより怒らせるような振る舞いをすることが多い。
適当に受け流すこともできるのに、わざわざ正面から受けているのだ。相手のことを慮っているからだともいえるが、彼女にとってはたぶん、喧嘩すらスパイスのひとつにすぎないんだろう。
何のって? それはまあ……うん。
「……もういいわ。ギリシャでもジャマイカでもイラクでも好きなところ行ってらっしゃいよ」
「そうさせてもらうよ。なんなら一緒に行く?」
「バカ!」
そっぽを向く深桜を、白馬が後ろから抱きしめる。
深桜は暴れてその腕から逃げだそうとするが、自分よりも背の高い白馬のハグからは脱出できそうになかった。やがて諦め、項垂れた。
「……そんな頻繁にいなくなるんじゃ、みんなで住んでる意味ないじゃない」
「そんなことはないさ。深桜には他の5人がいる。それに私だって永遠に帰ってこないわけじゃない。すぐ戻ってくるよ。ここが私の家なんだから」
「……治安の悪いところは行かないでね」
「気を付けるよ。深桜こそ、ひとりで新宿とか渋谷には出歩かないでよ。心配するから」
「子供じゃないんだから……!」
「それでもさ。白夜でもスズでも、行くときは誰か呼んで一緒に行くこと」
「……白馬を呼んだら?」
「本当に私が必要なときだったら、飛んで帰ってくるよ」
「約束する?」
「もちろん」
「ん……」
深桜が大人しくなった。というよりも、しゅんとなった、のほうが正しいかもしれない。白馬の腕の中で、小さくなっている。
「……ところで、深桜」
「なに」
「私たち、喧嘩したよね」
「え?」
「したよね、喧嘩」
「えっと、まあ……でももう大丈夫」
「うん、だけど、したよね」
「……うん?」
「喧嘩をしたら?」
「……えっ、いやいや」
「喧嘩をしたら?」
「待って、ねえ待って、ちょっとまさぐらないで、確かに喧嘩した、かもしれないけど、でももう仲直りしたよね? 落ち着いたよね?」
「落ち着いたらノーカンってこと? そんなルールあった?」
「ルールっていうか……ちょ、服を脱がすな!」
「もう一度聞くよ。深桜ちゃんはルールを破らないよね。喧嘩をしたら?」
「…………セックスする」
「はい正解。じゃお部屋にご案なーい」
「ちょ、待って! 分かった、分かったから持ち上げないで! 歩ける、歩けるからぁ!」
白馬は深桜を後ろから抱きかかえたまま、リビングを後にした。ぎゃあぎゃあ騒ぐ深桜の声がドップラー効果で小さくなっていく。
「なにこれ」
茶番じゃない?
辟易した顔で陽が言うのへ、私も適当に答えた。
ここは私たちの城、7人暮らしのシェアハウス。そのリビングでの出来事。いわゆる、痴話喧嘩。
片や、バイトでお金を貯めてはふらっといなくなっていきなり数か月帰ってこない、みたいなことがよくある自由人、乙宮白馬。
片や、不真面目な人間を取り締まることが生きがいなんじゃないかって思うくらいの委員長系マジメメガネ、山田深桜。
ここの7人はみんな性格も違えば育ってきた環境も違う。(一部、双子姉妹は除く)
そんな中でも一番水と油っぽいのがこの2人だった。その2人が喧嘩して、仲直りして、部屋に戻った。茶番だな。
「なんで土曜の真昼間からあんなものを見せられなきゃいかんのだ」
痴話喧嘩というよりもはやちょっとした寸劇だったしね。
「あ、そうそう、すず」
ん?
「ドップラー効果ってそういうのじゃないから」
あ、はい、すみません。
「あとさ、なんか知らないけど、家にいたくないんだよね。わかる?」
あー、分かる。なんか知らないけどね。
「どっか出かけようぜー。映画とか観たい」
いいね。観たい新作があったんだ。
「お、いいじゃん。バイト組に連絡入れとくわ」
よろー。