#4 未遂
▼未遂
久々の休息。そう想って、かえでは忙しい毎日の仕事への労働を省みて『フッ』とソファーに寄り掛かっていた。雑誌の編集の仕事は朝も無く夜も無く自らを奮い立たせないとやっていけないと自覚はしているものの、こうやってかえってのんびり過ごしてみると、見えない何かが手招きしてくるかの様で落ち着かない。
「やっぱり仕事している方が落ち着くわね〜」
『ヨッ』と腰をあげると想いっきり背伸びをしてみる。すると、今日やるべき事は全て済ませてしまったんだという事に気が付き、再びソファーに腰を下ろす事になる。
「夕飯も食べ終わったし……つまんないから悪戯電話でもしようかな〜」
と、想い立ったのは早かった。ま、悪戯と云っても、今頃独り落ち込んでいるであろう叶に電話すると云うだけの事ではあったが。
昨日の夜に『遊びに来んか?』と誘われていたのを結局断った訳だが、実際こう一人でいると何かしら物さびしいのであった。この辺りがかえでの悪い癖だとは気付いているものの、改善しようとは想わないのである。
テーブルの脇に置いている携帯電話を取り上げると、予め登録されている番号を呼び出そうと指を動かしていたその時、自らの頭上から水が携帯の液晶に『ピチャン』と落ちてきた事に気が付き、何だろうと手を動かす事をやめた。
どうやら天井から水滴が滴り落ちて来ているようだ。
「やだあ〜何これ〜?」
時間が経てば経つ程その量が増してくる。
かえでのアパートは五階建ての三階角部屋で、鉄筋造りでは有るが、築十年でそう新しい所では無い。もしかしたら、上の住人が水を出しっ放しにしたのかも知れないなと、上の階に早めに文句を云いに行く事にした。
こういうケースは実は極稀に有る事だったりする。洗濯機の排水溝が壊れてしまってたり、トイレの排水溝が壊れてたり……でも、このアパートに入ってからはこんな事は無かった。だから、これ以上の被害を防ぐ為にはこうする事が最善の方法だったりするのである。下手に管理人を呼ぶのは避けたいものだ。そう感じたからこそ、真上の階に繋がる階段をのぼって行ったのである。
「すみませーん」
インターフォンを鳴らしながらかえでは想った。ここの住人って、最近入ったばかりで、確か年頃は自分と同じくらいの女性よね〜やっぱ洗濯機の排水溝かな?なんて、ぶきっちょな人なのかしら?一瞬笑いたくなったが次第に時聞が経つにつれその余裕をかます事が出来なくなってきた。
誰かいるはずなのに、実際誰も出てこないのである。外に設置されている、電機メーターも回っているのに人がいる気配が無い。魚眼レンズの先を覗いてみたら明かりはしっかり届いていた。
「そんなはずは無いわよね……」
だんだんと嫌な予感がしてきた。こういう時の女の勘と言というのは、えてして正しくて、必ずと云って何かが有ると踏んで問違いが無い。
「ダン!ダン!ダン!」
大きな音を響かせて細い拳で戸を叩く。がしかし誰も出てはこない。こうなったら最終手段だとばかりに管理人を連れてくる事にした。こういう時、同じアパートに管理人が住んでいてくれているのは有り難いと想う。以前のアパートにはいなかったから……
「管理人さん!すみません!!四〇一の方の部屋が変なんです!合錠持って来ていただけませんか!」
突然訪れた客は息せき切っていて、見た目にも只ならない様子な事に気が付かない訳は無い。
「あら?三〇一号室の佐簾さんじゃない。どうしたんです?こんな時聞に!」
と云ってもまだ八時前。まだ日が沈んだくらいの時聞帯である。
「訳は後で話しますから、直ちに合鍵お願いします!」
かえでは、管理人の重たい腰を叩くかのように息巻いていた。
「何号室ですって?」
「四〇一です!早く!急いで!!」
有無を云わせぬ押しの強いかえでの声色に、管理人も根負けして、云われた通り鍵を手に四〇一へと階段をのぼって行ったのである。
「誰もいないはずないんです!私の部屋に、上から水が落ちて来て……もしかして、倒れているかも知れない!!」
鍵を閑けようという瞬間、かえでは簡単に事情を説明した。鍵は合鍵によって簡単に開けられる。それをかいくぐるかのようにかえでは一目散に部屋へと入り込んで行った。
部屋の奥から水が流れ出している音が鳴り響く。電気も付けっばなし。かえでの部屋と全く同じ作りの問取りに気付き、洗濯機を置く場所へと向ってみた。が、違っていた。これは……と、気が付いた時、赤い水が自らの瞳をとらえた。そしてその先を目で追った。
「キャーーーーーーーーーー!!!」
かえでが見たものは、真っ黒な髪を湯舟に浸し、風呂場で手首から血を流して気を失っている女性だったのである。その声を聞き付けた管理人は、かえでの後ろで泡を吹く様にして腰をぬかしでいた。かえでは慌てふためいてはいたが、心の中の突き動かす想いが、行動として表れ、水が溢れ出ている蛇ロを捻り、
「管理人さん救急章を呼んで下さい!早く!!」
と、対処に励んでいた。
まず止血しなくてはと、そのびしょぬれで重たい女性をいったんリビングへと運び出す。そして、流れ出る血を止めようと、自らのハンカチを取り出すと、手首の上できつく巻き付けた。
その女性の貧血した顔色は見るからにも死んでいるかのようで、忍びなく……かえでは目を背ける。
管理人も、流石に驚いてばかりはいられないと、『バタバタ』部屋を駆けずり回り始めた。一刻を争うこんな事態に、ふと、かえではテーブルの上に残された一枚の紙切れが目に付いた。
「何かしら、これは……」
かえでがその紙に気が付きそれを眺めるとそこには、
天使は全てを知っている
その一言が残されていた。




