エイプリルフール・フール
エイプリルフールなんて嫌いだ。
昔から真面目だと言われ、冗談が通じないと笑われ、応用が利かないと呆れられた。
そんな私の鬼門の日。
「志筑なんかと付き合うわけねえよ」
照れ隠しで口にしただろうその言葉は、思いのほか私の中心を抉った。
卒業祝いで高校の友人達と訪れたテーマパーク。
普段ならご遠慮したいような派手め女子グループと一緒になっても、それでも参加したのは、観柳が居たから。
隣の席の観柳とは、わりといい関係だと思っていた。お互いに一番に気を使っていたし、クラスの行事には必ず誘ってくれる。
だから、ほんの少し勇気を出して、初めて誘いに頷いてみたのが運のつき。
周りの友人達に付き合ってるのかと囃したてられて、観柳はすぐさま否定した。
「じゃあ私が立候補~」
そんな可愛らしい声を、観柳の腕を掴みながらあげるクラスメイトと目があって、私は咄嗟に逸らしてしまった。
それが、学生時代観柳と会った最後の日。
「申し訳ありません。生地の成形に手間取ってしまって」
「大丈夫ですよー。日程に余裕はみてますし、リピート品ですから。ただ、今度からはもう少しお時間取って頂けると助かりますので、よろしくお願いします」
「それはもちろん!」
応接のテーブルを挟んで、深々と頭を下げる観柳に笑いかける。
顔を上げた観柳もほっとした様子で、つられた様に笑った。
笑顔の無防備さは変わらないなぁなんて、感傷的な気分になる。
社会人になって再会した観柳は、取引先の管理部の担当だった。
ここの部署は人の出入りが激しいらしく、約一年で管理部門の取り纏め役が入れ替わる。
本来なら観柳も四月一日付けで、本社勤務へ復帰の予定だった。
けれど、うちで加工を行うために観柳の会社から預かるはずの成形品の出来上りがずれ込み、彼の仕事も金曜日の今日――エイプリルフール――までずれ込んでしまった。
「あの……志筑さん」
「何でしょうか、観柳さん」
恐る恐る切り出そうとする観柳に、素知らぬ顔で水を向ける。
「俺、三年の時のクラスメイトの観柳なんだけどさ、覚えてない?」
「覚えてるよ。盛大に皆の前で私を振ってくれた観柳でしょ」
忘れる訳ないでしょう。
エイプリルフールと観柳は、セットで私を苛むナイフだ。
でもまあ、それも十年も前の話。
この担当になって約一年の付き合いだけれど、顔を合わせるのは十年ぶり。
一年間はずっと電話口でのやり取りだった。観柳の会社はうちの会社の隣県なので、いつも製品を宅配で送ってもらって、加工をして送り返すだけ。
電話のやり取りで、お互いの珍しい名字について、観柳が聞きたそうにしていたことは何度もあった。
けれど、はぐらかし続けた。
このまま顔を合わせないなら、そのまんま知られないままでも良かったんだけどね。
「うわあああああ! 違うんだよ、あれは、ぜんっぜん誤解だから! てか、志筑あの後何で連絡取れなくなったんだよ! 俺、電話したのに解約されてて! 家はもぬけのからだったし……」
家まで来たのか。意外にガッツはあったのね。私は隣県から通ってたから、家の場所不案内だったでしょうに。
「引っ越しは決まっていたの。祖母の介護があったから、家族みんなで父の実家に入ったのよ」
介護は、精神的にも肉体的にも負担が大きい。
家族みんなで回して、ぎりぎり何とかなったという状態だった。
「そうだったのか。すまん。お祖母さんの具合はどうなんだ」
「三年前に亡くなったの。最後は施設だったけど、皆で看取ることも出来たし」
「そっか……」
「うん」
「て、あれ? それなら携帯替える必要なくない?」
「ああ、まあそれはちょっとショック大きかったから。友達には新しい番号教えたし」
「俺は!?」
「教える訳ないじゃない」
「いやいや、だから誤解だったんだよ!」
からかうのは、ここまでにしておきましょうか。
せっかくの再会と、別れなのだ。
もっと、心地よく別れたい。
「ちゃんと分かってる。本心からじゃないって。観柳は私に親切だったし、いつも気に掛けてくれてたもんね。最後にちゃんとお別れできなくて、寂しかったよ」
大人になって思い返せば、彼の気持ちだって少しは斟酌できる。
周りに囃したてられて、開き直れる程観柳は大人じゃなかった。
「あの日は四月一日だったからさ。二人きりになれたら、すぐにエイプリルフールの嘘だって言うつもりだったんだ」
それを待つだけの余裕がある程、私は大人じゃなかった。
若かったから、すれ違いに人一倍大げさに傷ついて、確認なんてしなかった。
今は違うよ。
もうちゃんと大人だもの。
でも、エイプリルフールは未だに嫌い。
