私たちの家
「こんにちは! あたしは松葉璃々。どこにでもいる平凡な専門学生!
今日も朝から授業なのに、危うく寝坊するところだった! 危ない危ない!」
「……」
リビングに入ってくるなり謎の自己紹介台詞を口にした璃々に、今まさにトーストをかじろうとしていた私は思わず手を止めて、まじまじと彼女を見つめてしまった。
「この、寝起きで目つきが悪いひょろながの女は鹿島五十鈴。あたしの高校時代からの友達。そしてシェアメイト」
「おい」
「あっ、シェアメイトっていうのは、シェアハウスに一緒に住んでる仲間のことね。そう、実はあたし、シェアハウスに住んでいるのだ」
「住んでいるのだ、じゃねえよ」
すぱんっ、といい音ではたかれる璃々の後頭部。140センチの低身長は、その背後にいつの間にか立っていた白馬にとってはベストツッコミポジションである。略してBTP。
「だ、誰だっ!」
「今日の璃々ちゃんはどういうあれなの?」
白馬の更に背後から、同じ栗色のボブカットがふわりと舞う。白馬の双子の姉、白夜がその後ろにいるらしい。ここからだと白馬の陰になって見えないけど。
「出たなエロ姉妹」
「誰がエロ姉妹だ」
白馬がもう一度頭をはたこうとするが、璃々はそれを真剣白羽取りみたいな大仰なポーズで受け止める。そして、ふふん、とドヤ顔。
「この松葉璃々に同じ技は二度通ようはんっ!」
ヤバめな声を出して璃々が膝から崩れ落ちる。
「松葉璃々破れたり」
白馬の後ろに隠れていたもうひとりの刺客、陽が手刀の素振りをしている。
「くそう、この家は敵ばかりか!」
「いいからそこをどけ」
床に座り込んだままの璃々を軽々と抱き上げて、白馬がリビングに入ってくる。お姫様抱っこだ。とても真似できない。
「おはよう、すず」
「うん、おはよう、白馬。白夜も、陽も、おはよう」
「おはよう、すずちゃん」
「おはー」
各々返事をして、自分の席に座り込んでいく。自分の席といってもカーペットに置かれた座布団の上だけど。
ふと視線を感じて見上げると、璃々がじっとこちらを見つめていた。
「?」
「あたしに挨拶がない」
膨れていた。
「ワガママガールめ」と言いながら白馬が璃々を座布団の上に降ろす。その間もずっと、璃々は私を睨みつけていた。
膨れっ面が子供っぽすぎて、睨まれている感じはあまりしないけど。
「でも璃々、さっきいきなり私の悪口言ったよね」
「へ?」
「目つきが悪いひょろながの不健康そうなマッチ棒女って」
「そこまで言ってない! 言ってないよね、深桜!?」
璃々がキッチンに向かって叫ぶ。そっちには、璃々が現れる前からずっと朝食の準備をしつつ黙ってこちらの動向を眺めていたメガネ娘、深桜。ふちどられたレンズの向こうの瞳がぱちぱちと瞬いて、
「え、ごめん、聞いてなかった」
「難聴系主人公か!」
璃々の謎ツッコミが迸る。
「あれ、コイは?」
まだ眠たげなのか、ぼんやりした眼でテーブルにつっぶしている陽がリビングを見回す。
「たぶんまだ寝てる。3時くらいまでレポートやってたみたいだし」
昨日の夜、「がんばるよ」と気合を入れていた恋を思い出した。
「ああ、一人部屋だったっけ」
そうか、と納得げに陽が頷く。
「あたしもそろそろ一人部屋行きたいんだけどぉ」
璃々が非難の声を上げると、隣でポットから急須にお湯を入れていた白夜が苦笑した。
「まあまあ。提出物や勉強があるときはその子が優先、だからね」
「せめてもうちょっと穏やかに夜を過ごしたい!」
ばんばん、とテーブルを叩く璃々。
「しょうがないよね」
「うん、仕方ない」
「仕方ないよ、璃々だもん」
「璃々ちゃんだし」
誰ともなく異口同音にそんなことを言って、くすくす笑う。璃々の眉間にますます皺が寄った。
「もおおー!」
「牛かな?」
軽口をたたいた白馬の二の腕をびしっとはたく璃々。
「はい、牛さんにミルク、あとコーヒーです」
キッチンから顔を出した深桜が、いくつかのカップを載せたおぼんを差し出してくる。白馬がそれを受け取り、テーブルに置く。
コーヒー派の白馬と陽、未だに身長を諦めていないのか牛乳を飲み続ける璃々。
白夜はほうじ茶派なので、自分で急須からお茶を注いでいる。
私は手つかずになっていたトーストを口に放り込んで、空になったコーヒーカップやお皿をおぼんに載せて立ち上がった。
「ごちそうさまでした」
「ん、どういたしまして」
深桜が満足そうに頷く。
「今日は深桜も一緒に出るんだよね。いつもの時間でいい?」
「7時20分だったよね。大丈夫。――あ、すず」
「ん?」
深桜が近づいてきて、手を伸ばしてきた。目をぱちくりさせていると、その手は私の口元に伸び、頬に触れた。
少しひんやりした。洗い物をしていたからだろうか。そんな風にぼんやり考えていたら、手は離れていき、その指先が彼女の口に吸いこまれた。
「パンくずついてた。ふふ」
この距離だと、メガネ越しではない、彼女の瞳が直接こちらを上目遣いに見上げてくる。
薄い朱色のリップが遠慮がちな笑みを浮かべ、吸い寄せられそうになる。
「朝から見せつけてくれるな」
「そうだそうだー」
白馬、そして璃々の野次。息を合わせて煽ってくる。
