年賀状を出さない私はダメ人間なのか?
年賀状 遅れてゴメンと メール打ち(笑)
冒頭からいきなりだが、毎年頭が痛い年賀状の話である。
正直言って、結構、悩んでいる。
元旦にポストを見るのが怖いくらいに憂鬱なのである。
何故なら、私は全く誰にも書かない、しかも返事も出さないダメ人間なのだから。
こんな私だが、エッセイで吐き出すことにより、少しでも良心の呵責から逃れることになるのでは、と思い立ち、筆を取った。
恐らく同じ問題で悩んでいる方は全国的にたくさんいることだろう。
ここはひとつ、アンチ年賀状派の私が、反論が来ることにビビりながらも年賀状の非生産性について問題提起してみようではないか。
ぶっちゃけ、年賀状って出す必要あんのか?と。
年賀状が不必要である理由
その① 社会人にとって発送までの時間的猶予がなさ過ぎる点
日本の年末は今や外国からやってきたイベントが目白押しである。
街では10月末のハロウィンが終った途端にクリスマス商戦が始まり、テーマパークも一ヶ月以上前からクリスマスイベントが行われている。
学校はと言えば、11月に行われる学芸会と12月に行われるマラソン大会の練習の為に授業はグダグダ、クリスマス会にお楽しみ会を経て、概ね20日くらいから冬休みに突入である。
10月後半から様々なイベントに振り回されて、冬休みになったら子供の宿題と弁当作りに追われ、最終的に29日まで普通に働いていた私に、一体、いつ年賀状を書く暇があったというのか?
しかも、30日くらいまでに投函しないと元日に届かないらしい。
29日まで仕事がある人間にとっては短すぎる納期限だ。
これらのイベントの合間を縫って、宛先住所の確認と年賀状用の写真をピックアップし、ハガキとプリンターのインクを慌てて買いに走り、29日の仕事納めと同時に投函できなければ理想的な発送業務を遂行する事はできない。
仕事と家庭を持つ主婦として断言しよう。
こんなん、給料貰わずにやってられっか(笑)
5千円くらいで業務委託できるなら、誰かにやってもらってもいいくらいだ。
いや、2万円くらいなら、私が請け負って商売にしてもいい。
とにかく、年賀状は激短納期限、且つ無報酬であるにも拘らず、出したところで誰得な仕事なのか?と私は問いたい。
その② 差出人の近況が不明瞭過ぎる点
この年になると、年賀状をくれる友人達も概ね結婚し、子供が中学生、高校生である事もザラである。
子供達に囲まれた幸せな年であったんだろうな、と思わせる写真付きの年賀状を出してくれる人が殆どなのだが、その写真に当の差出人が写っていないのは如何なものか?
確かに40も超えれば、ビジュアル的に自信もなくなる。
よほど奇跡の一枚が撮れた時でないとプリントアウトする勇気は出ないものである。
こんなオバハンがディズニーランドで「イェーイ!」とかやってるイタい年賀状など、失笑を買うくらいで、もらう側だって、その後の始末に困るってものだ。
だが、それでも、私は差出人本人の写真を見たい。
正直言えば、子供の写真を送ってもらっても、もはや誰の子供なのか全く分からないのである。
小学生くらいの子供が二人だけ写った写真に「こんなに大きくなりました」と書いてくれる人。
せめて本人も一緒に写ってくれよ(泣)
誰の子供か分からないと素直に成長を喜べないじゃんよ。
あと、ペットの写真載せて来る人。
個人的に私は猫好きなので、苦手な小型犬が洋服着て写ってた場合、ちょっとイラッとする(笑)
まあ、私の好みはともかく、この場合も差出人の確定は更に困難を極めることに変わりない。
何故、年賀状に本人が写っていないのか?と言えば、ビジュアル的に掲載不可能であるから、わざわざ子供の写真を送ってくるのである。
だったら、社交辞令に年賀状送るより、年末に一言「元気?」と電話をするだけでいいんじゃないか?
太っててもいい、ハゲててもいい。
せっかくの年に一度のご挨拶なのだから、本人の近況を知りたいと思うのは私だけだろうか。
その③ 年賀状だけは来るけど、最後に会ってから20年経っている件
笑えるけど、こういう人、結構いる。
そういう人の年賀状には決まって「今年は会いたいね」と書いてあるのだ。
だから、私も「じゃあ、今年こそ会う計画立てよう!電話番号は090-XXX連絡してね!」などと返事を書くのだが、実際に電話をしてきた人は未だかつていない。
本気で「今年こそは会おう!」と意気込んで年賀状送ってくる人はほぼほぼ皆無に等しいのだ。
だったら、なんでその気もないこと書くんだよ!?
