休講デート
「授業が潰れて暇です。誰かお茶付き合いませんか」
グループチャットにテキストを送って、小さくため息。
まったく、たまにやる気を出すとこうだ。
休講を告げる一言だけが書かれた張り紙を睨み付け、掲示板の他の紙に目を向ける。
明日の授業について何か書かれていないかと思ったが、特に何もなかった。
西洋哲学のレポート提出日だけを再確認し、踵を返して校舎の出入り口に向かった。
小走りで校舎に入ってくる学生たちとすれ違いながら、ちょっとだけ優越感。
歩きながらバッグをまさぐってスマホを取り出すと、通知が来ていた。
『5分前に言ってくれれば休んだ』陽からだ。地団太を踏む犬かパンダみたいな謎生物のスタンプ。
いや、それは出ようよ。
『お土産よろしくね』璃々から。ハートマークのスタンプが乱舞している。
はいはい。苦笑する。璃々からのお願いはなぜか断りづらい。甘やかしすぎな気もするけど。
『赤羽に17時半なら付き合う』白馬から。ビールをあおっているおねーちゃんのスタンプ。
いやまだ酒飲めないから。
唯一の社会人のくせに、白馬は返事が早いしマメだ。モテる女は違う。
『今ちょうど電車なので、上野辺りならいいよ』お、前向きな返事。恋からだ。
「ありがとう恋、20分後に上野で!」
返事を打ち込んで、足早にキャンパスを後にする。
「お疲れ様、すずちゃん」
待ち合わせ場所には、恋が先に到着していた。
当たり前だけどけさと同じ格好。クリーム色のニットのセーターにロングスカート。
そのウェーブがかった肩まで伸びる黒髪やふわりとした柔和な笑顔と相まって、この世に降り立った聖母のようだ。
「わざわざありがとね、恋」
「うん、大丈夫。わたしもちょっとお茶したかったから」
「そうなの? 何かあった?」
「というほどでもないんだけど……」
す、と恋が距離を寄せてくる。そばにいると、私より15センチも小さい彼女は完全に私を見上げる格好になる。
ふわりと漂う、少し甘くていい匂い。同じ家に住んでいるのにどうしてこうも違うんだろう。永遠の謎だ。
「授業も少し疲れちゃったし」
「ああ、今日発表があるって言ってたっけ」
「うん――覚えててくれたんだ」
「当たり前だよ」
午後イチの授業で発表があるというのは聞いていたし、グループチャットでもお昼休みにめっちゃ応援のコメントが飛び交っていた。
お前ら恋のこと好きすぎだろ。私もだけど。
「私のレポート発表のときなんて、璃々も陽も『噛め』しか言わなかったのに」
「あはは、そうだったね」
「とりあえず、どっか入ろうか。お腹すいてる?」
「さすがに今からは食べられないよ。白夜ちゃんに怒られちゃう」
「あー、確かに。夕飯担当だもんね。ていうかさっきチャットでもちょっと怒ってたよね」
「白馬ちゃんが居酒屋さん行くみたいなこと言い出すから」
くすくす、と恋が笑う。
「案外、白夜も飲みたかったりして」
「あー」
「璃々にもお土産って言われたし、お酒でも買っていこうか」
「すずちゃん買えないのに?」
「恋おねえちゃんがいるからセーフ」
「もう、こういうときばっかり」
そう。こう見えても、もう20歳の誕生日を過ぎている恋のほうが私よりお姉さんなのだ。
そんな話をしながら適当な喫茶店に入り、席を確保して注文する。
私はブレンドコーヒー。恋は、新商品のマンゴーなんたらが気になっていたようだったが、カフェラテにしていた。
「いいの? マンゴー」
「あれもお腹いっぱいになりそう」
だから今度にする、と決意を新たにしていた。
それから、学校のことや家のこと、とりとめなく話をしていたら、あっという間に1時間ほど経っていた。
テーブルに置いていた恋と私のスマホに、同時に通知が入る。
ちらりと覗くと、深桜からだった。
『授業が終わったので帰ります。
あと五十鈴は図書館で勉強でもすればいいのに』
「なんだこいつ。勉強の虫か」
「偉いねえ、深桜ちゃん」
私が悪態をつく横で、恋がなんだかほっこりしている。
「さて、わたしたちも帰ろっか」
「ええー」
恋が言うのへ、わざとらしくぶーたれてみる。
「もうちょっと恋と一緒にいたい」
