#8 偶然
▼偶然
「お目覚めですか?叶」
手術も無事終わり、叶は痛みの余り一時間ほど点滴を受けている間グッタリとベッドで睡眠をとっていた。
「ホンマ悪いな〜これで当分の間、朔夜に顔が上がらん訳や……」
借りなんていくらでも作っているはずなのに、そんな事を忘れているかのように叶はボンヤリと呟く。
「別に構いませんよ。そんな事より、安静にしていて下さいね。治ったらビシバシ働いてもらう事になるんですから」
冷静に微笑む朔夜。
「なあ、それにしてもなんでオレ狙ったんやろか?全く見当がつかんわ」
「それに関しては、警寮が動いてくれていますから、叶はこれ以上考える事は有りませんよ。どうやら、殺人未遂事件として捜査を始めているそうですから」
「う〜ん。でもなあ〜」
「でも何です?」
「本気で殺そうと考えていたんやったら、来る直前に突き落とせば済むことやろ?あんな時間に猶予を与える必要なんて無かったんちゃうか?」
確かに叶の云う事は的を射ている。
何かの警告めいた事なのであろうか?そう考えると、朔夜は静かに考え込んだ。
「ま、事はこのくらいで済んだんやからまだみっけもんやったって考えるようにするわ〜朔夜が考え込む事ないやん?」
そうは云われても、ここ最近の下北沢での事件。そして、それが叶にまで及ぶとなるとこれは一連に何かが起こっていると考えても不思議ではなくなっていた。
「基木的に、事件と云うものは月齢や、季節によって偏りが有るものなのですよ……それを考えに入れると不適切な気がします。この事件に関しては、僕も探りを入れてみる事にしておきます」
そう云うと、面会時間が過ぎるのを確認する。
「じゃあ、また明日来ますから、絶対安静ですよ!」
レム睡眠欠如の叶を案じながらも朔夜は釘を打って部屋を後にした。
「ほなな〜」
軽く朔夜に手を振って、朔夜は再び眠りに就いていくのであった。
朔夜は、今日持って帰らないといけない物たちを袋に詰めて病室を出て階段をおりる。そんな時の出来事であった。
「もしかして、朔夜さんではありませんか?」
後方から声が掛かかった。
「あ、神楽さん……」
意外な所で出逢ったことに、朔夜は胸を掴まれるような想いであった。
「どうしたんです?もしかしてこの病院にどなたかお知り合いでも入院されているのですか?」
神楽と初めて私服で対面した。
何を着てもそつなく着こなしている神楽。フォーマル姿の彼女も意外に似合っているなと想った。和服姿の彼女も何も違和感を感じさせずにいたが、この姿も魅力的である。
「ええ、事故にあった同居人を見舞いにきたんですよ。神楽さんは?」
「わたくしは、母のお見舞いをしに」
少し寂し気に微笑む。
「それでしたら、明日にでもお見舞いに伺いますよ。まだお母さまにお会いしていませんし」
考えてみれば、先日の二人での話の中に神楽の母が入院していると云う事は聞いていた。まさか偶然にもこの病院だとは想ってもいなかったが。
「本当ですか?それでしたら、明日にでもいらして下さいませ。わたくしも、朔夜さんの同居人さんのお見舞いをしたいと想っておりますし」
神楽は控えめに微笑む。
叶に神楽を逢わせるのはどうだろうとは想ったが、気持ちだけでも有り難く感じている。
「今日はこれでお帰りになられるんでしょ?わたくしも御一緒しても宜しいでしょうか?」
「もちろんです。では行きましょうか?」
こうして二人はゆっくりと階段を下りて行ったのである。
「実は明日は、その同居人の……塚原叶というんですが……誕生日なのです。不運にもこんな事になりちよっとバタバタしているのですが」
簡単な成り行きを話し、朔夜は近くの駅まで話を続けた。
「それは大変に御不運でしたね……そう云えば確か、お仕事で手伝ってもらっていると云ってらした方ですわね?」
落ち着いた物腰で問いかける神楽。
「ええ、そうです。もう、中学校の頃からの縁でずっと何かにつけ一緒に行動する仲なんです」
「陰陽師の相方なんて凄く頼もしいですね?」
「良く付き合ってくれていると感謝しているんですよ。叶には」
ちょっと、色をつけておいたが、確かに叶には感謝はしている。
そんな話をしながら、穏やかな時間を過ごす。時が経つのが早いのか、最寄りの駅まで近く感じられた。
「では、わたくしはこちらの路線を行きますので、この辺で失礼致しますわ」
神楽は、朔夜とは反対方面の電車に乗り込まなくではならなくて、切符売り場でお別れの挨拶をする。
「ではまた明日。あ、日曜日の件は少し待っていただけるでしょうか?まだ、美術館の調べが済んで無いものですから……」
折角、約束をしたのに、こう忙しいと肝心な事を見落としてしまう。
「結構ですよ。朔夜さんもお忙しいようですし、その事は重々理解しておりますから。時間に余裕ができるようでしたら連絡下さりませ」
朔夜の気持ちを察してか、神楽は微笑んでそう言葉を返す。
「それでは失礼致しますわ」
一度軽くお辞儀をして神楽はゆっくりとした足取りでプラットホームへの階段をのぼりはじめる。
朔夜はその姿を見送ると、暫くしてから反対の方向へと歩き始めた。偶然が呼び起こしたこの状況に感謝しながら。