そんな気持ちを克服したいから、私だって嘘をついてもいいわよね。
だって今日は、四月一日。
「私ね、観柳のことが好きだったの。立候補って言って、観柳の腕を掴むあの子と場所を変わりたいって思ってた。勇気が足りなくて、言えなかったけどね」
「俺もだ。俺も志筑が好きだった。隣の席になってから、ずっと好きだった」
真剣に見つめてくる姿に、あの頃には無かった色気を感じて、ほんの少しくらっとする。
「ふふ、十年経ってから両想いだったって分かるなんて、恥ずかしいね」
「恥ずかしくない。嬉しい、だろ」
観柳の手が、膝の上で組んでいた私の手まで伸びて来た。
にっこりと微笑んで立ち上る。
さっきまでのやり取りなんて無かったみたいに、営業スマイルを張り付けて、応接室の扉に向かう。
振り返って、いっそ清々しく、初めてエイプリルフールの嘘を吐く。
「でも今は、好きじゃないけどね!」
「え?」
「はい、お帰りはこちらでーす。急がないとライン止まっちゃうんでしょ。こんな所で油を売ってて大丈夫?」
「はっ!? 好きじゃないって……て、やば、時間っ!!」
いつもは配送する品物を、観柳自ら取りに訪れるくらい、逼迫してるのだ。
急いで持ち込まないと、ラインが止まる騒ぎになる。
ラインを一時間でも止めたなら、親会社からサラリーマンには払えない様な金額の請求が来るのは確実だ。
「すぐに連絡するからな!」
「いらないよー。本社で頑張ってね」
他人の会社の廊下を駆け足しながら、観柳は振り返って叫んだ。
私は手を振りながら、苦笑いを送る。
プライベートの番号なんて教えなかったし、実は私も四月から異動になる。
この案件のせいでずれ込んで、来週月曜から別支社勤務になるのだ。
異動の挨拶? もちろん観柳以外には済ませてる。
彼の所にも、終業時間ぎりぎりにメールしてやる予定だ。
私は子供だったけれど、十年前のエイプリルフールには大いに傷ついたのだ。
このくらいの意趣返し、許されると思わない?
『好きじゃない』なんて、嘘。
電話だけのやり取りでも、変わらず気遣いが出来て、頼もしく成長した観柳を、また好きになった。
変わらない自分のヘタレ加減に溜息は出るけれど、一個ずつ苦手を克服している最中なのだ。
まずは、『嘘』をつくことに成功だ。
今回の対応の緊急連絡先としてゲットした、観柳の番号に連絡するかは、まだ決めてない。
それでも、鬼門の日を少しだけ好きになれそうな気がした。
・・・・・・・・・・
「いや、そんな言い寄るとかじゃなく。本当に、同級生だったんですよ。え? 何故連絡先を知らないのかって。それには深い訳がありまして……」
受話器を置いて、デスクに頭を打ち付けた。
最近飲みに行くようになった隣の席の同僚が、怪訝な目で見てくる。
「ふ…ふふふ……ついに手に入れた」
低い声で独り言を呟くと、前の女子社員がびくっとした。
いかん、いかん。
本社に戻って一ヶ月。さっさとこの件を解決しないと孤立しそうだ。
高校時代に片思いしていた志筑に、エイプリルフールに盛大に振られて、またまた連絡手段を断たれて早一ヶ月が経とうとしている。
ここまでの道程は長かった。
まず、志筑と付き合いのあるであろう同級生に片っ端から連絡を取るも、当然連絡先を教えてはもらえなかった。当時もどうやら俺だけハブられていたらしいので、この線は諦めていたが。
俺が公衆の面前で盛大に振った事になっていたので、ここは仕方ない。
本人からは誤解されてないらしいので、良しとしよう。
次に取引会社の後任に連絡を取ったが、ここのガードが固かった。
漸く異動先の番号を聞き出したのが、ついさっき。
「じゃあちょっと出張してきます。帰りは遅くなるんで、直帰しますね!」
「は? え? どこに!」
「○○県」
「特急で二時間だぞ!?」
「ええ、ですから直帰で」
「一体なんの用件でいきなり出張なんだ。そんなの許せる訳……」
「いやだな、業務改善に工場へ足を運ぶように言われていたじゃないですか」
上司に出張の承認印を貰いながら、笑顔を振りまく。
俺もただひたすら聞き出そうとしていたわけじゃない。あそこの会社の事業所で、転勤させる距離と範囲をピックアップして、数か所に絞り込み、口実用の仕事を用意しておいた。
いや、実際仕事はあるんだ。順番は任意なので、いじれるから、そこに調整を掛けただけで。
…………自分でも若干気持ち悪い自覚はある。
でも今逃したら、絶対また逃げるだろ!?
二度あることは三度ある。
もう、あんなガキ時代の轍は踏まん。本社から管理業務でさすらい派遣させられるリーマンの本気舐めんな!
志筑が観柳に捕まる就業間際の訪問まで、あと数時間。
おしまい。