「いつでも一緒にいるでしょ」
「ふたりきりでいたい」
「みんなと一緒にいるより?」
「……」
ぐう。それを言われると。私が押し黙ると、恋が小さく笑った。
「――今日、まだ予約入ってなかったよね」
ちら、と遠慮がちな上目づかいで恋が言う。はっとして、私はスマホを手繰った。
予定表を見る。今日の日付。桜のアイコンと太陽のアイコンが並んでいる。
「……深桜と陽だけっぽい」
「そうなんだ。……へえ」
恋がいたずらっぽく笑う。背筋がぞくっとした。その笑顔に吸い込まれそうだ。
「い、いいの?」
「…………いいよ」
私の表情を窺うかのように、わざとらしく溜めて、恋が肯定する。思わず生唾を飲み込んでしまう。いかんいかん、性欲の化身か私は。
冷静を装って、カレンダーの今日の日付のところに鈴のアイコンを置く。
恋はこちらを見ないまま、手元のスマホをいじって――鈴の横に、ハートのアイコンがついた。
「かえろっか、すずちゃん」
「う、うん」
椅子から立てないでいる私を尻目に、恋は私の分の空になったカップを持つと返却口に戻しに行った。
ぼんやりとその後ろ姿を眺めている私。やがて彼女は戻ってきて、
「行こう? お土産、買っていかないとね」
ごくごく自然な動作で私の手を取って立ち上がらせた。
ああ、手玉に取られている。
ふわりと漂う彼女の匂いに、もう完全に降伏していた。
途中、最寄駅のスーパーでお土産を見繕っていたところ、ばったりと白馬と遭遇した。
彼女もまたお酒を買おうとしていたようで、買い物かごにはビールやらチューハイやらの缶が5つも6つも入っていた。
ずっと繋がれたままの私たちの手を一瞥して、白馬が言った。
「恋、なんだかいい顔してるね」
「そう?」
「うん。今日私と一緒に寝ない?」
「だめですー」
思わず横やりを入れた。白馬が薄い笑みを浮かべる。切れ長の目、彫の深い整った顔立ち。
顔がいいだけに至近距離で見ると腹が立つ。それにときめく自分自身にも。
「今日は私だから。先約だから」
「なんだ、そうなの? 残念。……別に3人でもいいけど、私は」
「言うと思った!」
「スズは私じゃダメかい?」
「白馬じゃダメとかいう話じゃないから。今日は恋と私だから」
「はいはい」
「あはは」
間に挟まれていた恋が楽しそうに笑っていた。
「ごめんね、白馬ちゃん。今日はわたしも、すずちゃんの気分だから」
「ふむ。そしたら今日は白夜と一緒に璃々をいじるとするか」
「ええ……」
双子の攻めを受ける璃々を想像して少し可哀相になった。いや、恋は譲らないけど。
「優しくしてあげてね?」
「優しくしてるさ、存分に。それにあいつめっちゃ喜んでるからな」
「……」
確かに。納得せざるを得ない。
「なんだかわかんないけど、璃々の声ってすごくそそるんだよ。分かるだろ、この気持ち」
「分かる」
「分かる」
恋と2人、同時に頷く。
ぶっちゃけ、自分の相手になってくれてるときだけじゃなくて、隣の部屋から漏れてくる声だけでやばいから。
一番背が小さくて一番甘えん坊で総じて一番子供っぽいけれど同い年だから年下扱いされたくない、と璃々が思っているのは知っているしこちらもそうするようにしているが、でもやっぱりあのときは素が出るのかなあ。
なんてことを考えていたら、繋いだ手を強く握られた。痛い痛い。
「今日は璃々ちゃんと寝る?」
目が怖い。
「恋がいい」
正直に答える。
「よろしい」
「ま、そういうことならちゃっちゃと買い物して帰ろう。白夜も待ってる」
そうだ。早く家に帰らなければ。私たち7人の家に。
東京まで、私鉄からJRに乗り換えて約45分。
ベッドタウンと化している街の各駅停車しか止まらない駅に、その家はある。
陽、璃々、白馬、白夜、恋、深桜、そして私――五十鈴。
大学生5人、専門学生1人、社会人1人が共同生活する女性だけのシェアハウス、昴宿。
7つの星が瞬くプレアデス星団から取ったその名前のシェアハウスがただひとつ他と違うのは、私たち全員が、全員の恋人であるということだ。
この2階建ての一軒家。小さなわれらの城。
これは、私たちの充実した、そして爛れきった日々の物語だ。