勇者を象る物語
崩れ落ちた魔王城の瓦礫は私達を物語っているようだった。
今までの旅の記憶がバラバラに崩れ、悲願を達成したはずの、人類の望みと呼べるはずの光景から感じてしまった私は間違いなく僧侶失格だろう。
けれど、勇者の仲間としてはそう思う他ない。
「これから……どうするんですか?」
彼と彼女の闘いが、否、彼女と魔王の闘いが進むにつれて流れた涙は未だ止まる気配を見せない。
無力な私は泣くことしかできず、そんな自分が堪らなく嫌になる。
人生を費やして覚えた呪文の数々も、神の祈りでさえも――寧ろその祈りこそが――私を苦しめる棘の鎖となって心を蝕んでいた。
「そうだな」彼は少しの間を置いて「君に、頼みたいことがあるんだ」と、一緒に旅をしていた時のように、私のことを名前で呼んではくれなかった。
「あいつが魔王を倒したと、王様に伝えてほしい」
言いながら彼はもう動かなくなった黄金の鎧に視線をやった。
彼が言っている言葉の意味はすぐにわかった。
「でも、それじゃ」
言いかけて、私は視線を落とす。
それじゃ貴方があんまりです、と繋げようものなら、それはつまり、彼女の結末を報告するということになる。
そんなことは彼女のことが大好きだった私としても嫌だし、産まれた時から一緒に育ってきた兄妹同然の彼としては全力で阻止したいことだろう。
だから「わかりました」と言う他なかった。
「ごめんな」
と、彼は"生前"と同じように小さく微笑んだ。
彼に聞きたいことは山ほどある。
どうして生き返れたんですか? と。
復活の呪文なんて無意味と嘲笑されるほどに粉々に、数週間前、彼女にされてしまったというのに。
その力はどうやって? と。
神の祝福……いや、祝福なんて使うべきじゃない。神の呪いを受けた勇者の力を凌駕する、闇に包まれた力をどこで手にしたのだろう。
けれど、何一つも聞くことはできない。
そんな時ではないし、そんなことはもうどうでもいい。
私達はもうお互いを旅の仲間だと呼ぶことができなくなってしまったのだ。
彼女は彼を殺し、彼は彼女を殺し、私はただ眺めることしかできなかったのだから。
魔王を倒して、みんなで王国に帰って、一時の賛美の中で笑い合う。
そんな当たり前の希望は叶わなかった。叶うはずもなかった。
だって神に選ばれたと思われた彼女が受けたのは。
使えば使うほどに記憶を壊していく呪いの力。
神が与えた絶対の呪いは強大で。
神の力を借りて彼女の呪いを解こうとしていたなんて、世界のどこかで神は笑っていたのだろうか。
私は王国に戻って報告を済ませ、暫くしたら僧侶をやめるだろう。
信仰心を失った私に僧侶を続けることなんてできっこない。
「お元気で」
「一つ、言いたいことがあるんだ」
「……はい」
「あいつを導いてくれて、ありがとう」
流れていた涙が土砂崩れを起こしたように溢れでて、ひとしきり泣いたその場には、もう彼の姿はなかった。
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「おばあちゃん! みて! かしてもらったんだ!」
そう言う孫の手には全世界で大人気の伝説が描かれた伝記があった。
この子もそういうのに興味を持ち始める年頃か、と私はふっと笑みを零した。
「すごいよね! ゆうしゃさまがせかいをすくったんだって!」
「そうだねえ……」
誰もが伝記を読んで感動し、感激し、彼女を勇者と褒め称えた。
勇者一行に追従した物書きが記したとされる本は世界中の人達に読まれた。
彼女と彼と私――を付いて回った透明の存在がいたとしたら、そんな人物もいるのだろうけど。
「ねえ坊や。その本を読み終えたら、私がもっと面白い話をしてあげるよ」
「もっとおもしろいはなし? どんなの?」
きらきらと輝いた眼差しを受けて、柔らかい髪をそっと撫でる。
「今もずっと、世界を救い続けているもう一人の勇者のお話だよ」
魔王を倒して以来、不自然なほどに平和になったこの世界を支えている、伝記の中ですら闇に隠れてしまった本当の物語。