彩色兼鼻
夏、俺は同年齢の彼女と祭りに来ていた。綺麗な花の模様が施された紺の浴衣は、彼女の美しさをより一層引き立たせていた。やはり、普段周りから「大和撫子」ともてはやされているだけある。
付き合い始めて数ヶ月。なかなか頻繁にデートなどしたがらない彼女だったが、この日なら、ということで頷いてくれた。久々のデートで、しかもそれが祭りだということに俺は心を躍らせていた。
「なあ、かき氷食べない?」
屋台を前に足を止めると彼女も隣で立ち止まった。
「おお、お嬢ちゃんベッピンさんだねえ、何味にするかい?」
「…じゃあ、イチゴ味をひとつ」
言いながら彼女は三百円を屋台のおじさんに手渡し、ピンク色のかき氷を受け取った。
「それくらい俺が出すのに」
少し格好悪いと思ったが、彼女が「いいよ、そんなの」と笑ったのでその言葉に甘えさせてもらった。それから俺はレモン味をひとつ買って、また二人でゆっくりと歩きだした。
少し先へ進んだところにベンチがあったので俺たちは腰掛けた。彼女は小さい口を動かしながら黙々とかき氷を食べている。俺はそんな彼女を横目にふと、恋人らしいことがしたいと思った。
「イチゴ味、俺にも一口ちょうだい」
彼女は一度、俺とかき氷を交互に見てからカップを差し出した。自分ですくって食べてということなのだろう。俺としては彼女がスプーンで口まで運んでくれるのを期待していた分少し残念に感じた。だが、
「俺のレモンも食べる?」
「…うん。一口だけ」
かき氷の食べ比べというのも十分恋人らしいことだと考えることにした。さっきまでレモン味だった俺の口内でイチゴの味が広がる。そのことに妙に満足感を覚えた俺を、彼女は不思議そうな面持ちで見ていた。彼女も自分のスプーンでレモンのカキ氷を食べたのは言うまでもない。
お互いがカキ氷を食べ終わってから、またしばらく一緒に屋台を見て回った。そして一通り堪能した後、俺たちは帰路についた。
数週間後、彼女から電話がかかってきた。
「はい、もしもし」
向こうからなんて珍しい、一体何かあったのだろうか。携帯電話を耳に当てる俺は訝しげな表情を浮かべていたに違いない。それと同じように、電話越しに伝わってくる彼女の雰囲気にもどこか緊迫したものを感じた。
…もしかして。
そう思った刹那、その悪い予感は現実へと変わった。
「…冷めたの」
俺はすぐにその言葉の意味を理解した。
数える程の会話を交わして、やがて電話は切れた。ぼやけた視界に映り込んだ画面には今までで一番短い通話時間。俺たち二人の関係は、あの祭りの日を最後に呆気なく終わった。
夏。俺は最近新しくできた彼女、歩美と一緒に祭りに行った。
告白は歩美の方からだった。彼女の良いところは、いつも元気で明るくて、笑顔が眩しくて、そして何より俺のことを一番に想ってくれているところだ。一年前の夏、あの子に告げられた別れの憂いはまだ消えないままだった。仕方ない、そう思ってあっさりと身を引いたものの、やはり奥深いところにナイフは確実に刺さっていた。そんな日々の中で歩美の気持ちを知った。歩美ならば…。淡い期待を胸に、俺は彼女の言葉に頷いたのだった。
「ねえねえ!焼きそば買ってきてもいい?」
浴衣を着ているのにも関わらず屋台を目の前にはしゃぐ歩美は可愛らしかった。そんな彼女を見ていると笑みがこぼれる。
「あっ、次はかき氷が食べたい!」
「歩美、本当に良く食うよな。お腹壊しても知らないぞ?」
「大丈夫だもん!晃君も食べようよ」
彼女に腕を引かれ、俺たちはかき氷を買うことになった。
「私、イチゴ味ください!」
「…じゃあ俺は、レモン味で」
屋台のお兄さんはお金を受け取ると機械を使って氷を削り始めた。固い機械音が鳴り響く中、俺はふと思い出した。最近耳に挟んだことだが、かき氷のシロップは全て着色料と香料が違うだけで実際はどれも同じ味らしい。
「はいよ、お待たせ」
お兄さんからかき氷を貰うと、彼女は満面の笑みでそれを口にした。
「んー、美味しい!晃君のも一口ちょうだい?」
そんなことを言いながら心の底から幸せそうに噛みしめる彼女がなんだか可笑しくて笑ってしまった。そして同時に、去年の今を、思い出す。そうか。きっとあの子も、こんなだったんだ、と。
「なあ、ちょっとそこのベンチで座って食べない?」
俺はあることを思いついて彼女に提案した。俺の希望通り近くのベンチで横に並んでかき氷をつつく。
俺は自分のレモンを口の中に放り込んだ。
「歩美のも、一口ちょうだい」
それから口内が空っぽになったあと、歩美のイチゴを口に含む。
やっぱりか…。
「ねえ、何してるの?」
歩美がきょとんとして俺の顔を覗き込んだ。
「どうして、目を瞑ってかき氷を食べてたの?」
不信がって、小首を傾げてじーっと見つめてくる。
「…なんとなく?」
そんな誤魔化しをすると、変なの、と彼女は微笑んだ。その間、俺の思考は時が止まったようにモノトーンに染まる。そして漠然と、一年近く抜け出せずにいる沼に脚が浸っているのを感じた。もしかしたら頭も良いあの子はこんなことすら知っていたんじゃないか、なんて。
そう。何も見えない暗闇の中で舌を滑ったそれは、甘い甘い「蜜」の味がしたのだった。
やっぱりこのままではいけない。
俺は思った。
家に帰ってもう一度じっくり考えて、数週間ほど経ったら歩美に電話を掛けよう、と。