6・ピースライト
「ねぇ、上野くん。リベリオンの新曲聴いた?すっごいカッコよかったよね!?」
前の席の彼女、南さんが俺に話しかけてくる。
「聴いたよ、すごいカッコよかった。あんな曲が作れるなんて綴の底が知れないよ。」
俺は思ったことを口にする。
南さんとはよく話すようになっていた。閉鎖社会で唯一俺の好きなモノを共有してくれた人。
リベリオン以外で初めて見つけたオアシスだった。
そんな彼女を好きになるのに時間はかからなかった。ほとんど初めて女の子と笑顔で好きなモノのことを話せる、たったこれだけで俺は彼女を好きになった。
周りの奴らは南さんのことを「顔はイマイチ」とか「胸はデカい」とかゲスなことを言っていた。
それに対しても俺は何も言い返せない。そんな言葉を聞く度に俺は言い返せない罪悪感でいっぱいになる。
そんな俺にも南さんは優しかった。というよりも誰にでも分け隔てなく優しい人だった。
好きな人がいる。それがこんなに楽しいことだと思っていなかった。
そんなある日、俺のグループと南さんのグループでカラオケに行くことになった。
正直に言って俺は行きたくない。
人前で歌うのは怖かったし、恥ずかしい。それにリベリオンの曲はカラオケに入っていない、クラスの奴らと一緒にいる時間が増える。そんなところに行きたいとは思えない。
それでも、南さんに「上野くんも行こうよ。」と誘われたから断ることはできなかった。
結局、俺のグループの5人と南さんの仲良い女の子4人でカラオケボックスに行くことになった。
周りからの俺へのイジりを「南さんが笑ってくれるならまだいいか」と思うことにしてどうにかを受け流す。
部屋に入り、一人ずつ歌っていく。
みんなが盛り上がっているため、俺も空気を読んで盛り上がっているフリをする。
……早く帰りたい。そう思っていた。
そして俺の歌う順になった。俺が入れたのはアイドルグループの歌。
テレビで流れていることが多かったためどうにか最後まで歌える曲。
俺も南さんにカッコいいところをみせたくて、俺は綴の歌い方を意識して歌った。
しかし、女子達は残念そうな顔をしていて、俺のグループの奴らは笑っていた。
採点結果は68点。めちゃくちゃ音程が外れていた。
「お前、下手すぎだわ〜超ウケる〜」
俺のグループの中で一番俺をイジって馬鹿にしてくる中井がそんなことを言ってきた。
俺は恥ずかしさで顔が真っ赤になっていただろう。カッコつけて歌っておいて、めちゃくちゃ下手だったんだから。
けれど「あはは…」と言って笑って、恥ずかしさも笑われた悔しさも怒りも笑顔で隠した。
次に歌う順番になっている南さんにマイクを渡す。
その時に「うん、でも楽しそうに歌っててよかったよ!」と言ってくれたため、俺は恥ずかしさとか悔しさとか怒りとか、全部が吹き飛んで別の意味で顔が真っ赤になっていたと思う。
マイクを受け取った南さんは、ストフルの曲を予約で入れていた。曲のイントロが流れ、南さんが歌い始める。
「〜〜〜♪」
めちゃくちゃ上手かった。曲が終わるまで全員が南さんの歌に聴き惚れていた。
「ふぅ…。えっと…どうだったかな…?」
歌い終えた南さんが少し不安そうな顔で感想を求める。
その場にいた全員が「すごい!めちゃくちゃ上手いね!」と言って、南さんは少し嬉しそうだった。
俺が「すごい上手かったよ!」と伝えると、南さんは少し照れながら「ありがとう」と言ってくれた。
そうしてカラオケ会は終わり、お開きになった。
俺は俺のグループと一緒に帰ることになった。
俺の下手くそな歌をからかわれるのが嫌だな、と思っていた。けれど普段のゲスな会話と違って、全員が南さんの歌が上手いって話をずっとしていたため、俺の歌が下手なことはそこまで触れられることは無くその日は終わった。
その次の日の朝、南さんから「一緒に放課後CDを買いに行こう」と言われた。
俺はいつもよりも一層挙動不審になりながらもオッケーと答える。
これはつまり、デートなのだろうか。
昨日のカラオケで唯一俺のことを擁護してくれ、俺の「上手かったよ」という言葉に照れた顔をしていた南さん。彼女から学校の帰りに寄り道していこうと誘われている。
よく周りの奴らが女子と一緒に学校から帰っているのを思い出した。
その後付き合って1ヶ月で別れたとか、クラスや部活の人と付き合うと後がめんどくさいとかよく聞く。
いや、そんなことはどうでもいい…
とにかく俺に「学校の帰りに女子とどこかへ行く」というイベントが起きようとしている。
授業中でも休み時間でも聴いていたリベリオンの曲がこの日は頭に入ってこなかった。
俺の顔はいつものように陰気だったけれど、俺の心は今にも喜びや希望の歌を歌いだしそうなほどだった。
そしてその日の帰り、南さんと駅前のCDショップに行った。
その道中で南さんとはクラスのことや音楽のこと、昨日のカラオケの話をして歩く。
それだけで楽しかった。
CDショップで南さんは好きだと言っていたストフルの新譜を買っていた。特に欲しいものが無かった俺は、その間リベリオンのCDを見て南さんの買い物を待つ。
「お待たせ。上野くん、時間あるならカフェに寄ってこうよ。」
買い物を終えた南さんがそう提案する。
「う、うん。いいよ。ヒマだし…」
と俺が答えると南さんは「話したいことがあるから聞いてほしい」と言った。
……俺は浮かれていた。
もしかして告白されるのでは?とかこの後家にこない?とか言われるんでは?なんて思っていた。
CDショップを出て、近くのカフェに入って二人でアイスコーヒーを頼んで席に着く。
「それで…話したいこと、って?」
俺は精一杯に平静を装って南さんに聞いた。すると南さんは少し俯いて話し始める。
「あのね……うちのクラスに私の好きな人がいるの。誰だか分かる?」
と言った。
…….これはもしかして本当に告白されるのでは?
