人の心などわかるわけもなく
日が傾き、街を照らす光が赤らんできた頃。私たちは素朴な外観ながら、どことなく暖かみのある建物の前に着いた。
木の看板が釣り下がっていたが、残念ながら字が読めなかった。ローサに聞いてみたら、【女神の止まり木亭】という名前の宿屋らしい。
門からほど近い場所にあり、冒険者が利用するには便利な立地である。
冒険者ギルド直営の宿屋らしく、利用者はほぼ冒険者のみなんだとか。
私の知っているシステムで例えると、ウィークリーマンションとかマンスリーマンションみたいな借り方もできるらしい。
なので、既に部屋を借りていた二人は特にチェックインなどをする必要は無い。新たに泊まる私の分だけ手続することとなった。
宿屋の受付には、恰幅の良い中年女性がいた。
ローサがカウンターに寄りかかり、声をかけた。
「ちょっと良いかな」
「ローサちゃんとグレゴリーじゃないかい。帰ってきてたんだねえ。おかえり」
「ん、ついさっきね。で、連れが増えたんだけど一人分部屋借りれる?」
「あら、可愛らしいお嬢ちゃんだね。でも、済まないねえ。今日はもう満室になっちまって……」
「満室ね……」
ローサは少し考えてから宿屋のおばさんに交渉をした。
「私と相部屋とか、できるかな」
「それなら大丈夫さ。枕と毛布は貸し出すし、宿泊料金もまけとくよ」
「じゃあそれでお願い」
「はいよ」
手早く会計を済ますと、ローサは私にちょっと申し訳なさそうに言った。
「そう言うわけで、私と相部屋ってことになるけど……」
「私は全然構わないです! むしろ友達とお泊りって感じがしてちょっとわくわくするかも!」
「と、友達とお泊り……?」
「はっはっは! 良いじゃねえか!」
ローサは不思議そうに眼を瞬かせた。それから、居心地悪そうにうろうろと視線を彷徨わせた。
私はその反応に頭の中が疑問符で埋め尽くされたが、ローサはぷいと後ろを向くと階段の方へ行ってしまった。
グレゴリーは小声でローサの態度の理由を教えてくれた。
「あいつはあんまりこういう経験が無かったからな。ありゃ照れ隠しだ」
「そうなの?」
「そうだ」
ローサってツンデレ系? などと失礼なことを考えながら私たちも階段を昇って行った。
二階の奥の方に、二人並んで部屋を借りているらしい。
部屋の前まできて、ローサがドアの方を向いたまま私に喋った。
「人と一緒に寝ることは想定してなかったから……ちょっと散らかってるかも」
「あはは、私片付け苦手でいつも自分の部屋ごちゃごちゃだったから、平気だよ」
「そ、そう」
ローサはやや躊躇いがちな手つきで部屋の鍵を開けた。
ドアが開き、ローサの後ろから中を覗きこむ。パッと見まったく散らかってない、綺麗な印象の部屋だった。
グレゴリーは隣の自分の部屋を空けながら私たちに言った。
「今日は俺は飲みに行くからよ、お前さん達も後は自由行動ってことでよろしくな」
「あ、ちょっと」
「じゃあまた明日!」
ローサが何か言おうとしたのを遮り、さっさと部屋へ入って行ってしまった。
ローサはちょっとふて腐れたように呟いた。
「いつもは鬱陶しいくらい世話焼いてくるくせに、どういう風の吹きまわしなんだか……」
「さ、さあ」
先ほどグレゴリーが言っていたことから考えると、後は若い者同士でよろしく、ということなのだろうか。
まったく、お見合いじゃあないんだから……。
いらぬ気遣いに、二人して若干渋い顔になったのは仕方がないと思います。
ローサは緩く頭を振り、気を取り直してといった感じで私を部屋の中へ招く。
「狭い所だけど……どうぞ」
「お邪魔しまーす」
ローサの言った通りそれほど広い部屋ではなかったが、一人部屋ならこれで十分である。
それに、穴倉生活と比べればこの部屋は天国である。窓の方へ行けば、薄暗くなった大通りの様子が見えた。
ああ、建物って素晴らしい。雨水が流れ入ってくることも無いし、全然土臭くない。
すんすんと木造建築のにおいを堪能していたら、ローサがほんのりと顔を赤くして焦ったように言った。
「ちょ、ちょっと。そんなに嗅がないでよ」
「あっ」
よく考えたら人様の部屋のにおいを熱心に嗅ぐなんて失礼なことである。しかも年頃の女性の部屋を、だ。とてつもなく変態くさい。
「あああああああごめんなさいごめんなさい! ついいつもの癖で!」
「まあ、そんなことだろうと思ったけど……」
謝りまくって許してもらえた。というか、それほど怒ってるわけでもなく、ただ単に気恥ずかしかっただけらしい。
染みついた行動というものは中々抜けないものである。獣だった頃のように振る舞うと、人間社会ではただの変態にしかならないのでつらい。
私が己の変態的行動に落ち込んでいると、ぽふりと頭に温かい物が乗った。ローサの手だ。
「ちょっとずつ直せば、いいんじゃないかな」
「はい……」
ローサよりかなり背が低いからか、どうも年下扱いされている気がしてならない……。
ちらりと横にあった姿見を見たら、私は十代前半くらいの姿をしていた。あれ、何か前より若い姿だぞ。これじゃ年下扱いされるのも無理は無いのかもしれない。
私はローサの認識を訂正することにした。
「あの、ローサ。私今はこんな姿だけど、前は君と同じくらいの年齢だったんだよ」