こっちは「うわあ、久し振りだ。どこのお店予約しよう?」とか、めちゃくちゃ期待しちゃうじゃんよ!
と、騙された感が残って憤慨した事もあったが、今ではこれが年賀状の決まり文句というか、社交辞令というか、誰も本気で予定を立てる為に年賀状を書いている訳ではない事ことくらい分かっている。
私も大人になったものだ(笑)
「東京に来た時には連絡下さい」と書いてくれる東京在住の友人がいるのだが、これならまあ、現実的な話と言える。
実際に私が東京に行く事など非常に低い可能性ではあるが、ないこともないだろう。
一度はスカイツリー見たいしね。
だが、「大分に来た時には連絡してね」と書かれた年賀状をもらった時には、「果たしてこの人は私がどんな要件で大分に行く事があると思っているのだろう……?」と、あまりに現実味のない社交辞令にちょっと脱力した。
いや、いつかは行くかもしれないよ?
問題は、差出人本人も恐らくは「こいつ、愛知県からわざわざ来ねーだろうーなあ」と思っているだろうに、社交辞令として書いた年賀状を送ってしまう事なのである。
本当に私と「今年こそ会いたい!」と思ってくれるのなら、何故に、「愛知県に行く時は連絡するよ」と書かないのだ?
まあ、来ないことは分かっている。
これが京都とか観光地だったら、本当に来てくれるかもしれないけど、私に会うだけの為に、わざわざ見所の少ない愛知県まで来る人はいない。
名古屋城ときしめんの付加価値があったとしても、モチベーション低過ぎるわ(笑)
会う気もないのに、毎年、「今年は会おう!」と書かねばならない年賀状。
こんなの毎年くれるより、本当に会う時に電話一本くれれば、私的にはそれでいい。
前日にメールくれたら、名古屋くらいまで車で迎えに行ってあげましょう。
その④ 返事を出すタイミングが難しすぎる件
私が出さなくても、毎年送ってくれる友人は多い。
そういう人は恐らく、プリントアウトする時に私の住所がパソコンに登録してあるまま削除しないもんだから、毎年送ってくれるんだと思うけど、どんな理由であれ、くれた手紙に対しては返事をした方が良いと、私も思っていた。
だが、その際、なんて書いたらいいのか分からず、私は毎年頭を痛めてしまうのだ。
「返事遅れてごめんね、明けましておめでとう!」なんて書こうものなら、この人が最初に年賀状を出したスタメンから外されていたって言ってるようなものだ。
しかも、これを出した時点で既に元旦で、受取る時には既に五日くらいになっている筈だ。
こんなに間の悪い返事を書くくらいなら、もらった直後にメールした方がいいくらいだと私は思う。
では、いかにも「最初から用意してました」をアピールすべく、その時既に三が日を過ぎていても、「明けましておめでとう!元旦」と書くべきか?
そんな白々しい嘘をシラッと書ける程、私は世渡り上手ではない。
これを考えだすと、もう、年賀状貰うのが憂鬱で仕方なくて、お正月にポスト見るのが本当に苦痛なのである。
年の初めに毎年こんな事でグダグダと頭を悩ますより、今年のビジョンをポジティブに語り合う方がよほど有意義な正月になるのではないか?
上記の理由により、私はこの年賀状という時代錯誤な習慣を、是非とも廃止して欲しいと切に願うのである。
と、まあ、年賀状書かないダメ人間なりの持論を展開してみたのだが、最近では「年賀状でのお付き合いを今後はご遠慮させて頂きます」とお断りのハガキを出す人もいるらしいですね。
それはそれで、相手を三行半突きつけられたような気にさせてしまうんじゃないかと、気の小さい私にはできそうにない。
ちなみに今年も、20年くらい会ってない友人からまた年賀状が来ていた。
そして、やはり今年も「今年こそ会おうね」と書いてある……。
「だったら電話くれよ」と思いながらも、20年会ってないのに覚えててくれる友人がいるのは幸せなのかも……。
ダメ人間な私はやはり返事も書きませんが、せっかくだから今年は連絡してみようかなあ、なんて思った2016年の正月だった。