俺は平静を装い続けながら、クラスの奴らの名前を順に言っていく。
明るくて空気を読める、クラスのみんなと仲良くて南さんもよく話す奴らを一人ずつ…違うらしい。
俺の周りの奴らが馬鹿にしてるオタクグループの奴らの名前を一人ずつ…これも違うらしい。
俺は最後に自分の名前を言うつもりで俺のグループの奴らの名前を挙げていく。
一人目…違う。
二人目…違う。
三人目…違う。
あとは俺ともう一人だけになった。
もう一人は中井。あいつみたいな嫌な奴が南さんの好きな人な訳がない。
俺はもう自分の名前を言ってしまおうかと思った。
けれど、一応中井の名前を挙げる。
「えっと…じゃあ、中井?」
「そうだよ…中井くん。私、中井くんのことが好きなの。」
「えっ…」
聞き間違いだと思った。
俺の好きな人が、俺が嫌いな奴のことを好き…だって?
明らかに動揺している俺に南さんは言う。
「私ね、中井くんのことずっと好きなの…上野くん、中井くんと仲良いからさ、相談に乗って欲しいなって思って…」
……そっか。よく考えれば簡単なことだった。
俺と仲良くなって南さんは中井と話すことも多くなったし、昨日のカラオケだってその一環だろう。
昨日の帰り道で中井だって南さんのことをすごい褒めていたし。
そんなことを考えながら、俺は思い出していた。
"人の目を見て喋れない、人と会話が続かない、声が小さい、汚い"
南さんと仲良くなることで好きなモノについて話すことはできるようになったと思っていたけれど…
俺は「下」の人間だったんだ。劣っている人間だったんだ。
こんな劣勢の人間のことを好きになる女の子がいる訳がなかったんだ。
………そこからの会話はよく覚えてない。俺は笑いながら「協力するよ!がんばって!」なんて言っていたと思う。
次の日から俺は中井に南さんの良いところ、優しいところ、俺ともちゃんと喋ってくれること、ストフルが好きなことを伝えた。
それから数日経って中井と南さんが仲良く手を繋ぎながら笑顔で学校から帰って行く姿を見た。
その後ろ姿を見て………俺は一体何をしているんだろう、と思った。
「好きな人の力になれた」とか「好きな人の最高の笑顔を見れてよかった」とか「これで良かったんだ」とか「好きな人の幸福が嬉しい」なんてカッコいいことは思えず、ただただ妬ましかった。羨ましかった。そんな風に思ってしまう自分が大嫌いだった。
「死にたい」と思った。
逃げるようにリベリオンの曲を聴く。俺の代わりに絶望を叫んでくれる俺の宝石箱。
……それを理解してくれた人は俺が嫌いなモノを好きだった。
イヤホンを耳に挿したまま、俺はコンビニで制服のままタバコを買った。
学校や親にバレてももうどうでもよかった。どうにでもなればいいと思った。
店員は特になにも言わずに俺にタバコを渡した。
学校から少し離れた河原でタバコを咥え、火を付ける。
もちろん綴が吸っているのと同じ、ピースライト。
……盛大にむせた。初めて吸ったタバコは苦くてマズかった。
俺は未成年がタバコを吸うことが悪いことだと自覚していた。
同じように悪いことをしていると自覚していた中学校の頃の嫌がらせや陰口と違って、「カッコいいことをしている」と思った。
それなのに。
………それなのに俺は泣いていた。
タバコの煙が目にしみたのもあるけれど、フラれたことや負の感情でぐちゃぐちゃになった俺の心の叫び、自己嫌悪、唯一俺の好きなモノを認めてくれた人が手の届かないところにいる感覚がひたすら悲しかった。
なによりも自分の努力も恋心も全部無かったことになって、カッコ悪くて虚しかったからだ。
それでも……
こうしてタバコを吸っているとなんだか自分が変われた気がして、大人になったような気がして、少しだけ綴に近づいたような気はした。
〜〜〜
その次の日、席替えがあって南さんとは離れた席になった。「上野くん、色々ありがとうね!」と南さんは言っていたけれど「あぁ…別にいいよ」と空返事を返しただけ。
南さんとはそれっきり。特に話すことはなくなった。
これが俺の初恋だった。
初恋の味はレモンの味なんて言うけれど、俺にとって初恋の味はピースライトの苦い味になった。
それから俺は元の「下」の住人に戻って波風立てずに高校生活を送った。
何も起こらず、ただ自分を嫌い、人に本心を伝えず、ただ劣っている自分を隠し続けて閉鎖社会を生き延びた。
親や教師に喫煙を隠し、学校の帰りに河原で黄昏ながらピースライトを吸う。
少しでも憧れのロックスターに近づけるように。大嫌いな自分が少しでも変わるように。