2・ロックスター
小学生の高学年の頃、自分は【上野アズマ】という人間だと気がついた。
きっかけがなにかあった訳じゃない。ただそれまで自分は上野アズマと呼ばれているだけの人間だった。
たぶんアイデンティティの目覚めとかそんな大それた話じゃない。
名前を呼ばれていた人間がその名前になった、みたいな話。
俺の場合を言えば、親が好きだったから一緒に見ていたテレビ番組よりも、特撮ヒーローの方が面白いと思ったみたいな感覚。
それに気がついたのが俺は小学生の高学年だった。それより前の事はなんとなくしか覚えてない。
なんにせよこの頃俺は上野アズマになったのだ。
それに伴って一人称が「僕」から「俺」になった。なんてことはない、ただその方がカッコいいと思っただけ。
その頃まではたぶん普通の子供だったと思う。
俺が中学生になった頃、自分は周りよりも劣っていることに気がついた。
小学生までは能力に大きな差なんてなかった。俺も周りも小学生並みだっただけ。多少差はあっても足が速いとか頭がいいとか絵が上手いとかその程度。
中学生になってから、今までの多少の差はステータスの差として顕著に現れるようになった。
足が速いやつは運動部に入って活躍してたり、頭がいいやつは学内や学外のテストでも上位だったり、絵が上手いやつは美術部に入ってコンテストで賞を取ってたり。
俺は何も得意じゃなかった。どれも平均かそれ以下だった。
全部が平均的かそれよりちょっと下ならまだいい。
俺はそれに加えて人と接するのが壊滅的に下手クソだった。
人の目を見て喋れない。人と会話が続かない。声が小さい、汚い。
中学校という閉鎖社会で、人とうまく接することができない人間は無条件で劣勢で下の人間という烙印を押された。
そこでは普通じゃない人間に居場所はない。もちろん劣っている人間は普通じゃない。
俺は劣っていることを隠すために必死に普通の明るいやつを演じた。
人とコミュニケーションを取るのがド下手だったからとにかくイジられることで居場所を作ろうとした。
その結果、どうにか俺はイジメのターゲットから除外された。周囲から浮くことなく学校に通うことが出来た。
その代わりに常に人の顔色を伺い、媚びへつらい、どんな罵倒を受けても笑顔で本心を隠すようになった。そんな自分が大嫌いで。
自分のグループの友達が嫌うやつは俺も嫌いになるようにして、陰口を言って、嫌がらせして。
”しょうがなかった。そうしなくちゃ自分がされるんだ。”
なんて思えるほど強かにも卑怯にもなれなくて。自分がしたことの罪悪感を抱えて。そんな自分を許せなくて。
そうやって閉鎖世界を生きた。必死に生きてたけどずっと死にたいと思っていた。
〜〜〜
鬱屈とした日々を送る中で俺は中学二年生になった。その頃俺はロックに出会う。
周りの友達はみんなチョイ悪な風貌をしたアイドルグループに夢中になる中で、俺はどうしてもそんなアイドルが好きになれなかった。
彼らが歌っているのは喜びや希望の歌だった。
それを悪いものとは思わない。
けれど俺が必死で隠している”劣っている自分”とそれを隠す努力を否定されているようであまり彼らの歌を聞きたいと思わなかった。
そして迎える運命の日、俺は深夜に目が覚めた。
水でも飲んでまた寝よう、そう思って台所に向かおうとした。
しかし、俺は台所に行く途中のリビングの明かりが付いている事に気がついて足を止める。
どうやらお母さんがテレビをつけっぱなしにしてリビングで寝ていたようだ。
俺はお母さんを起こさないにそっと台所に向かおうとした。
しかし、俺が台所に向かうことはなかった。
テレビから流れるロックバンドの曲に、ライブパフォーマンスに俺の目は耳は足は釘づけにされたからだ。
「なんだ・・・これ」
思わず口に出していた。
真黒な服装で統一された4人編成のバンド。中でも俺の視界を奪ったのは白い髪をしたボーカルの男。
そいつは重苦しい楽器隊の演奏をバックに混沌を歌い、全身を使って痛みを叫んでいた。
「カッコいい……カッコいい!!!」
お母さんが寝てるのも忘れて叫んでいた。
俺はその日初めてロックに出会った。
それはまるで、閉鎖世界という名の過酷な砂漠を一人で彷徨う中で、オアシスを見つけた感覚だった。
誰も知らない自分だけの秘密の宝箱のような。
俺が隠し続ける劣っている自分、許せない自分、大嫌いな自分、そんな負の感情を叫んでいるのがとにかくカッコよくて。
暗く陰鬱で激しい演奏なのに、俺の目にはその存在が眩い輝きを放つ宝石に見えた。
そのバンドは【リべリオン】という名前のインディーズのバンドだった。
その日から俺は彼らに夢中になった。
相変わらず学校ではピエロのように笑い、本心を隠す。
その陰で、誰にも理解されないだろう暗くて激しい曲を聴き一人で興奮する。
これが思春期とかアイデンティティの目覚めというやつなのだろう。だとしたら僕は相当頭がおかしい痛々しいやつだっただろう。
それでもよかった。ロックと出会うことで、本当の意味で「僕」は「俺」になったんだ。
俺はリベリオンのボーカルのように心の痛みや苦しみや絶望を狂ったように叫ぶ、カッコいいロックスターに憧れるようになった。