「そうなんだ」
あんまり信じて無さそうな顔をされた。ひどい。
荷物整理をそこそこに、私達はまず夕食をとることにした。女神の止まり木亭の一階に食堂があるらしいので、そこで食べようということになった。
食堂に足を踏み入れると、利用者のほとんどが冒険者という話通り、そこは男まみれであった。
たじたじな私と違い、ローサは背筋をぴんと伸ばして堂々と立っている。
入口にいた私たちに気付いた店員に、空いている席に誘導され隅の方の二人席に座る。
「それではお決まりになったら、店の者に声をかけて下さいね」
店員は水の入ったコップを二つ置いてからそう言い残すと、忙しいのかバタバタとどこかへ行ってしまった。
ローサは脇にあったメニューを広げ、こちらへ訪ねてきた。
「何か食べたいものある?」
「食べたいもの……」
乾燥させた物や、日持ちする物が多かった旅の食事とはまた違う、ちゃんとした【料理】である。
未調理の物ばっかり食べていた私には旅の食事ですら美味しく感じられたが、お店で売り物として出される料理はまた違った味わいになるだろう。
お店のにおいを嗅ぐと、あちこちのテーブルに乗った料理のにおいを感じた。ちらちらと周りのテーブルを見て、あれもいいなあ、これもいいなあと大いに悩んだ。
決めかねた私は、ローサに何を食べるのか尋ねてみることにした。
「ローサは何を頼むの?」
「私? そうだね、今日はビーフシチューにしようかな」
「ビーフシチュー……」
「どうかした?」
「私もそれにする」
「それでいいんだね? じゃあ注文するよ」
ローサは店員を呼びつけるとさっさと注文を済ませた。
私はローサの舌を信じることにした。自分では決められなかったとも言う。
牛肉なんてこの身になってから一度も食べたことが無い。値段がちょっと気になったが、そもそも私はメニューを読めないので、ローサに全部の値段を読み上げさせるのも何だか悪い。
後でお世話になった分は絶対にお礼をしようと再三誓った。
料理が来るまでの間、なんとはなしにローサの方へ眼を向けてみる。
ローサは頬杖をついて店内の喧騒を見つめていた。抜けるような白い肌に、切れ長のサファイアブルーの瞳。キリリと整った形の眉。動きやすいようにか、肩に着かない程度に切りそろえらえた白銀の髪が頬にすこしかかっている。表情はどこか気だるげでクールな感じ。悪く言えば、無愛想で冷たそう。
実際、印象通り大体の人には無愛想な態度を取っているように見えた。
グレゴリーとは付き合いが長そうだから例外として、何故ローサは私に優しくしてくれるんだろう?
他の霊命種の冒険者にも無愛想だったので、霊命種には気を許してるというわけでもなさそう。
私が女の子で霊命種だから? うーん、どうなんだろうな。
何で私に優しくしてくれるのか? なんて聞いたら失礼だよねえ。
迷ったあげく、私は遠まわしに探ってみることにした。
ローサに笑顔を向けて、話しかけてみる。
「ローサは優しいよね」
「優しい?」
「私、初めて会った人がローサで本当に良かったと思ってるよ」
「……私は別に、優しい人間なんかじゃないよ」
「そうかな?」
ローサは何だか憂いを帯びた顔になった。あらら、そんな顔をさせたかったわけじゃなったんだけど……。私は言葉選びに失敗したのかと焦った。
「そう。まったくの善意で助けてるわけでもないし」
「えっと……?」
「ちょっと、ムジナの立場について思う所があったから」
「思う所……」
やはり私への特別扱いは何か理由があってのことらしい。しかし、私の立場に思う所があったとは一体どういうことだろうか? 首を傾けていると、ローサは話を続けた。
「でも、ムジナのことは別に嫌いでもないし……世話をするのが面倒だとか思ってないから」
「うん」
「だから、迷惑だとも思ってないし」
「うん」
「まあ、その。さっきはあんなこと言ったけど。気にしないで欲しい」
「そっか。わかった」
よくわからないが、とりあえず嫌われてはいないらしい。ほっと安心をする。
藪蛇をつつくのはもうごめんだ。この話は以降触れないようにしよう。
微妙な空気の中、店員が完成した料理を運んできた。
私とローサの目の前にビーフシチューとパンが並べられる。
私は漂う芳香に、すぐさま心を奪われた。パンとビーフシチューが織りなす複雑なハーモニーに頭がくらくらとする。
料理に釘づけになっていたら、前から控えめな笑い声が聞こえた。
顔を上げると、ローサが私の様子が可笑しかったのか、無邪気に笑っていた。私はその美しい笑顔にしばし見とれた。
笑いが収まったローサが、私に食べるように促した。
「ほら、冷める前に食べなよ」
「あ、うん」
私を助けるのは、ローサなりに思う所があるかららしい。けれども、さっきの無邪気な笑顔には何の打算も感じられなかった。ローサはまったくの善意じゃないとは言ったけど、善意がまったくないとも言っていない。
結局理由はまったくわからなかったが、もう気にするのはやめよう。
私はローサのことを信じることを心に決めた。
ちなみに、ビーフシチューは絶品だった。一口目を入れた私は放心し、それを見たローサがまたくすくすと笑ったのだった。