「私たちも見せつけようか、璃々」
「疲れるからいいです」
同盟決裂。短いチームアップだった。
「アホみたいなこと言ってないで、ごはんキッチンに用意してあるからちゃんと食べてから出かけなさいね」
深桜がため息交じりに言うのへ、座り込んでいる4人は声を合わせて
「はーい」
「ならばよし。じゃあ、準備してくる」
「うん、私も」
深桜がエプロンを外している間に、一足先にクローゼットに向かった。
いわゆる完全な個室を持たない私たち7人の共同生活では、一番問題になるのが個人の所有物の置き場所。
そのなかでも、確実に場所をとるのが衣類だ。
私たちは相談と検討の結果、1階に2つある客間のひとつを、まるまるクローゼットにすることにした。衣裳部屋である。
もちろんみんなサイズも趣味も違うから、この引き出しは誰の、このエリアは誰の、みたいにざっくり決めている。
なかには「共有可」にしているものもあって、メンバーによっては服の貸し借りとかしているみたいだけど、残念ながら私はひとりだけひょろながのマッチ棒なので貸し借りなんて夢のまた夢だ。
いや、それは関係ない話だった。とにかくそういうわけで一部屋が全部クローゼットなので、ちょっとしたアパレルショップっぽくて楽しい。
壁際にはドレッサーが3台並んでいる。全員分はさすがに置けないので、残りは2階の各部屋に点在するかたちだ。
「ねえ、すず」
適当に(着られる服を)見繕っていると、同じようにいくつかの衣類を手に取っていた深桜に声を掛けられた。
「ん?」
振り向くと、深桜がスマホの画面を差し出していた。
画面にはカレンダー。私たち7人の共同生活の中心となる、誰がどの部屋で寝るかをあらわす「予約画面」だ。
この家には1階の客間(余ってる方)のほかには、2階に4部屋しかない。全てダブルベッドが1台置かれている部屋。それが4つ。
うち1つは、いろいろな理由で「1人でいたい」と思うメンバーのために空けられている。ここ数日は恋が籠っていた。私も小論文の宿題が出たときに1人でカンヅメになったことがある。
そうなると、それ以外の3部屋は自然に、残り6人が割り振られることになる。
とはいえ決まった部屋があるわけではない。私たちはみんなオープンだ。そして互いに互いを、みんなを愛している。つまりそういうことだ。
そして、部屋を取るときは共有のカレンダーにアイコンを並べて置くことがルールになっている。名前じゃなくてアイコンなのは可愛いからだ。さすがに名前だと露骨すぎるってのもあるけど。
そこに、桜のアイコン。今日の日付。これが示すもの。
私は黙って自分のスマホを取り出し、カレンダーにログインした。今日の日付をタップし、桜のアイコンの横に、鈴のアイコンを並べる。
私が画面を深桜に向けると、彼女はぱっと顔をほころばせて、部屋の時計に目をやった。
「そろそろ行かないと」
「そうだね」
どちらからともなくくすりと笑って、手早く部屋着からの着替えを済ませ、一緒にクローゼットを出た。
「――ところで、今日の朝の璃々のアレ、なんだったのかな」
学校へ向かう道すがら、ふと思い出したことを口にしてみた。
「昨日の夜、そういえば何か言ってた気がする」
深桜がむむ、と眉をひそめる。思い出そうとしているのだろうか。
小難しそうな表情は、彼女に妙に似合っている。真剣にものを考えているような顔が似合ってると思うのは、メガネだからかな。いや偏見かそれは。
ああ、もちろん笑顔も可愛い。
「昨日は璃々とだったんだっけ」
「うん。……なんだったかな」
ちなみに私は陽とだった。恋は1人部屋だったから、そうなるとあの双子は双子だけで、だったってことか。
あの双子に挟まれると問答無用でやられ放題になるけれど、2人だけのときはどんな感じなんだろう。……一度見てみたい。
「ああ、そういえば、なんかモノローグを全部口に出す日にするとか言ってた」
「意味が分からない」
「そこが可愛いんだけどね」
「わかる」
真剣に頷いた。
「……でもさ」ふと思い至った。
「うん?」
「それって、夜まで続けるのかな」
「……」
深桜が沈黙する。
「普段も結構素直だよね」ベッドの中でのことを思い返しながら言うと、
「確かに」と深桜も笑う。
「……」
「……」
深桜と2人顔を見合わせて、同時に立ち止り、スマホを取り出してみた。
カレンダーを見る。今日の日付。桜と鈴のアイコン、の下。
馬、太陽、猫、月、のアイコンが4つ横に並ぶ。
ちなみに、璃々は猫だ。いやそういう意味じゃなくて。そういう意味でもだけど。
「……爛れてるなあ」
「爛れてるね」
――まあ、それを言うなら、私たち全員なんだけどね。
どちらからともなく笑う。
「しかし、今夜はまた一段と激しそうだよね」
私の言葉に、深桜は本当にね、とため息をつく。
「恋もモヤモヤしそう」
「レポート明けが大変だ」
「そうなったら双子に頑張ってもらいましょう」
「だね。だいたい全部双子のせい」
喋りながら歩いていたら、あっという間に駅についた。
ここからは逆方向だ。改札を通り、深桜と軽くハイタッチして、別れる。今日もまた一日が始まる。